8年前に母から住宅型有料老人ホームに入所で

通帳とキャシュカードを預かりました。

それまで親がいくらお金をもっているかは

知りませんでした。

長い間の諍いの末、やっとの入所でした。

1000万円くらいは持っているだろう

87歳だったので5年間分の介護費用は

何とかなるだろう~92歳くらいで母も

亡くなるかもと予測してでした。

父が14年前に亡くなった時は兄が

父の名義通帳は全部母名義に変えて

私はめくら判を押したのでいくらあったのか

知りません。

その父も地元の介護サービス付き有料老人ホームに

5年半お世話になりました。

父のホームの支払い母がしていたので正確な額は

分かりません。

20年前の話しで当時は今と比べて

安かったかもしれませんが、

7、800万円くらいは使っただろうと思います。

母は住宅型有料老人ホームは月17万円前後に部屋の電気料、

オムツ代、母の小遣い1万円で月20万円で5年間で

1、200万円と地元介護サービス付き有料老人ホーム

立て替え代含めて16~17万円3年間で600万円で

8年間で1800万円くらい使いました。

二人の介護費用は2、600万円使ったことになります。

父が75歳以降は収入は国民年金だけだったので

母が87歳まで実家で暮らした生活費補填分もあります。

今から逆計算でして予想してみると、

私の両親は老後資金として二人で4、000万円くらい

持っていたのだろうと思います。

安倍総理が老後資金一人2、000万円と言っていた金額は

妥当な金額だと思います。

 

父は誰に聞いても優しくて真面目に良く働く人だったと言いますが、

家の中のことは母に任せきりで無関心でした。

その母はケチで私達には親の世話は子供がして当たり前と

いう考えの人なので帰省の費用もくれたことはありません。

遠距離介護16年、10年くらい前に大喧嘩の末

親の用事での帰省の費用の実費は出してもらえるようになりました。

それまでは私のパート代の2、3か月分は親に使われていました。

 

そんなにお金を持っていたなら

私達が学費で大変な時に応援してほしかったな~

本当、ケチな親だわ~

 

残ったお金はアンタにあげるわ~と言われ

こき使われました、、、

 

あとの母の葬儀代や実家や墓終いをしたら

いくらも残りませんてば、、、

 

両親が自分達の介護費用を持っていてくれたことには

感謝しています!!!

 

私達にはそんなに老後資金はありません。

健康寿命頼みです。

 

でも、反面教師の親を持ったがゆえに

自分達の力で生きてきました。

それだけは自慢できます!!!

 

いつもモヤモヤとした悩みから解放されることはありません。

どうでもいいような小さな問題ですが、

気にし~の私の性格の為です。

 

母が特養に入所してから3週間、

母からは電話でテレビが見られない、

鉛筆、ノートなどの文房具が欲しいなどと

特養のケアマネさんに電話してテレビの事は頼み

文房具は送っていいか確認の電話を入れました。

お忙しいだろうからいつ電話をしたらいいだろうかとか

何て言ったらいいだろうかと悩みます。

母は出来ないこと認めません。

そのくらい出来ると言います。

母の生活能力がどれくらい残されているのかは分かりません。

母の認知能力は正常なのかも分かりません。

私に電話をかけて文句を言ったり、

物を要求するときは正常ですが…

前ホームのケアマネさんもそういうことは

特別問題なければ大きく受け止めてくれて

私に報告まではしてきませんでした。

 

 

送っていいとの了承を得て送りました。

 

 

色鉛筆はケースから取り出せないだろうと思い

バラしてジップロックに入れました。

色鉛筆の1本1本にも名前を書いています。

それら全てが入るお道具箱のような箱があったので

入れて送りました。

特養には送ったことを伝え箱の中を確認して

そちらの判断で母に渡すように頼みました。

 

母に書く力など残ってないかもしれないけど

見栄ぱりなので持っていたいのでしょ~

出来ないでしょう~けど

ダイソーで見つけたぬり絵2冊も入れました。

 

終の居場所の特養の母の持ち物は僅かな着替えと

バスタオル、フェイスタオルとテレビだけでした。

有料ホームでの8年間は一人部屋で実家をゴミ屋敷にして

這いずり回って生活した時よりも快適に過ごし

贅沢な生活をしてきました。

その生活に慣れ切っていたので、

認知症になってない母は

その落差を感じているかもしれません。

私も介護費用の問題があり、

待ちに待ってやっとの入所でしたが、

哀れに思い可哀そうな気もします。

母からの電話は鬱陶しいとも思いますが、

特養で許される範囲のことは叶えてやろうと思います。

 

私の心もああ思ったり、こう思ったり

揺れて疲れます。

 

 

 

 

 

コロナ禍から年明けからの初詣を止めて

年末にお参りに行くようになりました。

我が家は奈良県桜井市にある大神神社(おおみわじんじゃ)に行きます。

素麺で有名な三輪ソーメンの郷です。

由緒ある日本最古の神社です。

そこで古いお札を返し、祈祷してもらい新しいお札を

貰って帰ります。その時にお清めの御砂も買って帰り

年末の掃除の時に家の周りをお清めして御砂もまきます。

 

 

我が家は庭のない小っちゃなお家で家の前には5mくらいの長さの

小さい溝がありその上にグレーチングがあります。

9枚に分かれていますが、結構重たいのでそれを上げて

溝掃除するのが面倒です。とうとう年末は寒さに負けて

しないままズルズルと今までしないままに、

やっと重い腰をあげてしました。

グレーチングを上げて溝に溜まった落ち葉などを掃除し

家周りと共に水をまき塩、酒、御砂をまきました。

 

次女はこの家で生まれました。

その当時は下水道が通ってなくて、生活排水、台所の水やお風呂の水

洗濯後の水は我が家横の用水路に流れ、近くの川に流れていました。

30年前に家の近くに新しい道路ができ下水道もできましたが、

ご近所さんの台所の生活排水が今は流れていませんが、

この溝に流れていたのでそのなごりです。

その用水路はお隣の昔から住んでいて数年前に

亡くなった人の話しですと、

その方が子供の頃は小魚もいて綺麗で

農業用水に使っていたそうです。

 

次女が3歳の頃急に体調不良になり、元気がなくなりました。

幼子ながら暗い表情になり声も小さくなり会話もしなくなり

遊ぶことなくゴロゴロするようになりました。

病院に行くと原因は分かりませんでした。

その状態は幼い子でもおかしい明日も続くなら

入院の準備をして来るように言われ、

検査することになりました。

私の実家では何か分からない気になることがあると

みてくれる人がいて両親は「さわり」と言っていました。

何か「さわり」があるんじゃ~ないかと、

父がみてもらいに行ってくれました。

すると、不浄にあたっていると言われました。

その人は我が家のことは話してないので知りませんし、

大阪と大分と離れているのに見えるようで

家の近くに川があり次女の汚れ物の水を流したので

不浄にあたったと言われました。

そして、綺麗な水を流し、塩をまき、お酒をまくように

言われました。

すると、みるみる次女が元気になって

普通になり病院に行かなくて済みました。

その時に見えない何かがあることを実感しました。

それ以後のおまじないのようなものですね、

お清めをすると守っていただけるとホッとします。

 

私は今も苦しい時の神頼みくらいの信心しか持って

いませんが、人間の力では計り知れない何かがあると

信じています。

昔からの言い伝えなどもわけがあり、

悪いといわれることはしないようにしています。

 

我が家は19年前に家を建て替えた時、神棚を設けていません。

実家に相談した時、作ってもちゃんとホコリを溜めないようにし

お水を替えたりのお守りをしなかったら

かえって悪いから作らない方がいいと言われました。

友達は高い所に神棚があるので年と共に大変と言っています。

踏み台に乗るのも怖いし、手が伸びないし、

友達は何年か前に踏み台から落ちたこともあります。

いつまでできるかと~

 

お隣さんはもうすぐ70歳、

今も病院の看護師さんのお手伝いの仕事をしています。

 

「もう、無理したらアカンよ~

 私らの年の人が骨折やケガで運ばれてくる人

 多いで~」

 

 

 

 

 

 

 

 

帰省から帰って1週間後の母からの電話です。

 

母 「アンタ、何もか持って帰ってしもうち(しまって)

  何にもね~(ない)えんぴつもねえ~(ない)

 

私 「特養の規則があって、

  それに合わせて用意するしかないんよ~

  介護士さんに頼んで~

  介護士さんの判断で私に連絡があるから~」

 

早速です、、、

いろいろ大変やったろ~疲れたやろ~とかの

労いや感謝の言葉などありません。

 

今、母に字を書いたりする能力があるかどうかは分かりません。

数年前にJAのお金を介護費用に充てる為、

JAの人がホームに来てくださり振替用紙を書かせる時に

苦労をしました。何度も間違うので

職員さん2人の内の一人の方が近くの支店に

用紙をもらいに行ってくれました。

母は自分ができないことを認めません。

 

今回の帰省時も母から裁縫道具が欲しいと電話があり、

最近入った入所者さんが昔は着物を仕立てをしていた人がいて

縫物をしているので、

自分もズボンの裾上げくらいできるのでいたいと、

ホームのケアマネさんに聞くと

「無理です。できませんし

 管理ができないので危ないので持たせないでください」

と、

 

その前の帰省時は住宅型からの引っ越しで冷蔵庫が置けないので

実家に持って帰りましたが、今のホームも小さい棚に置けるような

冷蔵庫をみんな持っている、持っていないのは私を含めて二人だけ

やから買って来て~と

母の話しを真に受けた私達は地元で売っていそうな電気屋さん、

ホームセンター4店舗を探し回りましたが、

どこにもありません。

母に持っている人にどこで売っているか聞いてと言うと

 

「みんなボケた人ばかりやから分からんわ~」

 

ケアマネさんに聞くと

 

 「持っている人は二人だけです。

  むしろ、持たせないでください!!!

  ○○さんは○○の数値が高いので

  管理ができなくなので」

 

と言われました。

母はいつまでも嘘をついてでも

自分の見栄や我儘の為に私を使おうとします。

 

今回も

 

母 「またそげんこつ言う!!もういい!!!」

  (また、そんなことを言う)

 

と電話を切りました。

 

認知症にならない母も可哀そうなもんだなあ~

いつまでも欲からも解放されず、

自分の感情に振り回されて

不満や文句ばかり言わないといけない、

こちらも大変だけど~

 

それに比べて義母96歳は

現世の俗事の全てを忘れ~

解放され~

ある意味幸せそうです、、、

 

 

 

 

 

 

 

   

3月から今日まで母の事で瞬く間に

日が過ぎてしまいましたが、

やっと、私の生活に戻ることができました。

とは言っても相変わらずのバタバタ生活、

昨夜は4時頃から10時まで孫守、

長女が同じ単身赴任留守番家族の人との飲み会でお出かけ

孫に夕食を食べさせて、風呂に入れ、パジャマに着替えさせて

歯磨きさせて長女をお迎えに行き一緒に車で帰すまでです。

婿が単身赴任を終えるまでは私達のサポートは必要です。

 

 

 

久々にスーパーに行くと何て言うことでしょう~!!!

台湾パイナップルが1玉321円!!!

こんなに安い値段みたことないわ~!!!

品出し中の店員さんに~

 

私 「ワア~安っ!!!

  今まで見たことない値段やわ~

  半額やね~」

 

店員さん 「本当、安いですよ~!!!」

 

私達の会話を聞いた近くにいた若いカップルさんが反応

 

私 「安いよ~これ美味しいのよ~

  芯まで柔らかくて甘いのよ~」

 

若いカップルさんが1玉買って行かれました。

 

私 「私が売ってあげようか~」

 

店員さん 「プッ~」って笑い

 

2玉買って帰りました。

 

大阪に住んで43年、私も立派な大阪のおばちゃんです。

ケンミンショーでお馴染みの誰とでも話すし、

お節介やき、聞かれたら何でも答えるし~

大阪の暮らしが合っています。 

 

 

 

やっぱり美味しい台湾パイナップル!!!!!

 

今年は安いのかと思いましたら、

何故だか分からないけど、そこのスーパーだけ

他店は698円で売っていました。

 

ラッキー!!!


 

5月で95歳になる母です。

認知症にもならず元気な母も超高齢者で

終わりに近い人なので終の準備も必要です。

3年前に地元の介護サービス付き有料老人ホームに

帰って来た時に、父の葬儀でお世話になった

葬儀社さんにお願いに行きました。

今回もホームが特養に変わったので

お願いに行きました。

ついでにどのくらいかかるか費用も聞いてきました。

 

 

家族葬で4人プランの料金です。

封建的な田舎ですが、やはり、時代の流れですしょうね~

家族葬が増えたのでしょう~

4人までの通夜の宿泊費用は含まれています。

祭壇の生花代、お料理代、遺体の搬送費用は別料金です。

お寺さんの法要代や戒名代は別にかかります。

 

それはお寺さんに聞いてくれと言われました。

我が家は浄土真宗ですが、

浄土真宗は比較的安いと言っていました。

父の時は戒名代は20万円でした。

母が払いましたので法要代お礼も含めてかもしれません。

 

お料理は近くにコンビニがあるのでそちらで

お弁当を買われる人が多いですよ~と

我が家も家族葬で私と旦那と二人でするかもしれません。

40年近く前に親を捨てた兄に連絡するかどうするか

今だに迷っています。

2年前に母に聞いたところ

 

母 「どっちでもいいアンタに任す~」

 

と言っていました。

 

親の世話は何もしてないくせに兄貴風を吹かせて

ごちゃごちゃ言われたくないけど~

亡くなった父が言っていたように実家の家屋敷や

山、田畑をお墓を継ぎ後始末を任せたいという

思いもあり迷っています。

 

私の個人的な考えですが、

お葬式は故人を弔う為でもありますが、

残された人達の為にお別れの場を作り

その後も生きていく為にするものだ考えています。

故人も死んだら無になると考えています。

死んだあとに盛大なお葬式などする必要はなく

死んでからお墓の花などを手向けるよりも

それよりも生きている間に後悔のないようにする方が

大切だと思っています。

なので、母の葬儀はシンプルに丁寧に見送りますが、

子供達は子供達の仕事や生活があるのであえては参列は

望んでいませんが、

10月か11月頃に長女、孫、次女を連れ母の面会の為に

帰省しようと思っています。

その方が母が喜ばすことになると考えています。

 

 

 

 

故郷の味は帰省する度の楽しみです。

故郷の食べ物はほっこりさせてくれ

疲れた体を癒してくれ優しく迎えてくれます。

故郷を離れて43年、やっぱり、口が覚えている

生まれ育った所の口に馴染んだ味が一番合います。

 

九州の醤油がメジャーになり関西のスーパーでも買えて

嬉しく思っています。

結婚当初はネットもなくこんなに所によって味の違いがあり

味噌醤油も味の違うことも知らず苦労しました。

 

皆さん、九州の醤油は甘いと言いますが、

私から言うと他の地方の醤油はしょっぱいです。

 

大分県臼杵市(うすき)にはお馴染みのフンドーキン醬油以外にも

カニ醬油、富士甚醤油(フジジン)とあります。

私としては醤油はカニ醬油が好きですが、

大阪では売っませんし、地元のスーパーでも

売ってない店もあるので帰省の折に

地元トキワデパートの故郷の味コーナーで買って

帰ります。他にも焼肉のタレ、唐揚げの素なども

とても便利で美味しいです。

 

 

いつもの宿の予約が取れず、違う宿にしました。

 

朝食

 

 

夕食

 

 

夕食

 

いつもに宿は懐石風の食事でした。

連泊する私達に気遣い毎日少しずつメニューを

変えてくれていました。

味も良く見た目も綺麗なお料理でしたが、

毎日外食していると飽きてきます。

家庭の味ぽい方が一番です。

今回のお宿は簡素なお宿ですが、

旦那が家で食べてるようで食事が美味しいし、飽きない!!!

こっちの方がいいと、、、

味付けが合うので苦手な物でも食べることができました。

私も故郷の味がしてほっこりしました。

1泊2食付きで8200円でした。

 

 

 

 

私達が乗船するサンフラワーです。

 

 

 

 

別府は観光港なので豪華客船も来航します。

 

 

Regatta(レガッタ)という船で南米から来たと

ガードマンさんがおっしゃっていました。

観光を終えて18時には釜山に向けて出港するそうです。

来週から毎日豪華客船が来るとおっしゃっていました。

 

 

サンフラワーの船内

 

 

特養に入所し仲良くしていた同じ集落の人に

8年ぶりに会った母です。

入所当日、私達が特養の人とお話しや

契約書類を整えている間に母は食事を終え

おばさんと仲良く話しをしているように見えました。

もう、早速、おばさんの悪口 

 

母 「あん人は自分とこの自慢話ばかりじゃ~

  子供の自慢と孫自慢ばかり~」

 

私 「お母さんも私の事をいくらでも褒めて

   自慢してくれていいよ~」

 

私からするとおばさんは子供達や周りの人が

してくれることに対して感謝の気持ちが強いだけです。

それに対して母は不平不満ばかりで満足していないので

感謝することがないだけです。

 

私がおばさんと話しているのが気にくわず

車いすをゴソゴソし始めました。

慌てて介護士さんが飛んで来て

 

介護士さん 「あら○○さん車いすの操作お上手ですね~

      どこに行かれるのですか~        

      まだ慣れてないので一人で移動しないでくださいね~」

 

母は一方的に自分勝手な話しをするだけで

人の話しを聞いたり人と話しを合わせたり

することができない人なのです。

私達が久しぶりに帰っても自分の気に入らないことがあると

ありがとうね~も気をつけて帰ってね~もなく

プイっと背を向けて自分の部屋に帰ってしまいます。

 

もうすぐ95歳、認知症にはならないようだけど

死ぬまでこの性格は治らない人だわ~

あちゃ~ダメな人だわ~!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

神社の参道の桜

 

 

 

ローカル線の駅前

 

 

 

駅周辺

 

 

実家周辺

 

 

実家周辺

何年経っても変わらない景色

母が亡くなったら縁がなくなると思います。

あと何回この景色を見ることが

できるでしょうか~

 

用事の為の帰省ばかりで春に合わせて帰ったことはありません。

満開の桜を見ることができました。

 

 

 

帰りのフェリーから写した明石海峡大橋大橋です。

瀬戸内銀座と呼ばれているほど大小の船が航行しています。

四国の内海を通る航路なので一晩中漁船だったり、

貨物船だったり、いろいろな船も見られるし、

対岸の広島の工場などの夜景も遠くから見ることができます。

 

 

朝日が昇りゆくにつれ刻々と変わる景色を

眺めるのが好きです。

 

特養の介護士さん達はとても忙しそうです。

私達を応対中も途中で席を外されます。

母の特養はクリニックが運営しています。

クリニックの先生にもご挨拶をしておこうと

手土産を持参していました。

いつどんなタイミングで伺ったらいいか

通りかかった年配の女性に聞こうと声をかけました。

 

私 「今からお世話になる○○です。

  クリニックの先生にもご挨拶がしたいのですけど~」

 

女性 「ご挨拶が遅れましたけど~  

   ここのホームの施設長ですが

   電話番をしているだけです。

   ここのホームもクリニックも

   私が作り運営もしています。

   なのでわざわざご挨拶はいりません。」

 

私  「知らないとはいえとんだ失礼をいたしました。

   これからよろしくお願い致します。

   ホームと同じ品物ですが

   ご用意してきましたので

   受け取ってください」

 

女性 「こちらこそここのホームに

   入所してくださりありがとうございます」

 

 

車の中に置いてあった小倉山荘のをぐら春秋を

旦那の取ってきてもらい受け取ってもらいました。

 

何とその年配の女性が施設長さんでした!!!

とてもとても腰の低い施設長さんで、

こんな方なら入所者にも働く人達にも気配りできて

思いやることができる人だろ~なと思いました。

 

私は毒親の母でも生きている間は穏やかに

暮らしてほしいと願っています。

安心して帰ってきました。