こんにちは。ナナの飼い主です。

暖かくなってきましたね。ここ四日市でも1月末から梅のつぼみは開き掛けていたのですが、もう6分咲きといったところでしょうか。高速道路での通院の為、保険に買ったスタッドレスタイヤもまさに保険で終わりそう。いや、19インチの高いの着けたのに(><)。でも最近のスタッドレスタイヤは昔みたいにグニュッとならず性能が上がりましたね。もう、夏タイヤと言われなければ区別つきませんわ。

ナナとの散歩も梅の公園が多くなりました。我が家の畑の梅を折ってきて玄関にも飾っております。
 

 



ナナは相変わらずの甘えぷりでお膝の上に座りにきます。でも、父母がでかかったので、ご覧のよう。重いってば(^^;)
 



じゃ、いつものように、ここからは犬に関係ありませんので、興味ない方はスルーでお願いしますね。

CUBE(キューブ)というのは、立方体という意味で、日産の四角い車や、ルービックキューブというおもちゃででていますので、意味は分かる人は多いと思いますが、今回のは20年ほどだいぶ昔の映画の題名です。
4メートルほどの立方体にはしごが上下左右に掛かっていているだけの部屋が舞台で、出てくるのも数人ですから、凄い低予算映画でしたが、斬新なアイデアで当時は結構有名になった、SFホラー映画です。
なぜか、人々が意識が戻ると1個(部屋)の中に閉じこめられている。前後左右上下に扉があるので開くと、やはり、全く同じ形をした部屋(番号がついている)・・・・。で、むやみに移動していくと、残忍な罠があって・・・というパターンで、いかにその罠のある部屋を見分けながら、出口を探すかというストーリーになっていきます。この立方体の部屋は相互に繋がっているのですが、一定時間で、ガタコンガタコンと上下左右に移動するので、すでに、その前と同じ部屋という保証がないのもミソです。

で、なぜ、こんな昔の映画の話を書いたかというと、最近、ちょっと人生というか世界の見え方が変わってきたかなと思うからです。そんなこと今更、言うなよと言う方は笑ってスルーでw。

で、皆さんの多くもそうだと思うんですけど、自分が住んでいる世界って、平らじゃないですか?学校で習った地球は丸いというのは、そりゃ、証拠を挙げられると「そうかも」とは思っても、普段、生きてる限りは古代の人がそう思っていたように、今も、やっぱり、自分の家→通勤経路(近所の道)→会社の建物(スーパー)なんてのが、平面上にあって、だんだん広がっている。たまには出張や行楽で札幌いったよな。海外旅行でバルセロナ行ったし。とかなると、そこまでビューンと広がりますかね。海外旅行が去年のことでも、今、バルセロナのあの町並みがあることに何の疑問も感じない。
抽象的に言うと、静止した時間の中に無限の開けた空間があるという意識ですね。

実は、歳を取ってきて、それが、始めに書いたCUBE見たいに思えるようになってきたんです。
例えば、病院には小さい頃からずっと行っていた。でも、その病院とは受付、診察室、レントゲン室くらいの空間だったわけです。でもあるとき、ずらりとチューブが乱舞し、警告灯ががんがん鳴る数十台のベッドがある透析センターに数時間を過ごすことになる。あるいは、まぶしい手術灯が照らす手術台に登ることになる。それはテレビで見る技師や医師の視点ではなく、まさに、当事者となって見上げて、部屋を意識するのです。
そう、そんなものは、扉を開ける以前には、<私には>存在しない世界だったのです。

バスケットコートもゴルフ場も、景色としては確かに生まれる前からある。でも、自分が当事者として、関わるとその世界(CUBE)が意味を持つ物として現れます。そして、卒業しても、ずっとあると思っていた学校のグランドが、そこに行ってみると既に無くなって運動公園になっている。そう、そこにあったCUBEが変わったのです。すごく楽しいCUBEもあれば、悲惨なCUBEもある。

ギャンブル依存症とかゲーム依存症なんてのは、スロットのホールやスマホのモニターというCUBEの中に閉じこめられて、そこから出られなくなった。そんな感じでしょうか。

だから、人生とか生活というのは、行ってみれば、家というCUBEから移動経路というCUBEやいろいろな場所(人との関わりを含んだ)へ、習慣や意思・努力、偶然に翻弄されながら移動を繰り返していくゲームの様な感じがします。
家というCUBEもいつしか親は死に、子は巣立ち・・と不変の物ではありません。定年や離婚、なじみのCUBEが突然無くなったり、行くことが出来なくなったり。逆に、病院のように強いられて入らなければならないCUBEもあります。

人生と映画のCUBEとは、知らない間にはじまり、偶然、一緒に過ごす仲間や家族と出会い、CUBEを移動し続けることはまさに隠喩で制作したのではないかと思えるほど酷似しているように思えます。

 

 

違いは、おそらく1つ。

残念ながら、人生にには、いくら努力しても(天国への)出口というものは存在せず、いつか最後に一つになったCUBEが自分もろとも闇に消えるということでしょう。