【舞台演出家 小池博史 ロングインタビュー その7】 | 小池博史ブリッジプロジェクト公式ブログ

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稽古情報や制作の日記などを書いていきます。

創作の現場が何よりも好きな人間が今後の舞台創作について、
ここ最近の社会情勢の中で少し揺れている。

そんな言葉もあったインタビューです
 

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Q:社会が一気に変化してきている今、自分が生きているこの時代だけではない、これからの人が生きていく未来のことを考えていかなくてはならないと聞きました
 

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「そもそも人間として当たり前のことなんだけれど、特にネイティブの民のような自分たちの中に神話を持っている人たちは長い時間が基軸にあったよね。
でも経済が化け物のような力を持つようになると、短期でしか物事を考えられなくなり、また経済的豊かさがあればなんでもできると人は勘違いしてしまった。
でもね、こんな混沌とした時代になると資本主義も民主主義も含めて、人間とはどうあるべきなのかが問われるようになってきた。

 

これはねえ、日本がまずいということだけではなくて世界中が同じような状況になっているってことなんだ。どこもかしこも自分中心主義になって、総体、全体、他者を考えなくなった。だけど、否応なく他者が入り込んでしまう時代だからね。他者を考えるのもまた経済でしか、考えない。

 

極端な言い方だけど、人と人が関わることが、経済がグローバル化した時代になってしまうと、極端な大きな枠組みの中で、単に経済を回していく歯車としての意味しか持たなくなってしまった。お金がないと何にもできない。そして金を持っている人が偉く思える、そして実際に大きな権力を持つ。発言権も持つ。だからわかりやすい言葉を発する人が尊ばれる。なんでもわかりやすさ。脳が弱くなるわな。当然。

 

アートなんてのは、わかりやすいものじゃない。先を読みつつ、形にするのだからね。だからさ、真っ先に経済が厳しくなると切り捨てられて、好きな奴がやっているもので、金にならないアートなんてのは意味がないと見なされる、あるいは権力に擦り寄った者が勝つようになる。権力とは結局、金だからね。
つまらない時代になったよな。

難しい時代になってしまったな、とね。

ここ10年くらいで人類の未来は決まってしまうのかなと思うしね。」

 

 

Q:地球の環境汚染が気候変動を引き起こし、生物の命を奪う時代になった。今後のクリエーションはそんな中でどのような方向にいくのでしょうか

 

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「わかりません、としかいいようがないなあ・・・

 

(作品を作らない人になるということもありますか)

 

あるよね、そういうことも。結局舞台を作るには資金が必要だからね。出演者にもそうだし。今からやろうとしているマハーバーラタでもそうで、どうやって支払っていくかがとても大きな問題だよね。それがすごく大切なんだが、本当にお金がどこからも出なくなり、出ても小額になりつつある。まあ、これもまた経済の問題だね。創作する方では大きな問題だな。わかりやすい作品、万人受けする作品が求められる。まあアートじゃあないわね。

 

果たしてこんな中で物を作ってやっていけるのだろうか。

僕は人の下についたということがないので、結局全部自分で開拓していったんだよね。スロームーブメントにしても、いろんな人がやっているけれども誰かがやっていたから自分もやってみようと思ったわけではなくて、あくまで自分がいろいろと考えていく中でどういう可能性があるのか。市民とのWSで年齢も関係なくできることって何か、とか考えていったんだよね。で、やってみたら面白かった。

 

はじめは自分がやってみるんだよ、まずは自分自身で感じてみる。ああ、なんだろうこの不思議な感じは、と思ったんだよね。

物事を自在に見る感覚って、教育の問題とも深く関係していてね。規定されたとおりに解説されたことしか理解できない、コンプライアンスの範囲で物事を伝えていくのでは自在さは生まれにくいよな。
こういうことばかりやっていたら崩れるのは当然だよ、と思います。コンプライアンスではないところが重要なわけで。

 

こんな時代をどうするか。

例えばれいわ新撰組の山本太郎がいるじゃないか、という人がいる。彼が言っていることは全面的にではないが、かなり正しい。でもそれだけじゃダメなんだ。この人を支えていく人がいなければ。そうじゃないと山本太郎は、はねっかえりでしかなくなる。その人が力を持てるような時代や人間によるバックアップも必要。そうしていかないと、この時代はなかなか変わらない。が、変わる可能性はあるのだろうか、日本は。ないとは思わないが、ドラスティックな変化を生み出しうる局面で、よくぞ、と思えるくらい失敗してきたからな。」

 

 

Q:“自分は同意できないけど、皆と違う意見を言ってひとりぼっちになるのも怖い”という感情があると、できないことも多いですね

 

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「うん。ただ危険なのはファシズムの始まりは忖度、自己規制なんだよね。これが始まったということはもう危ないんだよね。そういう時代になってしまったよね。そして政権の横暴さは目に余る。それを黙ってしまう人たちが多すぎるのが本当に危機的。

いろんなことが同時に起こっている、それがこの世界だと思うんだよ。本当はね。舞台創作ではそこをどう切り取るか、ということが面白いと思うんだ。

でもそれが難しいんだよ、日本という国は。なぜなら枠でしか物事を考える力がないからねえ。つまり自在性が弱いんだ。批評家なんてのが一番厄介でね、頭の固い人がやるからねえ。そして自在であることを厭うのが、日本の社会だからね。」

 

 

Q:いろんなこと、というと小池作品を観て、お客様からさまざまな感想をいただきます。例えば「~という映画のシーンを思い出した」というような感想を頂くことがありますね。

 

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「まあ・・・ああそうですか、くらいにしか思わないかなあ。

特に批判に関してはあまり聞きたくもないし。褒められるにしても、とても刺激的な言葉で伝えられたらうれしいけど。

ゆっくりしたシーンを見ると“タルコフスキーの映画みたいだ”とか。そういうこと言われると、じゃあそういう風に見えないように作ろうとか思っちゃうよね。

 

例えばうれしいのは、子どもが踊りだしちゃった、とかね。そういうことって理屈じゃないよね。脳を通して考えてそういう行動になっているわけじゃないから。

 

あとはスロームーブメントを体験したあとに参加者からぐわっと何か感情が出てくる感じがあるけど、あれって嘘じゃないんだよね。そういう感情を俺自身も感じられるとああ、よかったなって思うんだよね。

 

僕は感想は読まないんだ。作り手にとってはどうでもいいことだから。

あんまり俺自身に感想を言ってくれる人はいないしね。よかったという感想を言ってくれる人もあまり、いない。おおむね黙ってる。

良かった、ということを明確に説明できる人がいないのかもしれない。マイルス・デイヴィスが人に作品を褒められると“お前みたいなのに褒められてたまるか”と言っていたらしいけど。」