先日、職場の人に言われました。
「木苺さんの病気でも『寛解』っていうのにはなるの?」
それを聞いた意図がわからずでした。
私がいつまでも病気なのがおかしいとでも?
と、ひねくれものになってしまいます。
日本語、ややこし
サルコイドーシスも寛解になる方はいらっしゃいますよね。
それは伝えましたが、きっとなんかそういう意味で聞いたんじゃない気がしました。
気にかけてくれてるという感じには受け取れず。
そこは謎のままです。
受診のときに、脳内先生に聞いてみました。
「寛解って、私もなりますか?職場の人に言われて」
脳内先生はインターネットのホームページなんかを見せてくれながら話してくださって
「サルコイドーシスが脊髄に出た人で寛解はなかなか」
と、見ていたサイトに書かれている数字を指さしながら話してくださいました。
「ネット上で見る寛解率は、ちょっと高い気がする」
みたいなことをおっしゃってました。
「心臓や神経となると、また全然違うから」
って言われました。
他の部位に出ている方たちも、治療して寛解という状態になる人たちって、現実問題どれくらいいるのかなって、私は思っちゃいます。
意外と少ない気がするんですよね。
いろんなサイトを見ていると、そこに書かれているサルコイドーシスの自然寛解率、寛解率って結構高いんですよね。
なので、職場の人からは
たくさんの診療科に通い続けていたり
薬をたくさん飲んでいたり
しんどそうにしていたりすることを
疑問視してる?って感じてしまうようなことを言われることがあります。
というか、心配してくれていても
私が素直に受け取れなくなってるのかもしれないです。
大げさな奴
嘘なんじゃない?
とでも思っているのかなぁって。
どんな病気でも、「病状、症状」の重さは人によって全く違います。
平気そうにしていても、すごくツライときもあります。
隠せる範囲のツラさやだるさは、隠そうとします。
最近は職場で病気のことを聞かれると
『心配してくれている』と感じるのではなく
『探りを入れられている』と感じてしまいます。
ひねくれものになっています
ずっとつきあっていくしかないんですよね
との脳内先生からの言葉
私が不安を口にすると言われます。
《木苺のココロ》
サルコイド君とずっとつきあっていきます
なので脳内先生も一緒におつきあいください