続 私が初めてヒプノセラピーを受けた時の話  | フラワーエッセンスセラピストのひとりごと

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前回の続きになります。

 

 

 

 

きらびやかな装飾を施した明かり。

 

人がたくさんいて、周りはとても賑やかで

 

そして皆楽しげに、歌い踊り宴を楽しんでいる。

 

それが自分の結婚式だと分かった時、

 

奴隷の身分の自分が、何故そんな盛大な結婚式をしているのだろうと

 

とても疑問に思いました。

 

でも、だんだんと記憶がよみがえってくると

 

お金持ちの家の娘と恋に落ち

 

婿養子に入ったのだと思い出しました。

 

 

 

その後、更に重要な場面を見るべく誘導されます。

 

 

 

 

 

気がつくと私は、西日の入る自分の部屋で

 

テーブルに突っ伏して寝ています。

 

年の頃は、60歳ぐらい。

 

身体が弱り、病気のようです。

 

自分の部屋は外と繋がっていて

 

庭の庭園には噴水のような水場があり

 

色々な植物が沢山生え、美しい花がたくさん咲いています。

 

部屋はとても静かで、これから日が沈む時間の

 

穏やかな空気に包まれていました。

 

まるで彼の人生のようだと思いました。

 

彼はそこで自分の人生を振り返っています。

 

戦争で焼け出され、命からがら逃げだし

 

家族も住む家も失った。

 

生きるために働こうと思っても

 

奴隷であったために限られた仕事しか出来ず

 

自由に生きることも出来ず悔しい思いをした。

 

思いがけず一人の女性と出会って恋をして

 

お互い心から愛しあったけど、身分違いの恋。

 

大きな葛藤の末、自分を変えようと決意し、

 

それまでの自分を捨てて、婿養子となった。

 

家を繁栄させるために働き

 

跡取りの息子も生まれた。

 

財産を増やし、家を繁栄させ

 

息子は成長して結婚し、立派に跡を継いでいる。

 

自分は望んでいた人生を手に入れて

 

無条件に幸せなはずだったのに、

 

奴隷であることを知られてしまうのではないかと

 

いつも不安に怯える日々だった。

 

 

彼は息子が生まれた時

はじめて幸せと同時に、強い不安と罪悪感にさいなまれます。

 

奴隷であることを隠して結婚したため

何か不幸な事がおこるのではないか

神の怒りをかうのではないか

奴隷である事がバレるのではないか

そんな思いがわき上がり、その思いに支配されるようになりました。

 

そしてその思いは段々と強くなり

彼の精神をむしばむほど、苦しめます。

 

彼はそんな人生を振り返っていました。

 

 

でも、もうすぐ自分は死ぬ。

 

自分が奴隷である事を誰にも知られること無く

 

隠し通して死ぬことが出来る。

 

息子も立派に成長し、結婚して、跡を譲ることが出来た。

 

これでやっと肩の荷を下ろすことができる。

 

 

 

 

そして彼の臨終の場面に誘導されます。

 

先ほど見た場面から、さほど時間はたっていません。

 

部屋の中や外には、正妻や側室、その子供や孫達などの家族

召使いや使用人など、沢山の人が居て賑やかです。

 

息が苦しく呼吸が出来なくなったと思ったら、

すーっと楽になり、身体が軽くなりました。

 

戦争で亡くなった彼の母親が見えます。

 

そこで誘導催眠が終わりました。

 

 

 

私はいつの頃からか

「自分の血が穢れている。」と思っていました。

 

それが何故か分かりませんでしたが

自分は血がけがれているので、幸せにはなれないと

特に10代の頃、無条件に思っていた時期があります。

 

その頃パニック障害になったり、精神的にきつかった時期でもありましたが

自分の中にある思いが、どこからくるものか考えたこともありませんでした。

 

でも、この前世を知ることで、理由がストンと腑に落ちたんです。

前世の自分は、自分は奴隷なので、血が穢れていると思っていました。

 

そしてどんなに幸せな状態になっても、

血が穢れているので神からの祝福は得られない。

そう考えていたんです。

 

でも今の時代や立場なら、

そんなの迷信だって分かります。

 

前世の自分は

宗教や当時の倫理観や常識など

目に見えない足かせによって自由を奪われ

苦しんでいました。

 

今の自分にも

今の時代にも

そういうものがあるかもしれません。

 

自分にとって常識と思えることを見直して

自由に生きることは

 

いつでも

どこでも

誰にでも

できることです。

 

何ものにも囚われること無く

幸せになるために

私たちは生まれてきたと思っています。

 

 

 

本日も最後までお読み頂き

ありがとうございました。