(本日は音楽の雑談です。犬と関係ありませんので興味のない方はスルーでどうぞ)

映画のこともぼちぼち書いているが、プロフィールをご覧いただいた方は分かるとおり、どっちかというと音楽を聴く時間の方が多く、趣味は一応、音楽鑑賞ということになるだろう。そこで、今日の雑談は音楽のお勧めでも書いてみる。これも十人十色であり、私の好みということでご理解下さい。私はレコードもCDもそれぞれ2~300枚ほど所有しており、高額なオーディオセットを導入して聞いているので、まあオーディオマニアの一人であることは確かだが、楽譜
も読めないし、演奏も出来ない。それどころかカラオケも苦手な音痴であるから、音楽としての評価、作曲家、演奏家、歌手としての評価はできない。唯一の基準は、魂で歌い、演奏しているか。私の心に響くかである。
私は演歌以外はぼぼ何でも聞く。ロックでもメタルというのは苦手だったが、アデルも聞くし、最近のLinkin Park やL'Arc En-Ciel も聞く。鬼束ちひろも家入レオも聞くからまあ、年寄りの割に守備範囲は広いと思う。ジャズも有名どころは数十枚はCDも持っている。といっても、キースジャレットとか少し本道から外れたものが好きだが。ただ、分量的には圧倒的にクラシックが多い。しかも古いレコード録音だ。そんなわけで、かなり偏見はあるが、広いジャンルから音楽を3つ、お勧めしよう。なお、全て、基本的には一人で静かに聞くための音楽だ。

 


1つめ。クラシックからバッハの『平均律』又はモーツアルトの『アイネクライネナハトムジーク』

クラシックといっても演奏会で聞くようなものではない。たぶん、若い方は、ベートーベンの情念とかブルックナーの壮大な音楽の伽藍、ショパンの繊細なピアノの響きの美しさetcの方が絶対の楽しいし、分かりやすいと思う。これらは、確かに生でコンサートで聞く方が迫力、魅力がある。が、年を経てくると、同じべートーベンでも派手でスピードが速い現在の演奏家よりイッセルシュタットとかの柔らかい演奏が耳になじむようになる。ブラームスのクラリネット五重奏が心に沁みるようになる。じっと、静かに自室で一人で耳を傾ける音楽の魅力が分かってくる。
そして、たぶん、多くの音楽家、音楽愛好家の行き着く先はバッハかモーツアルトだと思う。違いはバッハは神や天国にあこがれる音楽、モーツアルトは既に神に触れ、天国に行ってしまった音楽だ。つまり、言い換えると、死の扉のこちら側か、向こう側かと言うことになる。これは、まあ、好みだろう。バッハでも「マタイ受難曲」とかの劇的な宗教曲、孤独な魂と神との対話のような無伴奏バイオリンソナタも心に強く感動を迫るが、これらは一曲聴き通すのにも自分の心がそれに耐えられるような状態を必要とする。私は、心が疲れた時にそっとレコードを手に取るような、静かに心に響いてくる「平均律クラヴィーア曲集」が好きだ。わずかの変化をさせながら単調に続いていく音楽が、ゆっくりと心に慰めと平安をもたらしてくれる。誰の演奏でも良いが、響きが豊かなリヒテルをお勧めしておこう。大きな音量は必要ない。ゆっくり誰にもじゃまされない夜にでも聞いて欲しい。そのまま寝てしまっても良し。毛布を奥様(旦那様)に掛けてもらえるなら、既にあなたは天国に住んでいらっしゃると言うことです(^^)。

 



「湿っぽくて長いのはどうも・・」という方ならモーツアルトの『アイネクライネナハトムジーク』で。バッハのような心の慰め、安らぎではなく、明るくかわいらしい、そしてなにより優雅な曲だ。これは聞いているだけで、まさに、「天国ってこんなところなのかも?」って思うくらい、明るく幸せな気分になれる。小さな夜の音楽という名のとおり15分くらいの短い曲だから寝る暇もないw。庭の花を眺めながらでも、犬と戯れながら聞くのもOK。むしろBGMで聞く方が似合うくらいだ。分類的にはセレナーデといって、元々、貴族が窓辺で演奏させてBGMとして楽しむ音楽で、コンサート会場で聞く方がむしろ逆なわけだ。


ただし、クラシックのCDは1960年代~70年代くらいの録音で安い廉価版CDを買って下さい。最近になって古楽器演奏(作曲された当時の楽器を使う)ないしは、その奏法をまねて現代楽器で演奏することがはやっています。ひとことでいうと、ビブラートを効かせず、一音一音をくっきりと演奏します。この演奏法は、ともすると音楽そのもの、演奏家自体に対峙するような聴き方を強います。傾向として、とてつもなく速いスピードで演奏したり、叩つけるような強い演奏、リズムをとても強くとった癖の強い演奏がよく聞かれます。あくまで好みですが、のんびり優雅にお聞きいただくのには、古い演奏をお薦めします。写真はカラヤン指揮ベルリンフィルのものです。

 




2つめ。ポップスからアルバム「For the Stars」

演奏というか歌手は、伴奏のエルビス=コステロはロックミュージシャンだが、メインで歌っているアンネ=ソフィー=フォン=オッターという歌手は正真正銘の世界的に有名なソプラノ歌手だ。透明感がありながら、まるでビロードのような艶のあるメゾソプラノの美声であり、当然、めちゃくちゃに、うまい。曲も、もう、しっとりと、大人の心に沁みる名曲ばかり。メロディも良いが、詩だけ読んでも、ほんとうに美しい。
目をつむって聞きながら、あなた自身の恋の思い出に浸ってください。なお、歌詞は女性の立場に立った内容の曲が大半です。ただ、旦那様やお子さんには訳詞やあなたの聞く姿は見られない方がいいですよ(^^;)。

一番のお気に入り曲は「Broken Bicycles」(壊れた自転車)

Broken Bicycles, old busted chains.          壊れた自転車 ちぎれた古いチェーン
Rusted handle-bars, out in the rain.          さび付いたハンドル 冷たい雨にうたれているね
Somebody must have an orphanage for       もう誰にも必要とされない、こんなもの全部を                             集めてしまってくれる
All these things that nobody wants anymore.  孤児院を誰かが作らなきゃね

September's reminding July.         今は、あの愛の7月を思い出すけど、もう9月なのね
It's time to say goodbye.                     そろそろ、あなたに、さよならを言わなきゃね
Sunmmer is gone, our love will remain.      夏は過ぎ去ったけど 私たちの愛は思いでの中に                          残りつづけるんだろうね
Like old broken bicycles, out in the rain.   冷たい雨にうたれたままの

                          壊れた古い自転車のように   

※訳はアルバムの訳ではなく私の意訳です。

 




3つめ。賛美歌「Amaging Grace」(アメージング グレース:驚くべき神の恵み)を歌った、ナースステーションでの本田美奈子の生涯最後のコンサート。

Youtubeで上がっているたった2分の動画だ。
これはもう、歌がうまいとか曲が良いとか、そういう話ではない。私はこれ以上の魂で歌った歌、魂に響く音楽を聴いたことがない。
本田美奈子はアイドル歌手として出発したが、ミュージカルを手がけ、クラッシックと融合した独自の境地を歌った歌手。彼女は38歳で白血病に冒され、亡くなったが、治療・看護にあたった看護師さん達に御礼の心を込めて、ナースステーションで、おそらく別れの歌として死を悟って歌った時の物。その時、レコーダー?で録音したものだから、音質は悪いが、歌、音楽にとって、音質とか伴奏とか、そんなことなどはどうでもいいことが、だれにでも分かる。そこで
歌っているのはきらびやかな衣装を着けてスポットライトを浴びる美少女ではなく、抗ガン剤で頭髪が抜けた頭にスカーフを巻いた、やせこけた中年のおばさんが、最後の力を振り絞って必死に歌う後ろ姿だ。だが、まさに心からの感謝と命への賛歌が魂に伝わってくる。私は聞けば涙が出る。だから、もう聞くことはできない。繰り返し聞く曲ではない。聞ける曲ではない。

本田美奈子の歌自体は、ミュージカル「ミス・サイゴン」の『命をあげよう』、「レ・ミゼラブル」の『On my own』いずれも、聞いてみるといい。舞台の彼女の鬼気迫る、演技と歌というか、これはもう、うまいとか下手とかではなく、彼女の別世での生き様ではないかと思える、すさまじい魂の叫びを感じることができる。彼女は歌で聞き手に幸せと感動を与えることを選び、「歌と結婚したから、今生では結ばれない」と言い切り、そのとおり亡くなった。もし来世や天国があるのなら、今度は、そこで私が彼女と逢い、幸せを与えたい。そう思わせる人だ。

「ミス・サイゴン」の『命をあげよう』の場面(何も知らずに無邪気に遊ぶ子の後ろで母は子が自由の国で幸せに暮らせるようにするため、自分の悲しい人生に終止符を打つ決意をする)
 



人にとって、愛する人や親友は一人で十分ことたりるように、音楽も一生、心に寄り添うものは1曲で足りる。
音楽は愛や友情のように、無くとも人生に不全感をもたらすことは無いが、あれば愛や友情と同じように安らぎや幸福感をもたらす。
幸いなことに、愛や友情は死や行き違い、裏切りにより無くすこともあるが、一度、得た音楽は死ぬまで寄り添ってくれるであろう。