ようこそいらっしゃいました。

結満です。

1990年10月15日生まれの33歳。


わたしは、もともと感受性豊かで、人の顔を見てなんとなく何を考えているの、その人が楽しいのか苦しいのか、自分を好きなのか、自分を苦手としているのかが分かってしまうような感性の鋭さがありました。それは時に自分を苦しめまだ対して話してもいない人を勝手に決めつけ苦手意識から関われなくなるーを繰り返し人間関係が豊かになる事のない人生を送ってきました。
今もそれは変わっていません。

自分に対して鋭利な剣を常に持ち、失敗をすれば容赦なく裁きを下す、
どのように頑張ったか、それまでの過程は一切見ず、結果が全て、完璧主義者として猛威を奮ってきました。
それは自分以外にも向く時があり、仕事で新人教育を任された際はクライアントが理想とする全てを叶えてあげたくてどうしたらクライアントが幸せに安らぎを持って暮らせるかを追い求め一切の妥協を許しませんでした。その年8人入ってきた新人は8人全員辞めていきました。
私の教え方は決して厳しくはないけど、私の求めている事は精密機械のように細かく繊細で自分には出来る自信がない、あのようには出来ない、この仕事自体に自信がなくなった、そう上司に言って辞めていってしまったようでした。

その事で度々上司に注意をされましたが、
私は上司に支(つか)えているわけでもないし
クライアントの理想を叶えて何が悪い?
やれば出来るようになるはずだと聞く耳を持つどころか、クライアントに向き合っていない上司に腹を立て1人燃えていました。

私の見た目は一見すると優しそうでふわっとしている、怒る事なんてあるの?なんてよく言われたりしますが中身はトゲトゲの常に剣を振り上げて待ち構えてるかのような横暴さ、傲慢さがあったりします。
あんたは誰だ、と言う程力もない自分のくせに
どんな相手も隙あらばぶった斬ろうとするー
当時の私はそんな危険性がありました。
なんなら上司の事は一通りぶった斬ってました。

情熱を持って魂、精神を燃やしながら仕事に向き合っていたある日、父が新型コロナウイルスに感染した事が判明。
当時コロナは死ぬ病気だと言われていた初期の初期の頃です。
その頃の私は実家に住んでおりバッチリ濃厚接触者だった為命を守る行動とし、直ぐ上司とクライアントに報告。
その日もクライアントの元に居ましたが事情を説明し一時帰宅をし陰性か分かるまで出勤停止となりました。
当然クライアントも会社も大パニック
大変な迷惑をかけてしまいました。

そして困る事が起きました。
そこのクライアントに入れる人が1人も居なかったのです。
上司も同僚も後輩も、誰もその現場に入れなかったのです。
なぜなら私が全員辞めさせたから、、、

安心して幸せに暮らしてもらいたい、一切の不安なく過ごしてもらいたい、各クライアントの色に染まり、ストレスなく過ごしてもらいたいーを信念にしてきた私にとって自分が一番クライアントを不安にさせているという事実がショックでした。

しかも当時死ぬ病気だと言われていたコロナの陽性者かもしれないー。
上司達は相当焦っていたようです。

私はお得意の剣で自分に裁きを下しました。
お前は失格、失敗、役立たず、お前はお前でしかない、やっぱりお前は不幸を持ち運ぶ厄日神、消えろ、いなくなれー
色々な言葉が頭の中でこだましていました。

そしてもう一つ。
父の心配ー、、
父は特定疾患を患っている為コロナでの死亡リスクがとても高かったんです。

父が死ぬかもしれない?
あの、TVに映っていた人たちのように?

どうしよう。
いてもたってもいられなくなり、冷静な判断が出来なくなった私は上司に電話をし
『父が亡くなるかもしれない、最後の親にできる親孝行になるかもしれない、私は父と生活をしていたし感染のリスクがそもそも高いです!父の看病をさせに行かせて下さい』

いきなりこんな事を言われたらビックリしますよね。
本当にこう言いました。

上司からの答えはもちろんNO。
これは仕事です、お父さんがコロナになって心配なのは分かりますがあなたまでコロナになったらクライアントはどうするんですか?
困りますよね、誰があなたの代わりに行くんですか?誰もいませんよね?
常識的に考えてクライアントの事を考えるなら
ますばPCR検査を受けて陰性ならクライアントの元へ行ってあげて下さい。
それが仕事と言うものです、無責任な仕事はしないで下さい。

よく覚えてるな、何年も前の事なのにー
確か、こう言われました。

私はここでも自分に裁きを下しました。
結局私が一番無責任な奴だったー不幸にしているのは私だ、今私はクライアントを見捨ててたよね、
最低ー。
色々な言葉が頭の中をめぐります。

えっ?ー
じゃあ私は父に何も出来ないの?ー
育ててくれた父親があと一週間で死ぬかもしれないのに?
子供としても無能じゃないか。
親不孝な奴だな。

うそのようにデビルなゆうみがゆうみを責めたてました。

クライアントを取るかー、父を取るかー。

結局私は父を取りました。

『父の最後の時に親孝行も出来ないような仕事なら私はやりません。辞めさせて頂きます!そして私は今から父の看病に行きます、出勤出来るとしたらコロナの隔離期間が終わった後の2、3週間後です。』

そう言って電話を切りました。

その後父の容態が変わる事は全くなく、全然普通に暮らしていて拍子抜け。
私なんかもコロナ陰性で3日目には会社連絡をし
普通に業務に戻ってました。

その事で、クライアントにも会社側からも信用がなくなっていると感じるようになっていった私は
どんどん自信や信念がなくなっていきました。

信念なんて笑わせるー、私クライアント見捨ててたよね、、困らせたよね、不安だったよねー
本当にごめんなさい、
そんな事を考えながら生きていたもんだから
クライアントの前でうまく笑えないー、
信頼してもらえている気がしないー、
なんだかやる気がでないー。
どんどん負のスパイラルに入っていきました。

結局どんどんどんどん関係性は悪くなり、
上司がその現場を率いてくれ、人が潤って来た頃に
あなたNG出たから外すわ。
そう一言言われその現場から外され
その後すぐ、
この現場もあなたに来てほしくないって、
あの現場からクレーム来てるよ、
あなたを紹介できる現場は正直もうない、ってか
紹介したくもない。

やってもいないことを捏造され、根回しされ、印象も最悪。

私そんな事やってない!本当にそう言っていたの?
上司に問うと
あなたがやっていようがやっていまいが事実はどうだって良い、その現場を見ていた人が居ないんだから真実なんて分からないし今必要としていない、
ただ一つ、あなたに入ってほしくないという事だけが真実。
そんな事を言われてしまって続けられる人が居るのかー、、そうして私は辞めざるを得ない状況になり 最終的には自己退社。
それが2023年8月13日でした。

辛かったですね、かなり泣きました。
あんなに情熱を持ちクライアントの幸せと安らぎを願い打ち込んできたのに、幸せを願っていたクライアントに私に入って欲しくないとか、他にも色々言われていたなんてー
報われないな。
そう思いました。

2023年8月13日ー仕事も実質クビになり、彼氏もおらず、実家暮らしの穀潰しが誕生してしまいました。

とりあえず今日はここまでです。
読んで下さった方ありがとうございます😊