反モルという言葉からアンチモルモンという言葉を連想させる事ができるが、そこには一つの定義があるのである。それはモルモンの教義を知らないとアンチを名乗れない事である。ただ嫌な目に遭っただけではアンチにはなれないのである。つまり末日聖徒イエス・キリスト教会に一度入信して(入信の儀式を受けて)モルモンに成らないとなれないのである。ただ反抗するだけではアンチではないのである。アンチというからにはモルモンの教義が如何なるもので何処をどう歩けばアンチになるかわからなくては成らない、つまり教会流で行くと「帰還宣教師相当のレベルの知識があり、それなりの役職を経験して教会内部に精通してこそのアンチ」なのである。だから聖書(旧約聖書と新約聖書)には精通し、モルモン書はある程度何度か目を通した事がある人でないとアンチは名乗れないというのが反モル国際教会日本支部の提示する正統派の反モルの定義である。然し乍ら今世間に通る主流は、「活発会員からある種のいじめを受けた」、「被害を受けた」一般の方々も反モルを名乗っているし、改宗したばかりでとか、2世だったけど大人になるにつれて教会が嫌になったとかという亜種な存在も反モルと名乗っているのである。モルモンの教義が分からないのに反モルを名乗る輩には組しないのが小生の方針である。またお休み会員とか、福音と呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会の教えを錯覚させる記事にもメスを入れたいのである。前に書いているように反モルの言葉がわかるのは、反モルと活発会員である。他の人には「あ〜そうなんだ。」という理解力しかないからこそ詳しく伝える義務も存在するのである。こんな記事がサラリーマンの記事に載っているのもどうかとは思うのであるが、サラリーマンが考える宗教観もサラリーマンであるべきという考え方もあるのである。