こんばんは
ドラマ「春になったら」見ました
余命3ヶ月と言われた父親、夫と同じ病気でした
この父親、積極的治療をしない選択をしました。
私も、そうすると思う。
残された人の事を考えて
そう、訴える娘の気持ちもわかる
(治療をすると、5年後の生存率2%)
治療をしたとしても100人中2人になると思わない
膵臓癌の末期ならそう思ってしまいますよね。
そして、何より、5年後の生存率は生きている言うだけで
完治しているわけではない人が殆ど
その治療に残された貴重な3ヶ月を使うのか……
夫は、抗癌剤は一回しかできぬかったので、副作用はよくわかりませんが、
副作用をブログで書いていらっしゃる方もいらっしゃいます、辛いですよね。
行きたい所へも行けなくなり
食べたい物も食べられなくなる可能性がありますよね。
自分の人生の終わりは自分で決めたい
本当にそうだと思う
でも、私も子供達に治療を懇願されたら、気持ちが揺らぐかもしれません
子供達は私の大切な宝だから
子供達に辛い思いをさせたくない。
子供達に懇願されたら、辛くても頑張ってしまうかも
そして、こんなに苦しいなら
どうせ治らないなら……早く旅立ちたい
そう思うのかな?
その思いを口に出さなければ、子供達は、幸せに私の最後を見送ってくれるのでしょうか。
私と子供達の意見が違ったら、面倒臭いな。
夫の死を経験して
「死」とは、死ぬと決まったら
神も仏も何の力にもならないと思いました。
ましてや、先祖を頼りにして、お墓参りに行ったって、そんな力のある祖先います?
私は、夫の病気がわかってから、神社仏閣、お墓参り、一度も行こうとは思いませんでした。
(今は、神社仏閣にもお墓参りにも行ってます、気楽に)
それほどに、みるみる内に夫は
「死んでゆく人」になりました
1.2年闘病した人なら、1.2年かけて、体調悪くなって、痩せ細り、食事も取れなくなっていくのかもしれませんが
夫は、病気がわかって1ヶ月半で亡くなったので
その死への恐怖や、精神的圧力が急激に襲ってきて
身体もみるみる内に、病人→死にゆく人へとなりました
その変化を目の当たりにして
それはもうね、人の力では抗えないと思いました
神も仏もないと思いました
それを超越した死への力を感じました
それくらいの、大きな力で夫は死へと連れ去られました
だから、思うのです
病気になったから、死ぬのではない
死ぬと決まったから、病気になったんだろうってね
そんなことを思ってしまう程に
夫の「死」は私には衝撃的な出来事でした
死ぬ事が前提の余命の過ごし方
生きる事が諦められない余命の過ごし方
考えは人それぞれで
選択も人それぞれで
自分の人生は自分のものだけだと思っていたら、
家族の物でもあったことの嬉しさと窮屈さ。
夫を亡くしたという経験をして
こんなにいろいろ思うようになりました
答えのでない難しい案件ですね
さて、ドラマはどのように進むのでしょう
見入ってしまうかも
途中で辞めちゃうかも
ただ、死を扱っているので最後まで真摯に作って欲しいと思いました
では
最後までお付き合いありがとうございました
実は、私、以前に別のアカウントでブログを投稿していた事があります
昨日、そちらにこのブログを一瞬ですが間違えて投稿しました
削除してありますが、昨日同じブログを何処かで見た方がいらっしゃったら、そんな事情です。