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●ADHDっぽく振る舞ってしまう



ADHD歴51年の私がようやく
言葉にできたことがある。


私はたぶん、
「いかにもADHDっぽい
明るい人」に見えている。


愛想がよくて、
話しかけられやすくて、
ニコニコしていて、
なんとなく親しみやすい。



実際、話しかけられることは多い。
道も聞かれるし、
世間話も振られるし、
なぜか悩み相談までされる。



話を“聞く”のは得意だ。
相手の温度や空気を感じ取る
ことは、子どもの頃からの
生存スキルだった。


●台本通りには演じられる


でも。



「あなたはどう思う?」
「どうしてそうなるの?」
「具体的に言うと?」

と“質問”された瞬間、

臨機応変が求められたとき
頭の中が真っ白になる。



冷や汗が出る。
心臓が一瞬強く打つ。
さっきまで普通に話していたのに、
急に舞台の真ん中に立たされた
気分になる。



私は、即答が苦手だ。
考えはあるのに、
言語化までワンテンポ、
いやツーテンポ遅い。



その“間”が怖い。

だから、
無意識に「いい感じの答え」
を探してしまう。
場がしらけない答え。

相手が納得しそうな答え。

波風の立たない答え。



本音より、
“安全な正解”を選ぶ癖がある。



普段の私は、
興味がないことには
驚くほど無表情だ。
ニュースも、
流行も、
他人の自慢話も、
正直あまり刺さらない。




でも人前では、
ちゃんと相槌を打ち、
ちょうどいいリアクションをして、
感じのいい人を演じる。



演じる、という言葉は少し
冷たいけれど、
あれは嘘ではなく、
生き延びるための技術なのです。


●いい人なふりをしてしまう


会社員時代、
「社会人失格だ」と言われ
続けた私は、
学んだ。



できない部分で勝負すると
潰れる。
ならば、
“感じの良さ”で生き残れ、と。



ミスは多い。
忘れ物も多い。
締切も怪しい。


でも、
「悪い人ではない」
「なんか憎めない」
そのポジションにいれば、
即クビにはならない。


●育児も同じ


子どもを育てる中でも
同じだった。
完璧な母ではない。
抜けもあるし、
感情の波もある。



だからこそ、
“明るい母”を演じることで、
家の空気を保ってきた。



私はたぶん、
何度も自分を守るために
役を作ってきた。



その結果、
家族以外のほとんどの人は
「明るくて元気な人」
「話しやすい人」
「ポジティブな人」
だと思われている。



●ほんとのわたし


本当の私は、
オフになると驚くほど静かだ。
感情が動かない日もある。
誰とも話したくない日もある。



そのオンとオフの落差が、
とにかく疲れる。



スイッチを入れる。
笑顔を作る。
空気を読む。
適度に盛り上げる。



帰宅後、
電池がゼロになる。



「楽しかったでしょ?」
と言われても、
体感としてはマラソン後だ。



でも最近、

少しだけ見方を変えた。


私は偽物なんじゃない。
私は俳優なんだ、と。



映画俳優。
場面ごとに役を変える。
必要な演技をする。
観客(社会)の前では、
ちゃんと演じる。



それは“嘘”ではなく、
人の関係を円滑にしていく
自分の生きるための
スキルだったと思う。



俳優が舞台袖で静かでも、
それを責める人はいない。



だったら私も、
オフの無表情を
責めなくていい。



私は、
興味のないことに
心が動かない。



でも、
興味がある所には、どんどん
探求したくなる。



ADHDの私は、
刺激に正直すぎる。
だからこそ、
刺激がないときは止まるし、
強すぎるとフリーズする。



その極端さを、
“演技”というフィルターで
社会仕様にしてきただけ。



51年かけて身につけた、
私なりの生存戦略。


●オンオフ別人格


もう無理に脱ぐ必要もない。
でも、
ずっと着続けて疲れたら、
家ではちゃんと脱ぐ。



外では俳優。
家では素。



その二重構造を、
ようやく私は受け入れ
始めている。



明るい私も本物。
無表情な私も本物。

どちらも、
生き延びてきた証拠。




■まとめ


もし同じように、
「いい人」をやめられない人
がいたら、
それは弱さじゃない。


あなたはきっと、
自分を守る方法を
知っている人だ。

そして今日も私は、
静かにスイッチを入れる。



ADHDでなくても
人は仮面をかぶって
いきているんだろうね。
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●ADHDは素直で純粋

性格が悪い人や、ずる賢い人
が得をしているように見える
瞬間が、この世の中には確かにある。



空気を巧みに読み、都合の
悪いことは見ないふりをして、
責任を上手にすり替えて、
うまく立ち回る人が評価
されていく場面を、
私は何度も見てきた。



そのたびに思った。


ああ、真面目な人ほど
損をする世界なんだな、と。



優しい人ほど、押しつけられる。
素直な人ほど、利用される。
断れない人ほど、抱え込む。



そして私は、その
「損をする側」に何度も
立ってきた。



ADHDの私は、器用に立ち回る
ことができない。



思ってもいないことを
言うのが苦手だし、
計算して動くことも苦手だ。



その場しのぎの嘘もつけない。
だから、正直すぎて空気を
壊したこともあるし、


言わなくていい本音を
言ってしまって関係が
ぎくしゃくしたこともある。



うまくやれない自分を、
何度も責めた。



「少しはずるくなればいいのに」
「もっと要領よくできないの?」
そう言われたこともある。



確かに、ずるくなれば
楽かもしれない。
本音を隠し、計算し、
相手に合わせて仮面を
かぶれば、衝突は減るだろう。


評価も上がるかもしれない。


●気づいたこと



でも、私は長い時間をかけて
気づいた。

得をすることと、誇れる生き方は、
同じではない。



ずる賢く勝つことは
できるかもしれない。


でも、その自分を
好きでいられるかは別の話だ。



私は、何度も失敗してきた。
言いすぎて後悔した夜もある。
正直すぎて損をして、
悔しくて眠れなかった夜もある。


それでも、心のどこかで思っていた。



私は、真面目でいたい。
優しくありたい。
素直でいたい。



なぜなら、私が一番傷ついたのは、
人のずるさや冷たさに
触れたときだったからだ。



だからこそ、私はその反対側
でいたいと思った。



損をしない人生より、
胸を張れる人生のほうがいい。


●嘘が付けない


ADHDの私は、要領よくは
生きられない。
でも、その代わりに、嘘を
重ねなくていい。


取り繕わなくていい。
そのままでいい人たちとだけ、
関わればいい。


50年生きてきて、
ようやくわかった。



自分の周りにいる人が、
自分のミラー。

自分の人生そのものを
映し出している。



ずるさに囲まれれば、
自分もすり減っていく。
優しさに囲まれれば、
自分も少しずつ優しくなる。



私は、どっち側に立つかを
選びたい。

得をする側か。
誇れる側か。

世の中は、もしかしたらこれからも
理不尽かもしれない。
ずるい人が一時的に勝つことも
あるだろう。

それでも。


私は、真面目で優しく、
素直でいたい。
そして、そういう人が
そばにいてほしい。



■まとめ



遠回りでもいい。
不器用でもいい。


ADHD歴51年の私が、
何度も傷つきながら
たどり着いた答えは、これだ。

損か得かではなく、
「どっち側で生きたいか」。

それだけは、誰にも奪わせない。



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●「普通」ができないと
刷り込まれた10代


「なんで普通にできないの?」

その言葉、わたしは
もう異口同音で毎日
聞いてました。


時間を守ること。
片づけること。
空気を読むこと。



みんなが当たり前に
できているように見えることが、
自分だけなぜかうまくできない。



置いていかれる感覚。
できない自分への焦り。


周りは普通なのに、
私だけ何かがおかしいん
じゃないか?


誰もそんなことしてないでしょ?


どうして普通にできないの?

そんな悪魔の言葉で洗脳されて


私は自分がダメなんだと
思い込んで

私は51年間、
「普通になろう」と
頑張ってきました。



できないたびに怒られ、
言われなくても自分で自分を叱り、
“努力が足りないからだ”と
信じてきた。



無理をして、合わせて、演じて、
疲れて、崩れて、またやり直す。


その繰り返し。



でも最近、やっと気づいたんです。

私は“普通以下”だった
わけじゃない。


ただ、
多数派のやり方と合って
いなかっただけ。



左利きなのに、
右利き用のハサミを渡され続けて
「なんでうまくできないの?」と
言われていただけだった。



●普通と言うものは
それぞれみんな違うんです


普通はひとつじゃない。



声が大きい人の基準が、
“普通”と呼ばれていただけ。



私は壊れていなかった。
ただ、環境が私に合う型では
なかっただけ。



もし今、
「普通ができない」と
自分を責めているADHDの人が
いるなら、



それはあなたの価値の
問題じゃない。



あなたは間違っていない。
ただ、合っていないだけ。



そして、
合わない型から降りることは、
諦めではない。



自分を守る選択です。


51年かけて、やっとそう
思えるようになりました。


仕事を転々としてきたことや、
友達関係が長続きしないこと、


などなど、考えを変えたら
そんな事は気にしなくなって
しまった。



今は、
“普通になる努力”よりも
“自分に合う形を探す努力”
をしています。



■まとめ



変わることは
怖いことかもしれないけど、
勇気を出して、あなたも、
何か1ミリベクトルを
変えてみてください。


その変化は、会社を辞める
とかではなくて

服を変えてみるとか、
いつもと違う本を読むとか、
行ったことのないところに
行ったりすることから始めても
いいと思うんです。


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●突然縁を人と切る


ADHDの私には、 
ひとつはっきり
していることがあります。



嫌なことをされた瞬間、
心の中で「カチャン」と音がする。


そしてその音は、
自分にしか聞こえない。



「無理」
「もう嫌い」
その言葉が浮かんだら、
性別も立場も関係ない。


●もう限界を認定したら
2度と会わないと固く誓う



家族でも、友人でも、上司でも、
恋愛でも、ママ友でも。



一度閉まったシャッターは、
本当に、開かない。



私はそれにずっと
罪悪感はありました。



もっと大人なら、
もっと優しい人なら、
もう一度チャンスを
あげられるはず。




そうやって、
何度も自分を責めました。



でもね、
よく観察してみると
違うんです。



シャッターが閉まるまで、
私は何度も我慢しています。



小さな違和感。
ちょっとした失礼。
説明すれば分かるはず、
という期待。


「悪気はないよね」
「疲れてるのかも」
「私が気にしすぎ?」



そうやって、
何回も自分の感情を
後回しにする。



でも限界を越えた瞬間、
脳が判断するんです。



この人は危険。
これ以上近づくと傷つく。



ADHDの脳は、
感情の振れ幅が大きい。



好きも大きい。
信頼も深い。

でも同時に、
傷も深く入る。



表面は笑っていても、
内側では強烈に記憶される。

あの言い方。
あの空気。
あの目。


一度「敵」に分類されたら、
もう元の場所には戻らない。


これが良い悪いではなく、
生存本能に近い。


私は毒親育ちで、
境界線が薄い時代が長かった。


だからこそ、
ある時から極端になった。


「もう絶対に踏み込ませない」


白か黒か。
0か100か。


グレーが苦手。

なんで黒白はっきり
したいのか?


その理由は
実は自分を守るための
最終防衛ラインらしい。


●ゼロになるまで我慢してしまう


問題は、
シャッターが閉まる前に
違和感を言語化できないこと。


本当は、
「それ嫌だった」
と早めに言えたら、
閉まらずに済むこともある。



でも私は、
溜める。

考える。
分析する。
我慢する。

そしてある日、
突然ゼロになる。



相手から見たら
「急に冷たくなった人」。

でも自分の中では、
何十回もチャンスをあげた後。


だからね、
同じ人、いますか?
と聞きたくなる。

きっといると思う。


嫌いになったら終わり。
戻れない。

それは性格が悪いんじゃない。

・境界線を守るのが遅い
・我慢が長い
・限界が来ると極端

この組み合わせの結果。

私も昔は、
そんな自分を直そうとしました。



もっと柔らかく。
もっと寛容に。
もっと大人に。

でも今は思います。

シャッターが閉まること自体は、
悪じゃない。


ただ、
閉まる前のサインを
自分が拾えるかどうか。

そこが分かれ道。


最近の私は、
「少し嫌」
の段階で気づく練習をしています。


●自分の気持ちを言語化していく

「なんか今モヤっとした」
「その言い方ちょっと刺さった」

ここで言葉にする。

それができる相手だけ、
シャッターの内側に残す。

全員に開けておく必要はない。

ADHDの私は、
エネルギー管理が最優先。


■まとめ



安心できない場所に
心を置き続ける余裕はない。


だから私は、
シャッターを閉める自分を
もう責めない。


ただ、
閉める前に気づけたらいいなと
思っている。



もしあなたも、
「無理!」と思ったら
戻れない人なら。

それは冷酷じゃなくて、
限界まで優しかった
証拠だと思う。

同じ人、いますか?

きっと、
静かにうなずいている人が
どこかにいると思う。



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●失敗はうまくいかなった情報
に過ぎないということ



長年ADHDの私は、
はっきり言えることがあります。



ADHDは失敗が多い。



忘れる。
遅れる。
ズレる。
空気を読み違える。
勢いで言ってしまう。



「またやった」
「なんで私はこうなんだ」



何度も何度も、
同じような後悔をしてきました。



でもね、
ある時ふと気づいたんです。



私、失敗のデータ量だけは
誰よりも持ってるかもしれない、と。



普通の人が10回で学ぶことを、
私は100万回失敗して学んで
やってきた。




怒られた回数。
謝った回数。
落ち込んだ回数。



そのぶん、
どうやったら壊れるのかも、
どうやったら立て直せるのかも、
身をもって知っている。



ADHDは失敗が多い。



でも、
失敗の数は、
挑戦の数でもある。



動いたから失敗する。
やったからズレる。
言ったから噛み合わない。



何回も同じことを言われても
毎回同じ失敗をした。


そして、大体これぐらい
同じことを失敗すると、
これくらいの頻度で怒られるんだろう、
というのがわかってきた。




何もしていなければ、
失敗は増えない。
怒られもしない。



でも、褒められもしないし。


自分は考えることもなかったし、
次のことが想定できるデータも
なかったし、



自分の成長は全くなかった。


●失敗しても、どんどんどんどん
行動した



私は会社員時代、
「社会人失格だ」と言われました。



何度も謝り、
何度もやり直し、
それでもまたミスをする。



そのたびに、
自分の存在そのものが
否定されたように感じました。



でも、
あの時間があったからこそ、



・自分に合わない環境
・無理をすると崩れるポイント
・回避ルートの作り方



を覚えた。


でも今の私は、
失敗しない人ではありません。



失敗しても、
致命傷にならない方法を
知っている人になれました。



それは、
失敗回数が多いからこそ
身についたスキル。


● 1部スルーしていかないと
いけない人がいる



一方で、
他人の失敗を笑う人がいます。



「なんでそんな簡単なことも
できないの?」
「普通わかるでしょ」



そう言いながら、
安全な場所から石を投げる。



でもね、
他人の失敗を笑っている人は、
自分が失敗した場所に立っていない。



安全圏からの評論は、

聞かなくてよい意見。
成長を生まない。



失敗は、
自分が当事者にならないと
気持ちはわからない。



数々の失敗のおかげで

この人は、たくさんの失敗を
経験したんだろう


と言う人が見抜けるようになってくる


自分が誰と向き合うべきかが
わかってくる



ADHDは、
嫌でも当事者になりやすい。

目立つ。
バレる。
指摘される。

逃げられない。

だからこそ、
痛みを知っている。



痛みを知っている人は、
他人に優しい。



「ああ、あれ辛いよね」
「私もやったよ」
と、自然に言える。



失敗経験が多い人ほど、
人のつまずきに敏感です。



笑うより先に、
支えようとする。


だから、失敗と言うのは
むしろやっていかないとわからないことで


心配を避けなくていいと言う事。


一生懸命頑張って、それでも
うまくいかなかったら


その一生懸命は、自分では
会ってない方法かもしれないと
言うふうに
考えられるようになった。


●失敗=人生のハードル



私は長い間、
「失敗が多い=劣っている」
と思ってきました。

でも今は違う。



失敗が多い=
経験値が多い。


ゲームで言えば、
何度も戦闘に出て、
何度もHPを削られ、
それでも立ち上がってきた
プレイヤー。



レベルは、確実に上がっている。


ADHDの脳は、
効率よく一直線には進めない。



遠回りもする。
寄り道もする。
時には崖から落ちる。



でも、
そのぶん地形をよく知っている。



「あそこは滑る」
「ここは落とし穴」
「このルートは無理」



経験で覚えている。


だから私は、
へこたれない
ADHDは弱いとは思わない。



むしろ、
打たれ強くなる可能性を
最初から持っている。



もちろん、
傷つかないわけじゃない。



むしろ、
人一倍傷ついてきた。



でも、
それでも生きてきた。



誰かがくれる優しさを
身に染みて、ありがたく
思えてきたからだと思う。




何度もやらかして、
何度も立て直して、
ここまで来た。

それは絶対誰かに支えられないと
やっていけなかったこと



それはまた誰かを
支えることになれる
強さになる。


●自分のことを笑う人は
とにかく保留


他人の失敗を笑う人は、
まだ転んでいない人かもしれない。



でも、
転ばない人は、
立ち上がり方を知らない。



私は、
何度も転んだ。


だから、
立ち上がるのがうまい。


ADHDは失敗が多い。

でも、
そのぶん強くなれる。


成長とは、
傷の数ではなく、
立ち上がった回数で
決まるんだよね。


■まとめ



もし今、
失敗ばかりで落ち込んで
いる人がいたら、
私は言いたい。



それ、
ちゃんと経験値になってるよ。



笑われたことも、
責められたことも、
全部、材料になる。



失敗が多いあなたは、
たくさんの情報を持っている。



人より多く、
人生のトレーニングを
積んでいるだけ。

ADHDは失敗が多い。

だからこそ、
強い。

私はそう思っています。



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●不健康だと、お金に
見放される



長年ADHDによって
生きづらかった私が、
ようやく気づいたことがある。




お金が貯まらない理由は、
性格でも、計算力の問題でも
なかった。



「脳のコンディション」だった。



若い頃は、浪費癖があると
思っていた。


衝動買いするし、
サブスク解約忘れるし、
ポイントカードは貯まる前に
期限が切れる。



床に物を置くとお金が貯まらない、
なんて言葉に怯えたこともある。



でも本当は、もっと
根っこの話だった。



●体調不良になる事は、しばしば



ADHDは、定型
より“お金がかかる脳”だと、
最近つくづく思う。



まず、医療費。



風邪をこじらせやすい。
虫歯を後回しにして悪化させる。
肩や首の痛みを放置して整体通い。
睡眠リズムが崩れて不調になる。



一回一回は数千円でも、
年間で見ると、静かに大きい。



そして体調が崩れると、
判断力が落ちる。




疲れている日は、
買い食いが増える。
デリバリー、外食が増える。
「今日はいいか」が増える。



夜のネットショッピングが
緩くなる。




健康を崩すと、
節約は一瞬で崩れる。



だから最近は思う。



一番の節約は、
「健康でいること」
なんじゃないかと。



ADHDは刺激に弱い。
睡眠に影響を受けやすい。
ストレスがそのまま体に出る。



つまり、メンテナンスコスト
が高い。


●健康維持のために
続けていること


睡眠環境を整える。
静かな時間を確保する。
人間関係を減らす。
回復日を作る。
定期検診をサボらない。


●昔の睡眠不足が今の自分を祟る


昔の私は、
睡眠に重きを置いていなかった。


寝る時間を削ってでも
好きなことをしていたかった。



でも違った。


“生存戦略”と逆の行動。



壊れてから直すのは治療費が高い。
壊れないように守るほうが安い。



大きく崩れると、
仕事に影響が出る。


収入が落ちる。
自己否定が始まる。
そこから散財が始まる。



このループは、何度も経験した。



だから今は、
お金管理を「家計簿」
だけで考えない。



脳の充電残量も、管理対象。




エネルギーが減っている日は、

大きな決断をしない。

ネットを開かない。

人に会わない。



健康を守ることは、
未来の浪費を減らすことに
直結する。


●お金の不安=体調不良


ADHDにとって、お金の問題は
数字よりもコンディションの問題。



脳の特性を無視して
「普通の節約」を真似しても、
うまくいかない。



でも、
自分の脳に合った
管理をすればいい。



お金を増やす前に、
まず壊れないことが大切だと思う。


●寝るとお金が貯まる


収入を増やす前に、
まず整える。



ADHDの私にとって、
お金管理とは、
自己管理のことだった。

そして今、やっとわかった。



■まとめ


私は浪費家じゃなかった。

ただ、ずっと意味ないことに
疲れていただけだった。



だから、意味あることに
エネルギーを使えばいいし、
疲れる前に休む。

外界からシャットアウトする
環境に自分を置く、


休日に猫と何もしないで
昼寝をすると言うことが、


いかに贅沢で
幸せなことなのか
やっと気づいた。


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●辞めたいのに癖で辞められないこと


長年ADHDの私が、
疲れるものはなるべく排除したけど、
いまだに消耗するものがある。


それは
LINEの返信。



届いた瞬間に返せばいいのに、
私は一度、画面を閉じる。



まず読む。
そして考える。



この人は今どんなテンション?
軽め?真面目?
スタンプで返す?
文章?何行?
絵文字は多すぎない?



「うん」だけだと冷たい?
でも長いと重い?



頭の中で、シミュレーションが
始まる。



●感じの良い人だと
思われるふりをするのに
慣れすぎたから



相手の表情。
文脈。
過去のやりとり。
距離感。



全部を同時に処理しながら、
最適解を探す。

そしてエネルギーを消耗する。
大きく疲れる。



「あとで返そう」
となり、
気づけば3日経っている。



やっと整った文章を送る。


ホッとする。
任務完了。


…の数分後。

ピコン。

また返信が来る。

え、早。

今?今からまた考えるの?



雑談が続く。
特にオチもない話。
天気とか、
テレビとか、
どうでもいいと言ったら失礼だけど、
正直そこまで興味はない。



でも無視はできない。
既読スルーもできない。
感じ悪いと思われたくない。



だからまた考える。

この一往復に、
なぜこんなエネルギーがいるのか。

そしてついに言われる。


「もっとテンポよく返してよ」
「なんでそんなに遅いの?」


その瞬間、
心の中で何かがスンと冷える。


●毎回スタンプだけで
いいのかもしれない

嫌われてもいいから。



あなたにとっては
“ただのLINE”かもしれない。



でも私にとっては、
毎回プレゼンなんだ。


私は、
衝動で返すと事故る。



思ったことをそのまま打つと、
言葉が強くなりすぎる。
文脈を飛ばす。
余計な一言を足す。


過去に何度もやらかした。

だから今は、
慎重に言葉を選ぶ。



テンポより安全。

スピードより関係維持。

でも、
その慎重さは見えない。

遅い=やる気がない
冷たい
優先順位が低い



そう受け取られるんだろう。


この時間、
正直すごく無駄だよな、
って思う。


3日かけて悩んだ文章に、
3秒で返ってくる。


その軽さに、
少し虚しくなる。


でもこれ、
私だけ?

ADHDの脳は、
「雑談」を雑に扱えない。



情報が多い。
裏を読む。
行間を拾う。
相手の温度を感じすぎる。


だから一言が重い。

しかも、
興味がない話題だと
エネルギーが出ない。


無表情ゾーン発動。

でも“いい人”モードが入ると、
ちゃんと返そうとする。

このオンオフが、
地味に削る。

世の中は、
テンポが正義みたいな
空気がある。


スマホの普及により
答えは、即座に
与えてもらえる
のが常識となった。


既読が早い=誠実。
返信が早い=優しい。

でも私は思う。


●ちゃんと考える🟰
正義ではない


考えてから返す誠実さもある。

適当に返さない優しさもある。

それでも、
「もっと早く」と言われると、
ああ、
私の処理速度は
社会基準より遅いんだな、
と少し凹む。


でもさ。

私たちは、
対面では空気を読みすぎて疲れ、
LINEでも空気を読んで疲れ、
常に“適切”を探している。



それって、
怠けじゃなくて、
過剰な配慮なんじゃないか。



テンポよく返せない私は、
ノリが悪いんだろうか?



たぶん、
考えすぎるくらい、
人間関係を大事にしている。

ただ、
その大事にし方が
燃費が悪いだけ。


最近少し思う。

本当に必要な人は、
私のテンポを知っている。



「この人は考えてから返す人」
そう理解してくれる人とは、
ちゃんと続いている。

逆に、
テンポを強要される関係は、
たぶん私には合わない。


合わない人と無理矢理合わせる
ことなんて無意味だから、


ただ、ただスタンプの
了解だけ送っとけばいいの
かもしれない。


私はチャットボットじゃない。
24時間即レス対応の
カスタマーサポートでもない。


私は、
ゆっくり言葉を選ぶ人間だ。



もし今、
同じように
LINEの通知に胸が
ザワつく人がいたら、


それはわたしが不器用
なんじゃない。




■まとめ


わたしは
言葉を雑に扱えない人だ。



ただ、
この社会のスピードと
少し噛み合っていないだけ。

ADHDの私だけ?

いや、
きっと違う。


定型の人も同じく
LINEに疲れるという人も
いないだろうか?

でも、
この感覚を言語化できた私は、
少しだけ救われている。

今日もまた、
ピコンと鳴る。

私は深呼吸して、
ゆっくり画面を開く。

速さより、
後悔しない言葉を選ぶために。





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●電話が鳴ると不安になる


ADHDの私は電話という
存在は「連絡手段」ではなく、
ほぼ“突発イベント”に
近い扱いになっている。



着信音が鳴った瞬間、
周りの人は反射的に
スマホを手に取るけれど、
私はまず深呼吸をする。



そして、画面を見ながら
心の中でこう思う。
「今の私は、この人と話せる
状態か?」と。



昔はね、鳴ったらすぐ
出なきゃいけないと思っていた。
社会人として当然だし、
すぐ出ないのは失礼だって、
どこかで思い込んでいた。




でもADHDの脳って、
急な切り替えがほんまに
苦手やねん。さっきまで
別のことに集中していたり、
頭の中で考え事が
渦巻いてたりすると、
そのまま電話に出た瞬間、
言葉が追いつかない。



相手の声は聞こえているのに、
脳内ではまだ前の作業が
終わっていない。その結果、
変な相槌を打ったり、



話の流れを読み違えたり、
「あれ、今なんて言いました?」
を連発したりする。



●自分なタイミングで掛け直したい



だから私は、電話が鳴っても
一回は見送る。



準備の時間が必要。

人と会える自分にならないと
人と話せない。



鳴り止むまでの数十秒が、
私にとっては大事な
助走がはじまる。



「今から人と会話
モードに入りますよ」って、
脳に合図を送る儀式みたいなもの。



そして落ち着いてから、
自分のタイミングでかけ直す。



そうすると不思議なくらい
会話がスムーズになる。
余計なことも言わないし、
相手の話もちゃんと入ってくる。



●自分の取り扱い説明書に記載する
ことは電話はすぐに出なくて良い



若い頃は、このやり方を
“ずるい”って思ってた。
みんな普通に電話出てるのに、
自分だけワンクッション
置かないと話せないなんて、
どこか劣ってる気がして。



でも51年も生きてるとね、
だんだんわかってくる。
これは怠けでも弱さでもなくて、
ただの「脳の取扱説明書」
やったんやって。




ADHDの脳は、瞬発的な
対応が苦手な代わりに、
準備さえできればめちゃくちゃ
力を発揮する。



だから私は、電話を
“受け身のイベント”
から“自分主導のコミュニケーション”
に変えた。


それだけで、会話に対する
ストレスが半分以下になる。



昔みたいに、電話のあとで
「なんであんなこと言って
しまったんやろ…」って
自己反省会を開くことも減った。




もちろん、緊急の連絡だってあるし、
全部が全部見送れるわけじゃない。




でも普段の連絡なら、
少しだけ自分のペースに
合わせてもええんちゃう
かなって思う。だって、



相手にとっても、
変なタイミングで出てくる
“ちょっとズレた私”より、
準備が整った“落ち着いた私”の
ほうが話しやすいのでは
ないかなと勝手な思い込みを
している。


●電話をかけられるよそ行きの
自分に変身してから


それにね、電話って不思議で、
鳴った瞬間はプレッシャーなのに、
自分からかけると急に
主導権が戻ってくる感じ。




たったそれだけで、
同じ会話でも安心感が違う。


ADHDの私は、こうやって
小さな工夫を積み重ねて、
日常のハードルを少しずつ
下げてきたんだと思う。


私のことをよく知っている人は
向こうからかけてきても、
またかけ直すこと知ってくれていて、


理解をして
くれてるんだろうと思ってる。



51年生きてきて学んだのは、
「普通」に合わせるより、
「自分が崩れない方法」
を探すほうがずっと大事やってこと。
電話にすぐ出ないのも、そのひとつ。



昔は直そうとして疲れてばかり
だったけど、今はもう、
これは私なりの安全装置やと
思ってる。


かかってきた電話に出る。
🟰相手のタイミングに
合わせなくちゃいけない


と言う思い込みがわたしにはある。


もちろん、そんな私の特性を
理解してくれる人ばかりでは無いから


イライラして
電話口に出る人もいる。


それももう税金だと思ってる。




■まとめ

今日も、
スマホが鳴ったら一回は見送る。
鳴り止んだあとに静かな部屋
で深呼吸して、「よし、今なら大丈夫」
って思えたタイミングで折り返す。



それは遠回りに見えるかも
しれないけど、私にとっては
一番まっすぐなやり方なんよね。
ADHD歴51年、ようやく
見つけた“自分のリズムで
世界とつながる方法”。


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●できないことは諦めた


ADHD歴51年の私が、
やっと言葉にできるようになった
ことがあります。若い頃の私は、
とにかく「普通にできる人」
と同じルートを歩こうとして
いました。




忘れないように必死で暗記して、
苦手な人にも合わせて、
疲れていても予定を詰め込み、
完璧にやろうとしては崩れていました。
うまくいかないたびに、
「また失敗した」
「自分はダメだ」
と思っていたんです。




でも51年かけて気づいたのは、
失敗の数だけ“回避ルート”が
増えていたという事実でした。



昔の私は、回避すること=
逃げだと思っていました。
真正面から向き合わないのは
弱い証拠だと信じていた。
でも違ったんです。


ADHDの脳は、できないことを
無理に頑張るより、
壊れない方法を設計する
方が長く続くってわかったんです。


●出来ない理由があるだけで
自分を責めなくてよい



① 忘れるなら、
覚えようとしない。
仕組みに任せる
メモ、アラーム、
付箋、タイマー。

若い頃は「覚えられない
自分が恥ずかしい」と
思っていました。

覚える努力より、忘れても
戻れる仕組みを作る方が
ずっと楽です。


脳みそを責めるより、
外に記憶を置く。それだけで
人生はかなり軽くなりました。



② 疲れる予定は、最初から入れない
昔は「誘われたら断らない」
が正義だと思っていました。
でも予定が増えるほど、
回復する時間が消えていく。


ADHDの私にとって
一番大事だったのは、
“何もしない時間”でした。
予定を減らしたら、人付き合い
が減ったのではなく、ちゃんと
会える日が増えたんです。



③ 苦手な人とは、距離を
取るのが正解
頑張って合わせれば、
いつか分かり合えると
思っていました。
でも現実は違いました。
自分をすり減らしてまで
維持する関係は、長く続かない。


距離を取ることは冷たい
行動ではなく、心の安全装置でした。



今は「合わない人がいるのは
当たり前」と思えるように
なりました。



④ 完璧にやろうとしない。7割で止める
完璧主義は、一見ストイックに
見えて実は自分を止める
ブレーキでした。


100点を目指すと、動けなくなる。
だから今は7割で出す。少し余白
を残したまま進む方が、
結果的に長く続きます。


ADHDの集中力は波が
あるからこそ、余力を残す
設計が必要でした。



⑤ できない日は「回復日」
と名前をつける何もできなかった日を、
昔は“無駄な日”と呼んでいました。


いや違う。回復日です。
脳が休みを求めているだけ。
名前を変えるだけで、
自分への評価も変わりました。


責める日から、整える日へ。
これだけで翌日の動き方が
全然違います。



51年生きてきて分かったのは、
遠回りしているように見える
道こそ、自分に合った最短
ルートだったということでした。



周りと同じ速度で走れなくても、
止まらずに進める方法を
見つける方がずっと大事だった。
回避ルートは、むしろ壊れないために
設計された、自分専用の地図です。



■まとめ


もし今、「またできなかった」
と落ち込んでいる人がいたら、
少しだけ視点を変えてみてください。
それは失敗ではなく、
新しい回避ルートを見つけた
瞬間かもしれません。


ADHDは直線的に進むのが
苦手でも、曲がり角を
見つける力は強い。


だからこそ、遠回りの数だけ、
生き残る道が増えていきます。



同じように遠回りしてきた人へ。
保存して、しんどい日に
見返してほしい。
あなたが選んできた回避は
、ただの逃げじゃない。
それは51年かけて編み上げた、
“壊れないための設計図”なんです。



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●先延ばし癖


ADHDの私は、
「先延ばし」はただの
サボりじゃないって、
もう嫌というほど知っている。


やらなきゃいけないことは
分かってる。むしろ分かり
すぎている。

パスポートの更新にいく。


それだけの話なのに、
頭の中ではなぜか大きな
案件みたいに変換されてしまう。
まだ時間がある。



もう少し考えてから。
ちゃんとした言葉を
準備してから。そうやって
“完璧なタイミング”を
待ち始めた瞬間から、
時間は静かに逃げていく。


やらなくちゃは
一日中考えている。


先にやってしまえば
あとは考えなくていいのに。



気づけば3日、
1週間、10日。
やる予定だったことだけが
宙に浮いて、自分だけが
取り残される。



SNSを開く時間はあるのに、
1時間あればできるのに、


この矛盾を、私は何度も
繰り返してきた。


●急ぎの用事がたくさん溜まっている。



やらない理由は山ほど思いつく。
「今じゃない」
「気まずくなったらどうしよう」
「何を話せばいい?」
そんな小さな不安が
積み重なって、行動の
ハードルだけがどんどん
高くなる。




ADHDの脳は、行動の前に
シミュレーションを始めると
止まらない。



声のトーン、間の取り方、
相手の反応。最悪の
パターンまで想像して、
まだ起きていない
未来に疲れてしまう。



失敗しないように考えすぎて、
結果的に何もしないという
選択をしてしまう。



そして夜になると、
「なんで今日もできなかったんだろう」
って、自分で自分を
削る時間が始まる。



本当は、大きな
プロジェクトなんかじゃない。
ただの業務作業。でもADHDの私は、
小さな行動に意味を乗せすぎる。
「ちゃんとしなきゃ」
「変に思われたくない」
そうやって勝手に重さを増やして、
自分の足を止めてしまう。
完璧にやろうとするほど、
動けなくなる。このループを、
私は何年も繰り返してきた。


●完璧主義が邪魔をする


先延ばしは怠けじゃない。
むしろ真逆で、失敗を避けたい
気持ちが強すぎる
防御反応なのかもしれない。



傷つく未来を先に
想像してしまうから、
動く前にブレーキがかかる。

でも皮肉なことに、その防御
のせいで後から一番
傷つくのは自分だ。



やらなかった事実が、
静かに積み重なっていくから。

失敗事例のように。


ADHD歴が長くなると、
分かってくることがある。
それは、「やる気が出てから動く」
はほぼ来ないということ。



気合いを待つほど、
行動は遠のく。だから
最近の私は、意気込みを
下げる練習をしている。



日常の業務作業を人生を変える
決断みたいに扱わない。


ただの作業、ただの5分、
ただの一歩。そう言い聞かないと
、脳が勝手に物語を大きく
しすぎるから。


もし次、同じ場面が来たら。


完璧な言葉を考える前に、
少しだけ不格好なまま動いてみたい。

「今は忙しい?」
それだけでもいい。
沈黙があってもいい。
うまく話せなくても、
世界は終わらない。



ADHDの私が本当に
苦手なのは失敗じゃなくて、
“動けなかった後悔”のほうだと、
やっと気づいたから。




■まとめ


未来の自分を楽にするのは、
完璧な準備じゃない。


小さくても、今の一歩。
5分で終わることは
、5分で終わらせる。



それができた日は、
たぶん少しだけ自分を
責めなくて済む。



そしてその小さな積み重ねが、
「また先延ばしした」
とつぶやく回数を、
少しずつ減らして
いくんだと思う。




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