いちごがたべたいなあ 悔しいなあ | にゃんともはなびより

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10年前にであった きき・・わたしは 命を守る・・大切さを しりました。
生かされてる わたしたちは 
せいいっぱい生きなくてはいけない。
いつか 殺処分されるにゃんこが いなくなることを 願います・・・

ずいぶんと ご無沙汰してしまい
なにからかけばよいかわからず
今になってしまいました
3月に  まごにゃん1の卒業とまごにゃん3の卒園があり
4がつに  まごにゃん1の中学入学
まごにゃん3の小学校入学
ここまでは よかったのですが
そのあと 9日に
工房のすぐそばで  仔猫を 保護し
そのあとすぐに 父が11日に緊急入院
病気だときいてから4年  
いつかは くることだと
わかっては いましたが   どうころんでも なくなってしまえば
突然の出来事となってしまうんですね
父が入院して  今日明日といわれ
でも父をみるかぎりそういうふうにはみえなくて
それでも妹にアメリカから帰国してもらい
妹は間に合わないかもしれないと先生にいわれたのが 12日
13日に 妹が帰国
十分まにあいました  
でもその日 仔猫を死なせてしまいました
過信  しすぎたんですね
正直 父の死よりも  仔猫のことを 今もひきずっています
なにをどうかいても いいわけにしか きこえないので
自問自答しておくことにします
7番目の仔として ぴっち となずけて
火葬してもらいました

父は それから  悪くなるスピードが  落ちて
29日の朝方に 息をひきとりました
最後まで 自力でトイレに行こうとしていた父の姿を忘れることはないんだろうなあとおもいます
最後まで 男前でした
今年の7月で81才だったのにね
もう少し いきていてほしかったなあ
最後は 笑ってるような顔でした
葬式までのあいだ  父の顔みてましたが
生前と かわらない穏やかな表情でした
昔の若い頃の父や母の写真みながら  
みんなで  しゃべるあの時間
母は しあわせそうでした
イケイケ娘と ちょっと  悪の父  
駆け落ちして   大阪にきて
父も 入院中  むかしのはなしを  してたみたい
母もたくさんしゃべって
父にとって も 母にとっても  忘れられない時間になったと思います




なくなる2日前に  私が朝 病院にいくと
父がいきなり
イチゴは?
ときくんです
どうやら あとでわかったのですが
母が私に伝えるのを忘れてたみたいで

わたしは そんなことともしらず
なんで  電話してけいへんのん?
昨日はいらんてゆうたから
もってけいへんかった
というと

食べたいなあ
イチゴ食べたいなあ
悔しいなあ
食べたいなあ


珍しく父が  ごねるので
もう ながくはないんやろうなあ

そう 思いました
すぐに 家にイチゴを採りに行き
母にわたしてもっていってもらいました
それが26日やったと思います

いつもなら いちごは5月の連休明けにとれるのに
今年は はやいなあと  おもってました
父は いちごとトマトが大好きだったので
さいごに いちごを食べれてよかった
3週間くらい絶食で
さいごにくちにしたのが
イチゴだった  
うれしそうに食べてたと 母が電話してきたとき
私は  きっと 覚悟をきめてたんだろうなあ

28日夜
しんどそうにする 父の足や背中を じなんくんとさすり
みんなに連絡して
会いに来させた

そして 29日の朝方5時頃
母に看取られて 息をひきとりました
母の手を握りしめ  にこっと笑って

涙がでないのは
なぜだろう

いまもひょっこり  電話してきそうで

でも   本当に 幸せな人生の終焉やったと思います

最後まで父は  尊敬できる  生きざまでした

そして だんなくん をはじめ
家族がみんなよくしてくれたことに感謝です

ありがとう
お父さん  またね

お母さんを たのむよ
と  いってたけど
空からちゃんと見守っててね🎵

まだまだたくさんやりたいことあるから
そっちには なかなか いかないとおもいます

私が幸せにくらしていれば それが 親孝行だと
ずっとおもってきたよ
お父さんもお母さんもそういってくれてたから
だから  わたしは これからも
ずっと  幸せでいたいとおもう

ありがとう
お父さん