以前…こんな事を書きました
今回はその補足を書きます。
この以前に書いたブログで
強く言いたい事は…
目に見えるものに
幸せがあるわけではない
快楽という欲に
執着していては
本当の幸福に到達しない
人の声、非難や賞賛の
数で不幸か幸せかが
決まるものではない
他人に委ねたものに
本当の幸せはありえない
大きくまとめると
このような事を書きました
これが本当の幸せを手にする鍵です
ですがほとんどの人は
目に見えるものや
手にできるものの数で
幸せの度合いを計ろうとしています。
ですが…有は無を生みます
終わりのないサイクルの中で
人は躍起になっています
リブログしている上の記事は
私が初めてブログで
スピリチャルな事を書いた文なので
かなり荒削りで読みにくい箇所も
多々あったと思います
なので今回は補足と解説的な
ブログだと思ってください。
そもそも何故…
小学生の頃から予知能力が
あったのに…10年もやってる
ブログで最近明らかにし始めたかと
いうと…
やっと最近になり
神様からの許可が下りたこと。
もう1つは…
深い意味での真理に到達したと
いう事です
予知能力は小学生の頃からありました
人の魂の色が確実に自分に
見えるようになってきたのは
ここ数年前で…それから
透視能力もくっついてきました。
※もっと言えば前から見えていたけど
より鮮明にハッキリしたということ
言うなればこの3つの能力は
時間軸でつながっている能力です
透視能力は 過去
魂の色は 現在
予知能力は 未来 というわけです
ここからが私の魂の試練の
本当の始まりとなります。
【全ての真理を理解し
人に伝え、導いていく事】
今日部屋の掃除をしていたら
3年前にもらった本を見つけました
「この本が貴女を呼んでたから」と
頂いた本ですが…
正直、その時は全ての言葉を
理解できませんでした…
そうです。私自身がその真理に
到達していなかったから。
そして今日たまたま見つけ
3年ぶりに読むと
すべて理解出来ました
これは私のものであると
執着しない人は
これは私にはないと
苦しむことはない
物惜み、慢心、中傷
賢い人なのではない
心が穏やかで、人を怨まず
この言葉誰の言葉かというと…
今になりまたこの本が私の前に
現れたという事は…
あの頃の自分では理解していなかった
真理に到達出来たかどうかを
試されたように思います
魂の試練…
それは本当の幸せを
理解できるかどうか
そして私はそのお手伝い…
あくまでも、こうして言葉や文字にして
個別の宿題を与えるだけです。
私の言葉を聞くだけで幸せには
なりません。
幸せになるには自分の課題
魂の試練に自分自身取り組まなければ
それを掴むことができません。
宿題をもらったからと言って
自分の魂の試練の課題を
やることもやらないことも自由です
ですが…
正しい教えを聞くことは難しく
仏がこの世に出現することも難しい
人間に生まれてくることが
なかなかあることではないし、
その人間に生まれてきたとして、
さらに正しい教えを聞く機会を
得ることはなかなかないことである。
二度とそんなチャンスは
巡ってこないと考えて
良い教えに出会った機会を
大切にしなければならない。
やる、やらない
きく、きかないを
選択することは自由です。
ですが、耳を傾け魂の試練に
向き合っていただけると
幸いに思います