いままで、堀江オルゴール 、笹倉鉄平ちいさな絵画館 について書きました。
今回は、手塚治虫記念館についての記事を書き、5月3日に掲載されました。
手塚治虫って、平成元年に、60歳でスキルス性の胃がんで亡くなっておられるんですね。
豊中市でうまれ、5歳の時に宝塚に引っ越してきて、24歳に家族そろって上京するまで、宝塚で過ごしました。
そのころの宝塚は、動物が出没するような自然いっぱいの別荘地でありながら、宝塚歌劇や宝塚ホテルのようなキラキラしたリゾート施設もあって、多様な要素がいりまじった場所でした。
そして、隣の家には天津乙女姉妹が住んでいたそうです。
新聞の記事を転載しておきますね。
「鉄腕アトム」「ブラック・ジャック」「火の鳥」など数々の名作を生み出し、存命中から「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫は1928(昭和3)年生まれ。大阪帝大付属医専在学中にデビューし、戦後のストーリーマンガの草分けとして活躍。以来、常に第一線で活躍し続けたが、89(平成元)年に胃がんで早すぎる60歳の死を迎えた。
その手塚の市立記念館が宝塚大劇場近くにある。5歳から24歳まで宝塚市御殿山で過ごし、彼のふるさとは宝塚である。当時の宝塚は、温泉の湧く別荘地として知られ、昆虫の宝庫で、狐や狸も出るような豊かな自然と、宝塚歌劇や温泉レジャーランド、宝塚ホテルなどモダンで華やかな人工的文化とが共存する場所だった。
館内に一歩入ると、「リボンの騎士」の王宮を模した華やかなエントランスでアトムやサファイアといったおなじみのキャラクターがお出迎えしてくれる。常設展ではその生涯が紹介されるとともに、手塚をモチーフにしたオリジナルアニメーションの上映や、彼自身や、影響を受けた漫画家たちの貴重なインタビュー映像が放映されている。
現在展覧中の企画展は、手塚の長女である手塚るみ子氏がプランニングプロデュースを行った「手塚治虫のヒロインたち~可憐な少女から妖艶な美女まで~」が6月27日までの予定で開催中だ。扉絵用に描かれた、サファイアやメルモちゃん、「ブラック・ジャック」のピノコなど、原稿と呼ぶにはあまりに華やかな作品が並ぶ。また、青年漫画「人間昆虫記」の十村十枝子のエロティックさといったらどうだろう。デフォルメされた大きな尻をこちらに向け、スベスベとした白い肌がプルンと弾んでいる。可憐、貞淑、そして退廃美…、多様なヒロイン像が描かれている。また、桂正和やヤマザキマリなど、現役マンガ家による手塚へのトリビュート作品も展示され、手塚漫画への愛を垣間見ることができる。
館内を見て回って気になる作品がみつかったら、手塚作品のほとんどを網羅した2千冊ものライブラリーで漫画を読み耽(ふけ)ることもできる。アニメのアーカイブを再生できる端末もあるので、懐かしいアニメを眺めるのもいい。当日の再入館が可能なので、1日中でも過ごせること請け合いだ。
自分の描いた絵をアニメとして動かせるアニメ工房や、キャラクターグッズが多彩に並んだミュージアムショップもある。手塚漫画をリアルタイムで読んで育った読者も、没後に知った新しい読者にも、手塚治虫に関して新しい発見があることだろう。人を楽しませ、喜ばせることが手塚の創作の源であり、生来のエンターテイナーであったという。そんな人柄を彷彿(ほうふつ)とさせる、読者や漫画への愛にあふれる記念館である。
(芸術史学講座修了 不動産鑑定士)
いいネ宝塚!