夫が家を出て行って1年ほどが過ぎ、娘が高2になった頃、彼は長年勤めた会社を辞めて転職した。



取引のあった会社からの、いわゆるヘッドハンティングだウインク



1年くらい時間をかけて綿密に計画していた話だった。



夫が家を出てからたまに待ち合わせて飲みに行くことがあったが、そんな時このヘッドハンティングの話をよくするようになっていた生ビール




彼が家にいた頃、仕事の話はほとんどしなかったように思う。



後で知ったことだが、幹部からのパワハラに遭い、長いこと辛い思いをしていたようだったぐすん



そんなことも私には話せないような家庭の雰囲気だったのかな。



娘をしっかり教育することにばかり意識がいっていた私は、ダンナ様の悩みに耳を傾ける気持ちの余裕もなかったかもしれない…



そして娘の教育と言えば聞こえはいいが、それは過保護であり過干渉であり、私の見栄であり横暴であったぼけー




そんな私もこの頃、さすがに私の監視下を離れ学生生活を謳歌している娘とは一緒に過ごす時間が格段に減り、ひとり取り残された感を味わっていたショボーン



ただでさえ部活で忙しいのに、高2からは大学進学を視野に入れ、塾に通い始めた娘本鉛筆



週に3日は部活の後テニス、そのまま塾へ行き帰りは夜の10時だ。



私はひとりでいる時間=寂しい時間が増え、もっと仕事を増やすことを考えた。




娘が小3のときから夫の扶養の範囲内で事務の仕事をしてきたが、こんなに時間があるならフルタイムで働くのもいいかも、と考え早速職探しを始めたPC



そしてほどなくして見つかった会社が今も働いている会社だ。




こうして私たち夫婦は、50代になってそろって転職をした。



結婚して初めて、夫の会社ではなく自分の会社の保険証を持って、ちょっとだけ自立した気分を味わったニコニコ




ただし、この転職は決して離婚を視野に入れたものではなく、あくまでも時間ができたからもっと働こうと思っただけのものだった。




能天気な私は、夫が家を出たにもかかわらず、この時はまだ離婚のの字も頭をよぎることはなかったんだなあ笑い泣き