バンコクでニートしてる
西革です
タイトルにあるように
実はお話したいことがあります。
話は1/20の一時帰国の頃まで
遡るのですが、なぜその時の一時帰国が
いつもなら2週間くらいなのに
1ヶ月も東京に居たかというと…
と、いうか今実は喪中なんです。
そうです、それで1ヶ月という
長い一時帰国をしていたわけです。
【2020年はブログ頻度上げます!】
なんて年末に言ってたのに…
なかなかそれが叶えられず
ずっと心のポッカリした感じが
なかなか抜けず、文章を紡ぐということが出来ず
バンコクに戻ってきてからも
心身共に日常に戻る事を優先する事にしました。
そして新型コロナの世界的に悲しいニュースが
流れ続けていることも重なり
どうやって心も体も今までの日常に戻していけば
いいのか考えることを自由を制限されつつ
今日まで考えてきました。
そしてやっと今になって
ようやく考えを文章にしていこうかと
思えるようになり
こうしてブログに書くことにしました
少しづつですがまたブログに
言葉を残していきたいと思います。
最近、夜寝る頃になると
決まって20代の頃の自分(過去の思い出)
が顔を出します(笑)
完璧1人【おもいでぽろぽろ】状態です
20代の私はというと…まぁ過去のブログに遡って
もらえれば分かることですが
(ブログ10年以上やってるからね
でもブログに書けないことは
昔の20代の頃に使ってた
フェイスブックのアカウントを開いたら
ぎっしり書いてあって…それ見て最近
過去の自分をリアルに思い出してしまったの)
今で言う港区女子みたいな奴でした(笑)
でも1つ港区女子と違うのは
その派手な交友関係や生活は
嘘の上辺だけのものではなく、本当に私の
日常だったということです。
今思い出しても派手で毎日がパーティーで…
1人バブリーかよとツッコまれた事もある位
やりたいように遊び、周りにワガママを言い
交友ある経営者達にもワガママに振る舞い
リムジンやロールスロイスなどの高級車に乗ったり
クルージングに行ったり
パーティーでは主役のような扱いを受けたり
やりたいだけ遊び尽くしたわけです。。。
そんな20代から
今の私はすっかり落ち着きましたよね(笑)
そんな私に
「最近よく本を読んでるよね」と声を
かけてくれる方がチラホラいるのですが
私がその時答える答えは
実は本を読むのは幼い頃から好きで
小学校低学年の頃は図書館の伝記を全部
読んだくらい元々本は好きだけど
中学校に上がる前位に
「本で知識を得るよりも
今しか体験出来ない事をすることのほうが
大事なんじゃないかな…今しか出来ない事があるし
本はいつでも待っててくれるじゃないか」って
思って本をわざと遠ざけて自分の中に
知識より体験を多く取り入れてきて…
今の歳になって多くを体験したからこそ
今までお預けしてきた本を読んでるけど
今の私にとって本を読むことは
【自分の体験から得た考えと
本の作者の考えをすり合わせて
答え合わせだったり同感する行為】に
なってるかな…本から知識を得ることもあるけど
知識を得ることだけが目的ではないんだよ。
大切なことはどんな経験でも
人生を【体験】する事が大事です。
そして、絶対に
体験と知識は同じ量でなければ
いけません。
本や情報だけで【知識】を得ても
「他人の知識だけを知って
自分が体験した気になる」事は
大きな間違いを生みます。
たとえ私の10代20代の
やりたいことをやってバカだった私の【体験】も
「その体験から得ることがある」
その【自分で得た体験や経験】は
どんな内容であっても何よりも尊いものです。
高尚な本を読んで分かった気になる事よりも
自分が人生を生きてきた証、
それがバカな体験でもその方が尊いことです。
何故なら…
【それが自分の人生を生きる】事だから
今、自分の人生を生きる
それ以上尊いものはありません。
それがどんな経験であろうとも
その経験から得るものはあるはずです。
(本当にワガママ放題の
バカだった私の10'20代があるように
その経験から得た体験は計り知れません)
そして、その過去があり、今を生きる事も
これも1つの
【過去の体験があるからこそ「今を生きる」】
と言うことです
楽しいことを求める事が幸せではなく
真剣に自分の人生を生きて
今を大切に生きる。そこに悟りがある。
その日々に幸せを感じる事が本当の幸せだと
私は思います。
今の自分を真剣に生きる。
これ以上尊いものは
ありませんよね。
そういう意味で自分をもっと大切に
生きて欲しいと思います。
では、またスピリチュアルブログにて