行政書士2012

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友人の恋愛が終わりを迎えた。私が相談を受けたのは年末だった。その時には既に交際から半年が経っていたらしく、不倫だということもその時に聞かされた。

いい歳をした大人同士がやってる恋愛だから、片方だけが悪いとは思わない。
ただ、友達が苦しむのはなんともやるせない虚しい気持ちになった。

もし私が孤独な日々を毎日生きているときに既婚者の男性から「君をずっと好きだった。気持ちを伝えたかった。俺には必要な人なんだ」と言われたらどんな気持ちになるのだろう。

「嫁に粗末に扱われているから居場所がない。君の手料理を食べれたらしあわせなんだろうな」と言われたら、苦手な料理も頑張ってみたいと思うのだろうか。昔の私なら思うのかもしれない。

言っておくが別に不倫を肯定はしていない。
ただ、不倫に限らず言葉で人の心理を操作するということの怖さを伝えたい。

私は昔、二年付き合った男性に自分の誕生日に「朝起きたらネギの刻む音が聞こえておまえが起こしに来てくれたらしあわせだな。これからもよろしくたのむな」と言われたことがある。
ネギの刻む音からは朝食の味噌汁を連想し、朝起きたらという言葉からは同居生活をイメージし、私はこの男性が今すぐではないがいずれ結婚を考えてくれていると思いこんだことがある。
何年も恋愛らしい恋愛をせずやみくもに働いて親の医療費や借金を片づけて頑張ってきたのを神様が見てたんだ、それでこんな素晴らしいご褒美を私にくれたんだとさえ思った。

しかし実際は違った。三年経過しても親にも会わせてもらえず私はほどなくして振られ失恋直後は壮絶に苦しんだ。

なんというか...そこからかもしれない。私は男性、いや、人の言葉はあまり信用していない。言葉に期待もしていない。むしろ言葉の期待は感情の借金だと思っている。行動だけを信じるようにしている。

たとえば腹が減って飢え死にしそうな時に「大丈夫...心配だよ」とメールをしてくる人よりも食料を持って家に駆けつけ「おまえしぶとく生き延びたな。食え。」と毒のひとつでも吐くような人間を信頼したい。

言葉と行動が常に比例してる人は少ない。だからこそ言葉だけに重きを置いて構築した人間関係は実に脆いものだということを強くここに言う。