小生はモルモン書をすでに300回以上読んでいるからという傲があって月曜日〜金曜日まではモルモン書を読むが土日は仕事にあたらない限り読まないのである。小さい頃から一緒にいる子どもたちには浸透しているのであるが、最近増えた子どもたちには非常に不評なのである。本人たち曰く「別にモルモン書を読む事が嫌なわけじゃ無いの。ただパパと同じ進度でないことが嫌なの。」もとより三百数回目のニーファイ第一書と初めて読むニーファイ第一書では進度が違うけど一年の始まりからすぐに読む所が違うというのは嫌だというのである。そうは言ってもモルモン書を読んでいる事態反モルと言えない面が多々あるというのに、頼まれた任期は10年だったけど延長で20年はアリというその体で20年目に入っているけどひょっとしたらそのまま2038年まで続ける事も視野に入れなけれbならないなんてそれも辛いと思う小生なのである。

 

 モルモン書の登場人物名は聖書にあれば聖書と同じ読み方、なければ英語読みという形に1995年頃統一され読みやすくなったのである。小生が改宗した頃は、古い文語体ででもアルマ・O・テイラーという人の訳した文体よりも新しめの文体だったので名前に統一性が無く、例えばラバンがレイバンだったりレムエルがレミュエルだったりした、そのためモルモン経(モルモンケイ)をモルモン経(教)と読んだりする方が多かったし、読み慣れていない2世はレーマンとレイバンの区別がつかずニーファイが兄殺しをしたけど逃げ延びたなどという作り話に夢中だった人を見た記憶がある。

 

 おっとこれは四章に出てくるストーリーで当時は今みたいなUSBメモリとか無かったからパピルスとかいう樹木の皮だったかに記録して丸めていたとか金持ちは金属や石に聖文を刻んで蔵に入れていたらしいが、ラバンさんの家は真鍮の版に刻んでいたらしい。使用人も50〜100人とある意味贅沢をしつつ聖文が真鍮であったから地元でも名士と唱えられていた方だった。そこへ遠縁にあたると自称するレーマンが父が示現を見たからそれをくれって言ったからってなんでただで譲るのかという話になる。それはそうだ地位も名声もあり聖文が真鍮に刻まれているからと周りから一目置かれているのに遠縁でしかも示現に生活を乱されている預言者もどきの家の長男にただで譲る訳が無いから、ニーファイが実家から金銀財宝をてんこ盛りラバンの目の前に積みこれと交換してくれと言ったら、地位や名声やら世間に一目置かれるほどの財を持ったラバンがニーファイたちを家から追い出し自分のものにした上ニーファイたちを殺そうと使用人を向かわせたのである。それらの追手から逃げ延びた兄弟たちは手ぶらで父の元に帰ろうとしたのであるが、ニーファイが神様がまだ方法があるからもう一回ラバンの家に行けと言うと言ったが兄たちは死ぬほどの目に遭ったので渋ったが、ニーファイが夜ラバンの家の近くに行くと酒に酔っ払ったラバンが炉端に寝ているのを見つけ、ラバンの腰の刀を抜いたら、神様に彼を殺せと言われたから彼を殺しラバンの服を身につけ宝物蔵に向かうとゾーラムという使用人に会ってしまったがラバンの服を見てラバンだと思っていたみたいだったから声帯模写でラバンになりすまし宝物蔵から真鍮の版に刻まれていた聖文を盗み出した。当時の風潮では盗んだものが翌朝までに見つからなければ自分のものに出来ると言うのがあって夜のうちならそれを取って翌朝までバレなければセーフだったが、この使用人を連れて行かなくてはならなくなったので仕方なく街を囲む城壁の近くまで連れて行ったがようやく夜が明け始めラバンで無い事に気づかれたが「私に従うなら命を助けるし、対等な扱いをする」と言う契約をニーファイと結び他の兄弟とともに父のところへ帰るまでの話しなのである。当時のイスラエルは契約社会が浸透しており契約を結べば命を取らないし、命を狙われる事もなかったらしいのである。ラバンは何故殺されてもよかったのかと言うと当時の教えとして他人のものに手を出したら殺すと言う教えがあった、地位や名声があっても世間から一目置かれているような人間でも目の前の財宝に目を奪われて自分のものにする為に持ち主の命を取ろうとした行いが死に値するものと判断されたらしいのである。そう言う意味ではニーファイもラバンの宝物蔵から真鍮に刻まれた聖文を盗んでいるけどねなのである。