数秒間じっと見つめ合っていた。
いつだってじっと後ろに控えていた。
そんな所作なげな彼女の姿が記憶に焼き付いていた。
この人は誰だ…?
本当にカズのお姉さんか…?
「そんな事言われても…そもそも俺はカズの愛人じゃないし…。」
『父の時と同じことをする気…?
あなただって嫌な思いをしたでしょ…?
もし、昔のことまでほじくり返されたら、今度こそ母は倒れるくらいじゃ済まないわ。
一門だってスキャンダルに巻き込まれるの。』
そんな事を言われたって知らない。
俺はダンスがしたいだけだし、それしか取柄がないんだ。
『あなたが有名になってテレビに映るようになったら…そんな日常を母に受け入れろっていうの…?』
「…。」
『勝手な事を言って申し訳ないけど、弟とは別れてください。』
「だから…。」
ため息が漏れる。
俺はそもそもカズと付き合っていないんだと言ったところで、この人には関係ないんだろう。
『それがどうしても嫌なら…。』
お姉さんは気持ちを落ち着かせるように大きく息を吐いた。
続くのはとても言いにくい事らしい。
『日本での芸能活動を辞めてください。 そうしてくだされば何もかもうまくいくわ。』
俺は押し黙ったまま固まっていた。
ずっとそれを目指して頑張ってきたんだ。
事務所の事も、カズが解決してくれて順調に進んでる。
それなのに、ここで止めたりなんてしたくない。
『何もダンス自体を辞めろなんて言ってないのよ。』
「…。」
『日本以外でもできるでしょ…?
そもそも日本は舞台にあまり注目が集まらないわ。
それより、外国でその特技を生かした方がいいじゃないかしら…?
大野さんがそっちの方面で才能があることは私だって知っているし…。』
「あのっ。」
思わず声を上げて話を遮った。
俺が今日お姉さんの誘いに乗ったのは、カズが家に戻る話だと思ったからだった。
だが、もう戻れないなら俺が協力する事なんて何も残ってない。
そして…
お姉さんに日本から出て行けと言われる覚えもなかった。
「あなたの話というのはカズを家に戻す事ではないんですね…?」
『ええ。 さっき言ったでしょ。 今さら困るわ。』
「じゃあもう失礼します。」
『私の話を聞き入れるのは嫌みたいね。』
「その理由がありませんから…。」
『母が倒れても平気だって事…?』
「それは…
俺にはどうすることも出来ない。 ご家族が対処してください。」
『母親が他人の家庭を滅茶苦茶にしたっていうのに、自分は知らないって事なのね。』
「滅茶苦茶になったとしたら、それは互い様でしょう。
俺だってあなたの…お父さんのせいで両親を失いました。」
母はカズのお父さんと別れたあと、父のところには戻ってこなかった。
そして父は保護者の責任を放棄した。
『言いにくいことを言ってくれるわね。』
あんたに言われたくない。
そう言い返したかったが、実際には黙っていた。
どっと疲れを感じる。
もう帰りたい。
ギー
立ち上がると、椅子が少し軋んだ音を立てた。
『誤解しないで。』
…?
『私…あなたを苦しめようと思ってるわけじゃないの。
ただ、男同士じゃ子どもができるわけじゃないし…未来がないでしょ…?』
「俺はカズと付き合ってません。」
このままじゃ、堂々巡りだ。
『そう…でも、大野さんは男の人と付き合ってきたんでしょ…?』
だからなんだ…
『それって…お母さんのせい…? だったら可哀そう。』
可哀そう…?
可哀そうってなんだ。
可哀そうって…
「そんなの…お互い様でしょ。」
いちいちそんな事言われたんくない。
『お互い様じゃないわ。
私たちは母がかばってくれたけど、あなたは一人だったじゃない。』
そう言ってバカにした様子もなくじっと俺を見つめてくる。
一体なんなんだ…?
彼女の言う通り、あの時、親に捨てられたのは俺だけだった。
だが、それが今さらなんだって言うんだ。
傷つく気持ちはもうとっくに擦り切れていた。
それでも不愉快に感じる気持ちは残っていた。
『あの子はどういうつもりなのかしら…。』
深いため息とともに届いた質問を俺は振り切った。
俺は黙って扉を出ると、階段を駆け上る。
すぐさま地上に着き、騒々しい外へと飛び出した。
大勢の人の群れ。
そんな喧噪の中に溶け込んでいった。
今の俺を誰にも見つけられないように…