令和8年5月5日(火・祝)13:45〜、わらび劇場にて。
原作/鳥美山貴子(『黒紙の魔術師と白銀の龍』講談社)
脚本/高橋亜子
演出/栗城 宏
作曲/八幡 茂
振付/新海絵理子
美術/宮本博司
人形美術・操演指導/沢 則行
映像/ムーチョ村松(トーキョースタイル)
照明/三重野美由紀
音響/福地達朗
衣裳/武田園子
小道具/平野 忍
ヘアメイク/馮 啓孝
舞台監督/福田桜子
絵(宣伝イラスト)/いとうあつき
キャスト/
悠馬:遠田 雅
啓図:瀬川 舞巴
白圭・黒トカゲ・巨大な黒い鳥:三重野 葵
うつしみ(カニ)・琴音:久保田 美宥
白銀の龍・大友由左衛門:鈴木 裕樹
皇輝・キク:村中 琉奈
智哉:西田 煌志
九是:渡辺 哲
タケ:丸山 有子
農民・フィギュア操作:織田 真奈帆、岸 美帆、東海林 英恵(※7/12まで研究生舞台実習)
ものがたり/
折り紙教室の九是先生が行方不明になった-!
クラスメイトの啓図に聞かされ、悠馬は焦っていた。
黒爪山でつかまえた黒とかげが原因かもしれないと思ったからだ。
生きていたはずの黒トカゲは、折り紙になり、部屋でまた動き出し・・・怖くなって先生に預けたのだ。二人は先生を探すため、山頂の岩屋へ続く禁則地に足を踏み入れる。
そこに現れたのは、少女うつしみの魂を宿すと話す、折り紙のカニだった。
うつしみにより明かされる、黒爪山に秘められた過去の真実。
古よりこの地に眠る白銀の龍と、この地を呪う一人の男・白圭の存在。
黒い鳥の呪いが町に迫る時、二人の少年が起こす奇跡とはー?
(公式サイトより)
作品の正式なタイトルは、
フィギュアシアター『黒紙の魔術師と白銀の龍』the Musical
とのこと。
秋田県出身・在住の鳥見山貴子さんがお書きになった児童文学を劇団わらび座が舞台化した、わらび劇場の今年度の新作である。
この小説を舞台化する、という選択。そこに登場する動く折り紙たちを人形で表現しようというアイディア。物語と手法の両輪が揃って、初めて表現できるものがあるのだ、と初日の公演を拝見して感じた。
まだ開幕したばかりのロングラン公演なので、感想を書くにあたってこれからご覧になる方の興味を削ぐような書き方はしないつもりだが、ある程度のネタバレは含まれるので、まっさらな状態で観劇されたい方はご注意ください。
※ ※ ※
物語は少年たちの夏から始まる。
夏休みにはまだ少しある暑い日に、山へクワガタを捕りに行く中学生たち。
左は、主人公 悠馬を演じる遠田雅さん。
昨年度に続いて、わらび劇場公演の主演を務める。いまどきの少年らしい軽やかさとナイーブさ、多少の鬱屈もありつつごく普通に暮らしていた彼が、あるものと山で出会うところから物語が始まる。
中央は、悠馬のクラスメイト 啓図を演じる瀬川舞巴さん。
周囲から孤立しても、好きなことにまっすぐでいようとする少年。彼の大切な居場所である折り紙教室の九是先生が姿を消したとき、彼もまた新たな一歩を踏み出すことになる。
右は久保田美宥さん。うつしみという名のカニ(?)を演じる。
彼女の衣装や姿を見ていただくとおわかりになるだろう。現代の中学生たちとは異なる時代に生きた人物だ。
ストーリーは悠馬たちの暮らす現代とうつしみの生きた過去との2つの時代にまたがって語られていく。
うつしみや彼女に深い関わりのある白圭という男の身に起きた出来事が、悠馬たちの暮らす現代に影響を与えてくることになる。
過去の悲劇に端を発した禍々しい力と、少年たちはどう立ち向かうのか。
悠馬の同級生でわんぱくな皇輝と白圭の妻 キクを演じる村中琉奈さん。
一見ガキ大将めいた言動の少年だが、そういう彼が過去の出来事を気にしていたりするなど、ステレオタイプでない繊細な人物の描き方もこの作品の見どころかもしれない。
過去の場面で演じるキクの温かい誠実な人柄と、異なる2つの役をそれぞれ丁寧に演じてらっしゃる印象だった。
左は悠馬のクラスメイト 智哉と大友由左衛門の家臣を演じる西田煌志さん。昨年の舞台実習を経て、晴れての初舞台だ。
初々しいと感じてしまうのは、初舞台だと知っているからかもしれない。少年が勇気を振り絞る台詞の真摯さが印象的だった。
右は、啓図の通う折り紙教室の九是先生を演じる渡辺哲さん。
包容力のある優しい人柄を感じさせる演技に安定感を感じさせる。またパペットの操作などでも活躍されていた。
写真が撮れなかったのだけれど、タケと近藤さんを演じる丸山有子さん。
うつしみの育ての親であるタケと折り紙教室の生徒 近藤さん。それぞれに優しく頼もしい雰囲気が印象に残る。
フィギュアを操作したり、農民を演じたりされている、織田 真奈帆さん、岸 美帆さん、東海林 英恵さん。
わらび座研究所の研究生で、舞台実習として7月12日までこの公演に参加されているとのこと。
慣れないこと難しいこともたくさんあるだろうと思うが、約2ヶ月のあいだ元気に作品を支えてくださいますように。
鈴木裕樹さん。
このビジュアルは啓図と同じ折り紙教室に通う屋敷さんのときのもの。優しいお兄さんという印象だ。
けれど劇中では他にも印象の異なる役を演じる。
大友由左衛門、過去の悲劇の元凶となる人物だ。
鈴木さんがこういう冷酷なキャラクターを演じるのを拝見するのは初めてのような気がする。
一方で、白銀の龍(フィギュア)の操作と声を担当して、人ならざるものの神々しさを表現する。
看板役者のひとりだが、主演舞台では拝見できないタイプの役柄をこうして観ることができて眼福だった。
紙漉き職人の白圭を演じる三重野葵さん。
残酷な運命(というか、大友由左衛門の理不尽な施政)に翻弄される人物だ。悲しみや絶望など強い感情を抱える役柄がニンにあって、ハマり役といえるだろう。
そんな白圭の妄執が呪いとなり、悠馬たちの生きる現在までこの地に留まる。恐ろしい力で人間を操り、紙を折り続けさせ、生み出された黒い鳥の大群が人々を脅かす。
……けれど、その妄執は復讐や憎しみに向かうものではなかった。大切な人を守るために、命じられた仕事を続けようとしているだけなのだ。
その胸のうちを思うと切ない。
他に、黒トカゲと黒い鳥のパペット操作も行う。
単に操作するというのでなく、演技と地続きの動きが美しい。これは他の方の操作するパペットについても同様に感じられた。
劇中に「好きなことにまっすぐで、何が悪いんだよ!」という台詞がある。
少年たちの何人かは、周囲の反応が気になって自分が本当に好きなことを好きと言えずにいる。周りに笑われたり、馬鹿にされたりした経験が彼らを臆病にする。
……あれ?
そういう若者について、他のわらび座作品でも描かれていたのを思い出す。
近年のわらび座の作品、例えば今年度もツアーを予定している『真昼の星めぐり』に登場する女子高生のめぐる。
生き物が好きなのに、それを家族から馬鹿にされ、学校でも周囲のノリに合わせるだけで、好きなことを好きと言ったり、イヤなことをイヤと言ったりできないでいる。
あるいは『青春するべ!』のけやき。自分の好きなことを笑われた経験から「普通」であることに執着し自分を隠そうとしている。
自分らしく生きることが難しい時代なのだろうか。わらび座の表現してきたさまざまな「生きる力」。いま、生きるために必要なのは、自分らしく生きる勇気なのだろうか。
作品ごとに脚本家や演出家が異なっているにも関わらず、その時期ごとに団体の作品に共通するテーマが現れてくるのは意図されたものなのかもしれない。
たとえば東日本大震災のあと、しばらくの間わらび座はたくさんの作品を通して「鎮魂と再生」を描いてきた。
大きな災害でたくさんの人が大切な人や故郷や心安らぐ暮らしを奪われたばかりだった頃のことだ。
津波にさらわれた姉を探して浜辺を彷徨い続ける少年。
降る雪を天国からの手紙だと手を差し伸べる少女。
妻を亡くし、死場所を求めて山へ分け入る男。
亡き母のために自らの手で真っ白な花火を上げたいと願う少女。
失われた人の魂の平穏を祈り、残された人々がもがきながらも生き続けることを願う、そういうたくさんの作品たちが生み出されてきた。
そしていま、わらび座が描こうとしているのは、当たり前の暮らしの中での生きにくさ、そして自分らしく生きるための勇気、なのかもしれない。
白圭やうつしみは、権力や時代に翻弄されて自分らしく生きることができなかった。
けれど、いま私たちを「自分」から遠ざけるのはそういう強大な何かばかりではない。周囲の目線、空気を読むこと、対立を避け、本音を隠し、表面だけの付き合いばかりが増えていく。そんなこともあるのではないか。
悠馬がクラスメイトに助けを求める場面がある。本音を口にし、自分たちの事情を話し、やらなくてはならないことを手伝って欲しいと頼む。
それを聞いてクラスメイトの何人かが、人に言えずにいた自分の大切なことについて打ち明ける。
勇気は勇気を呼ぶ……のかもしれない。
(カーテンコールでは撮影可ものこと)
初日を観た帰り道、原作を購入して読み始めた。
紙の本で購入したかったが、待ちきれなくてオンラインでの購入となった。
小説と舞台で異なる部分ももちろんある。それでも、この小説の大切な部分はきちんと、あるいはより明確に舞台で表現されているという気がした。
物語を生かすキャスト陣のパフォーマンス。不思議な生き物(折り紙)たちを具現化させたフィギュアシアターの技法と魅力。人形たちをあやつるキャスト陣の手腕と物語を補完する映像のポテンシャル。美しい美術や多彩な小道具。印象的な衣装、照明、音響、どの部門を見ても気迫を感じる。
遠方ゆえ、すぐにというわけにはなかなかいかないけれど、またこの舞台を観に行ける日が待ち遠しい。