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●1人でいる理由

ADHDの私は、
「1人でいるのが好き」
だと思われやすい。


だけど本当は少し違う。



私は孤独を求めているわけ
じゃない。



ただ、「誰にも気を使わなくて
いい時間」がないと、
心がすり減ってしまうだけだ。



●誰かと会う時は短時間に
しておく


誰かと一緒にいる時間は
嫌いじゃない。
むしろ、笑い合ったり、
会話が弾んだり、楽しい瞬間
もちゃんとある。



でも、その裏側で私は
ずっとスイッチを入れている。



相手が退屈していないか、
空気が重くなっていないか、
沈黙が苦しくないか。




無意識のうちに、
頭の中でずっと環境を
モニタリングしている。



「話題を出さなきゃ」
「笑顔でいなきゃ」
「楽しませなきゃ」

そうやって、見えない役割を
勝手に背負ってしまう。


もうその特性は治せ
ないんだと思う



ADHD &H SPの私は、人といるだけで
情報処理が一気に増える。



表情、声のトーン、
空気の流れ、相手のテンション。



相手の感情の微妙な
揺れを拾い続けて、
同時に自分の感情も
コントロールして、
「感じの良い自分」
をキープし続ける。



気づいたときには、
体力より先に心が疲れて
しまっている。


●1人時間を楽しむ


だから私にとって
「1人の時間」は、
逃げる時間でも、寂しさ
からの防御でもない。


それは メンテナンスの時間。



声のトーンを休ませて、
表情筋をオフにして、
頭の中のセンサーを一度
全部止める。



「誰のためでもない私」
「演じなくていい私」

その姿に戻るための、静かな空間。

ADHDの私は、常に外の刺激と
戦っている。



人といると、良くも悪くも
刺激が強すぎる。


楽しい時間のはずなのに、
帰り道でドッと疲れが
押し寄せてくるのはそのせいだ。




1人になった瞬間に、
ようやく呼吸が深くなる。



部屋の静けさが、
やっと心を元の位置に戻してくれる。



●勘違いされやすい


それを「人付き合いが苦手だから」
「1人が好きだから」
と一括りにされるのは、少し違う。



私は、人が嫌いなんじゃない。
ただ、「ずっと楽しませ
役でい続ける私」に
心と脳が耐えられないだけだ。



1人の時間を確保できると、
また人に会えるようになる。
また話せる。
また優しくできる。



だから私は学んだ。



無理に社交的な自分を
演じ続けなくていい。
疲れたら、静かな場所に戻っていい。



「誰にも気を使わない時間」は、
私にとっての必要条件。

家族には宣言しているので
私のカラータイマーが回りだしたら
1人の時間を与えてくれる。


そういう理解してくれる人が
いてくれることが本当に
ありがたい。



🔳まとめ


ADHDの私にとって、
1人の時間とは 
孤独の証ではなく、
回復のための 
生命維持装置
みたいなものだ。



そして今は、やっと言える。


私は「1人が好き」なんじゃない。
「本当の自分でいられる時間」を
ちゃんと守りたいだけなんだ。


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●自分の周りは自分の鏡

ADHDの私は、
人生の進み方を迷ったとき、
いつも「自分の周りにどんな
人が増えているか」
で判断している。



尊敬できる人に
出会うことが増えたときは、
だいたい私の人生は
いい方向に進んでいる。



逆に、「どうしようもない人」
「雑に人を扱う人」
「人の時間を奪う人」
と出会うことが増えたときは、
だいたい私が無理をしていたり、
環境を選べていないときだ。



環境が変わると、人間関係の
質も変わる。



だから私は、人との出会いを
「生き方の鏡」みたいに
使っている。
 



●自分の感覚


ADHDの私は、自分の感覚
だけを基準にするとすぐ迷子になる。


気分で走り出したり、
勢いで選んだり、刺激に
惹かれて失敗したり。



だからこそ、「今の私の周りに、
どんな人がいるか?」

という視点は、人生の
ナビゲーションみたいな
役割をしてくれる。



●類は友を呼ぶ


丁寧に生きているときは、
丁寧な人が近くにいる。



挑戦しているときは、
挑戦している人と出会う。



自分を大事にしているときは、
自分も人も大事にする人が
寄ってくる。




そして、自分を雑に
扱っているときは、
不思議なくらい、
同じように雑な人
が集まってくる。
人生って、すごく正直だ。



●友達がいない


でも私は、友達が1人もいない。

飲み会の常連もいないし、
誰かと群れる習慣もない。



LINEのグループも、
全然続かない。


気づけば、いつもひとりで
歩いている。


その理由は
わたしの本音を
共有できる人は
いないから

みんな本当は
言いたいけど、言えないことが
あって


私はその数がすごく
多いんだと思う


人がする
行為に、いちいち
疑問符がつくから

自分のやり方は
自分だけで
貫き通そうと思う。


友達がいないことは
不幸だと
言われることもあるけど、


わたしは「不幸」
だとは思っていない。
むしろ、「友達とは何か?」
がよく分からないまま、
大人になった。


●人との距離感の取り方
がわからない



小さい頃から、人との
距離感が難しかった。



仲良くなりすぎると
疲れて離れ、離れすぎると
寂しくて近づき、結局バランス
が取れない。



相手に合わせすぎて
消耗したり、頑張りすぎて
空回りしたり。



気づけば、「ひとりで
いる方が楽」という結論
に落ち着いていた。




世間では「友達がいる=幸せ」
「人脈が広い=成功」みたいに
言われることも多い。


●ひとりでいることが好き


でもADHDの私は、
たくさんの人の中で生きると、
心が摩耗してしまう。



会話に意識を配り、
空気を読み、記憶をつなぎ合わせ
、気を抜けないまま帰宅すると、
どっと疲れる。



それを繰り返すうちに、
「私には静かな世界の方
が合ってる」と分かってきた。




ひとりでいるけれど、
孤独ではない。
私には、「尊敬できる人たち」
がいる。



数は少ないけれど、
深く学ばせてくれる人。
人生の背中を見せてくれる人。
静かに刺激をくれる存在。



会う頻度は少なくても、
心の中で「勝手に師匠」
みたいに感じている人たち。



私の世界は狭い。
でも、その狭い世界の中の
人たちは、とてもあたたかい。



●自分のクオリティーを上げたい


友達がいない私にとって、
「誰とつながっているか」よりも、
「どんな人と出会えているか」
の方が大切だ。



広さより、質。
数より、深さ。



それが、私の生き方。



🔳まとめ



ADHDの私は、今日もまた迷う。


この進み方で合っているのか。


この選択は正しいのか。




そんなとき、私は静かに
周りを見る。




もし今、尊敬できる人が
近くにいるなら、
きっと私は、少しだけ
いま向かいたい方向に歩けている。



そしてそれだけで、
もう十分だと思っている。


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●田舎とADHD



ADHDの私は、田舎で18歳
まで暮らしていた。



山と田んぼと、同じ顔ぶれの人たち。



毎日同じ道、同じ会話、同じ空気。



それは安心でもあるけれど、
同時に「逃げ場のない世界」
でもあった。



生まれた場所だから、
そこにいるのが当たり前。
良くも悪くも「みんな知ってる」
「みんな見てる」



誰かの噂はいつの間にか共有され、

学校、家、地域の境界線は
曖昧で、どこにいても“
つながっている”。




ADHDの私は、人と近すぎる
距離感が苦手である。
優しい会話でも、長時間
続けば頭が疲れる。

そして何より嫌だったのは
毒母の呪縛だった。



●いままでの失敗


沈黙が怖くて喋りすぎて
後悔したり、
逆に何も言えず浮いて
しまったり。



常に「うまくやらなきゃ」
「変だと思われたくない」と
心の中で自分を監視し続けていた。




田舎のコミュニティは暖かいけど、
その温度が私には 少し熱すぎた。

 


●はじめての自由



そして18歳、進学をきっかけ
に都会へ出た。



正直、最初は不安だった。

人は多いし、場所は広いし、
誰も私を知らない。



でも同時に、胸の奥で
小さく息をした。




「ここなら、誰の目からも
離れていられる」
それは、初めて感じた
自由だった。




都会の人間関係は、ほどよく薄い。
隣に住む人を知らなくてもいい。
話したい時に話せばいいし、
疲れたら静かに消えても、
誰も追いかけてこない。



ADHDの私にとって、
その“距離の選べる感じ”は、
救いだった。

 
● 1人になることができない田舎。


田舎では
「みんなで一緒に」
「空気を読んで」
「同じペースで」
が当たり前だった。



でも私は、同じリズムで
生きられなかった。



ある日は全力で動けるのに、
別の日には電池が切れた
ように止まる。



その波を、田舎では理解して
もらいにくかった。


人に合わせないといけない。
そういう考え。



でも進学先は
波があっても、溶け込める
場所があった。




「今日は無理だから、
一人で過ごす」
そう考えることが、
こんなにも生きやすいなんて
知らなかった。



 
●年末年始に田舎に帰る



時間が経って気づいた。
私は田舎が嫌いだったわけじゃない。
ただ、あの密度の人間関係に
向いていなかっただけ。



都会は冷たいと言われるけれど、
私にはその“適度な距離”が
ちょうどよかった。



依存もなし、干渉もなし。
必要なときだけ繋がる関係。
それが、私の心には優しかった。

 


それ以来、私はずっと
「程よい場所」で暮らしている。



大都会でもなく、
田舎でもなく、
ちょうどいい街。



人は多いけど、
顔は覚えられすぎない。
近すぎず、遠すぎない。
選べる関係、保てる距離。


🔳まとめ


ここで私は、やっと息が
しやすくなった。

パートナーに出会い、
わたしを自由にさせて
くれる。



ADHDの私は、すごく
ありがたいこととやっと思える
ようになった。



「私は田舎が合わなかっただけ。
私は自分が生きやすい環境を
見つけられた。
だから、ここで生きていい。」





選んだんだ。
自分が壊れない生き方を。

 

今の私は胸を張って言える。

私は、こっちの生き方の
ほうが合っている。
だからここで、私のペース
で生きていく。


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●もうすでにクタクタ


ADHDの私は、
年末年始という行事の
連続にエネルギーを
大量消費してしまって、
気づいた頃にはもう
1月2日の時点でガス欠に
なっている。


楽しい予定のはずなのに、
同時に刺激の洪水みたいになって、
頭も心も常にフル稼働。


家族と一緒に過ごす時間も、
帰省も、人との会話も、
「大切」なのはわかっているのに、
ずっと誰かが近くにいる環境の
中では、心が完全に休まる瞬間
がほとんどない。




静かな空間で一人になって、
何も考えずに深呼吸する


その時間が私には必要なのに、
「せっかくのお正月だから」
「みんなと一緒にいなきゃ」と
いう空気の中で、
それをうまく取りづらい。



HSP気質も重なって、
声のトーン、表情、空気感、
人の機嫌、部屋のざわつき。
全部キャッチしてしまって、


何もしていなくてもどんどん
疲労が溜まっていく。


●外からは普通に見えるADHD


それでも外側から見れば
「普通に過ごしている人」
に見える。


笑顔も作れるし、
会話もできるし、場の空気も読む。


でもその裏側では、
ずっと自分の中でバランスを
取り続けていて、心
のガソリンは減り続けている。




そして気づけば、
あっという間にもう
「仕事始め」が迫ってくる。


5日から始まる仕事の
スタートダッシュ。
周りの人たちは
「よし、ここから切り替えて
頑張ろう」と前向きに
走り出す準備をしているのに、

私はまだ年末年始の疲労が
体の奥に残ったまま。




エネルギーが空になった
状態なのに、


「走り出してください」
と言われているような感覚。



まるでガソリンの入っていない車
のままアクセルを踏み込んでいるみたいで、エンジン音だけが
空回りしている。



動きたい気持ちはあるのに、
体も心もついてこない。


不安だけが先に進んでしまって、
「大丈夫かな」「間に合うかな」
「今年もまた同じように
疲れてしまうのかな」
と頭の中で負の感情が
ぐるぐる回り続ける。



●実は年末年始が1番忙しい



本当は、年末年始こそ
「休息の時間」である
はずなのに、ADHDとHSPと
いう特性を持つ私にとっては、
むしろ一番負荷の高い
シーズンになる。



人と関わる体力、予定の切り替え、
環境の変化、音、言葉、気遣い。
その全部を受け止めながら
過ごすのは、想像以上に消耗する。



だから時々、未来のことを
考える。



もっとお金が貯まって、
育児が終わって、自分の人生の
フェーズが少し落ち着いたら




年末年始は、海外の静かな
場所で、一人でゆっくり
過ごしてみたい。


誰にも気を使わず、
スケジュールも空気も音も、
自分のペースだけで選べる時間。


●時間を切り売りする
仕事には向かない。ADHD。



海の見える部屋で、
朝日と一緒に起きて、
誰とも会話せず、ぼーっと
空を見ながら温かい飲み物を飲む。



散歩して、本を読んで、
少し眠って、また好きな
ように時間を使う。



そんな年末年始を、
一度でいいから自分に
プレゼントしてみたい。




それは「逃げたい」
からじゃなくて、
「ようやく本当の意味で
休みたい」から。今までずっと
無理を重ねながら走ってきた自分に、
ちゃんと労わりを渡したい。




今はまだ、その未来が
少し遠くに見えるかもしれない。
それでも、そんな理想を胸の中
にそっと灯しながら、


今日をなんとかやり過ごしている。




🔳まとめ



私は弱いわけじゃない。
ただ、感じる世界の音量が

少しだけ大きくて、必要な
燃料の量が人より多いだけ。
だからこそ、自分のペースで、
自分の体と心を守りながら
生きていきたい。




そして将来、
ちゃんと満タンのガソリンで、
軽やかに走り出せる日が
来るように計画している。


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●この数日のレシートが山盛り

ADHDの私は、金銭感覚が
季節や気分に引っ張られる。


特に、年末年始みたいに
「イベント」と「人付き合い」
と「ご褒美ムード」が
一気に重なる時期は、
その揺れ幅が一段と大きくなる。



松竹梅
選べるのなら、

せっかくだから、
1番いい松にする



「年末年始だし」
お金はかかって当たり前だから
少し贅沢をする。


もちろん、使える予算は先に
計算しておいて
その予算内で買い物をしているけど


年末年始の買い物の多さに


いつもの依存症が
勃発しないか
結構にヒヤヒヤしてる。



「たまにはいいよね」

そうやって普段は買わないような
良いおやつだったり、

食材だったり

手に取ることに
慣れはしないだろうかと


不安を片隅に置きながら
支払いをしている。



そうやって自分に許可を
出す言葉を、この時期は誰よりも
上手に作れる。


●金銭感覚が狂いがちな
ADHD


わたしは
常に、許容範囲を超えないように
意識してきた



気づいたら、その“言い訳
ジェネレーター”がフル稼働
していて、本来なら
一度立ち止まって考えるはずの
ラインを、あっさり飛び越えてしまう。



普段の私なら踏みとどまれる
はずなのに、その時だけは
感覚がズレている。



「今は大丈夫」
「5日から整えればいい」
「これは必要経費」

ついでに、自分の
欲しいものも買ってしまう。


自分の生活のレベルを
上げてしまうようで怖い。


気づけば、未来の自分に
ツケを回していることが
今まで何度もあったから。

● ADHDの苦手

ADHDの脳は「今この瞬間の快感」
と「将来の損失」を同時に
天秤にかけるのが苦手だ。



ノートの中ではちゃんと
分かっているのに、
身体の感覚は“欲しい”と
動いてしまう。


財布の中身より、心
の満足度を優先してしまう。



そして後で家計簿を開いて
「あれ?おかしいな」と驚く。


●買い物依存症になった過去。

衝動買いをしたいわけじゃない。
贅沢したいわけでもない。

ドーパミンが欲しくて

いっときの快楽優先になってしまう。


むしろ、本当は不安だから、
少しでも心を軽くしたいだけだ。


●ものを買うときは
一晩考えてから


いつもよく考えて
ものを買うけども

この時期は
考えている時間がなく

突発的に
これ欲しいこれは買う


をやらざるを得なくて、


それが生活必需品
であれば問題ないけど、


自分の私物
例えば、服とか、化粧品とか
嗜好品とか、ちょっと良い布団、
肌触りの良い毛布、
お取り寄せのスイーツ類


そんなものも、この時期の
気持ちに便乗して


クオリティーの高いものを
買ってしまいがち。


必ず、そんな時は
ノートを見て
あと、いくらの予算があって
どれとどれは買えるんだろうか?

いつも、その対策を
実行しているけども、


ノートとにらめっこして
深く時間をかけて考えて
買っている暇がないのである。



「これくらい買ったら
元気になれるかも」


「これを選んだ私は、
ちゃんとやれてる気がする」


「去年はすごく頑張ったから
自分へのご褒美に
これも買ってあげよう」



そうやって、買い物で自分の
感情を調整しようとしてしまう。



それが良い時もあるけど、
崩れる時は一気に崩れる。



●許容範囲と
それを少し超えてしまう時


ここから不安なのは
この年末年始の金銭感覚を
意識して
通常運転に戻していくことである。



私はこれがすごく苦手なので


パートナーや家族に
相談して
買うべきかどうか
決めてもらう。


通常、運転になるまでは
いくらかな時間がかかってしまう。


いままで
「今月はヤバい」と気づいた瞬間、
胸の奥がスッと冷たくなる。


●自分の感情の管理と
金銭感覚は隣り合わせ


計算が甘かった自分に
落ち込んで、
また自己嫌悪にハマって、

「私はお金の管理ができない
人間なんだ」と責めてしまう。



でも、それだけじゃない。
その裏側には、
ずっと頑張り続けて疲れた心と、
限界ギリギリで走り
続けてきた身体がある。


「少しくらい許されたい」
「自分に優しくしたい」
「我慢ばかりの一年じゃ、
壊れてしまうから」

あの“ご褒美の瞬間”には、
ちゃんと理由がある。




ADHDの私は、
ルールで締め付けすぎると
潰れるし、
ゆるめすぎると一気に
どこがボーダーラインなのか?
わからなくなってしまう。



●自分を統制するのは外部
の司令


だからこそ必要なのは、
「ダメ」「禁止」じゃなくて、
“転ばないように敷いておく
クッション”みたいな仕組みだ。



・ご褒美枠は最初から別財布にしておく
・年末年始は「予想外費」を計上しておく
・買う前に一晩寝かせる
・未来の自分に相談する気持ちで考える

自分への司令は
一旦ノートやパソコンに
書き込んで、


そして、その設定と対策通りに
私は行動したらいいだけ。



年末年始パターンも作っている。

だけど、やっぱりイレギュラーな
ことが苦手なので
この年末年始は、とても
不安なままで生きている。


🔳まとめ


完璧にはできない。
それでも少しずつ、
転ぶ角度を小さくしていく。

ADHDだからブレる。
だからこそ、工夫しながら生きていく。




ただ、脳のクセと、
優しさと、疲れとが重なっただけ。

私は今日も学び直しながら、
お金と感情と付き合う方法を、
自分のペースで更新し続けていく。



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●実父にあうこととか
親戚に会うこと



ADHDの私は、
年末年始というイベントの
重なる季節になると、
毎年同じところでつまずく。



タスクが一気に増えて、
普段より難易度が何段階も上がる。



予定、買い物、挨拶、片付け、
準備、気遣い。


「いつもより少し多い」
程度じゃない。



頭の中のタスクボードが
一瞬で満席になる感じだ。




普段と違うルーティンが続く。
人に会う時間が増える。
気を使う瞬間も増える。
楽しいはずの時間なのに、
脳の負荷は知らない間に
上がり続けている。




そのくせ、「楽しそうにしてる役」
は続けなきゃいけない。



だから、体は笑ってるのに、
心のエネルギーだけごっそり
削られていく。




金銭感覚もブレる。
「せっかくだし」
「年末年始だし」
「たまにはいいよね」
そうやって自分に許可を
出すのがあまくなりすぎて、
気づいたらいつも自分の特性に



対する対策の計算が
甘くなっている。


普段なら止まれるラインを、
あっさり超えてしまう。


●何もしない時間が必要


何もしない時間がないと
リセットできない。


それがADHDの身体感覚なのに、
年末年始は「休み」のはずなのに
「休めない」



常に誰かと一緒、
常に会話、常に刺激。



静かな時間がなくなると、
心の中の回路がショート
し始める。




知らない家に行く。
慣れていない土地に行く。




初めての場所に座り、
初めての空気を読む。



たったそれだけで、
脳はすでにフル稼働。




家に帰る頃には、
もう電池残量1%みたい
になっている。


● ADHDの主婦の疲労感


さらに、主婦のADHDは
ここからが本番だ。



年末年始の休暇中。
家族全員が家にいる。


生活音、会話、動線、
呼びかけ、要求。


「ママ」と呼ばれるたびに、
小さな依頼が次々と
積み上がっていく。




そして今日も、子どもが一言。

「お腹減った。」



ただそれだけの言葉なのに、
心の中で何かのブレーカーが
バチんと上がる。


頭の中の集中がとたんに切れる。


脳内エネルギー0%。



ずっと耐えていた
疲労が一気に表に出てくる。



「さっきご飯作ったばかりなのに」
「休ませてほしいだけなのに」
そう思った瞬間、イライラが
こぼれ始める。




決して家族が嫌いなわけじゃない。
むしろ大切だからこそ
頑張ろうとしている。



でも、刺激が多すぎる空間の中で
「普通のお母さん」と
同じ振る舞いを続けるのは
想像以上に、難しい。



●あれどこ?
これないの?


それ言われただけでもう
涙が出てくる。



年末年始は、楽しいはずの季節だ。


家族と過ごす時間も、
思い出も、笑顔もある。



でもその裏で、ADHDの脳は
常に負荷を調整し続けている。



「何もしない日がないと崩れる」

「一人になれないと
リセットできない」


「ルーティンが壊れると
自分も一緒に乱れる」




すこしお茶をのんで
休憩してても

一人だけ
休憩してる。
って言われますけど、

あれはなんでそんな言葉
を発することができるんだろう。




それでも私は、
なんとか形にしながら
年末年始を乗り越えている。


🔳まとめ


誰にも見えないところで、
静かに、必死に、踏ん張りながら。

そして今年もまた、
同じように揺れながら、
それでも必要最低限の
パワーで乗り切ってるんです。



もっとやれって
言うってことは
わたしの破壊を意味します。



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●イレギュラーが苦手


ADHDの私は、年末年始と
いう時期がどうしても苦手だ。



街が一気に非日常モード
になって、空気がざわざわして、
みんなが浮き足立って
いるあの感じ。

予定も、環境も、生活リズムも、
全部いっぺんに崩れる。
普通の人にとっては


「楽しいイベントの連続」でも、
ADHDの私にとっては、
ステージが次々と変わるゲーム
を強制的にプレイさせられて
いるような、体力と集中力
がじわじわ削られていく時間帯だ。




人がたくさん集まる場所
に行くと、まず音や視線や
話し声が一気に押し寄せてくる。


会話、食器の音、テレビの音、
誰かの笑い声、子どもの足音。


全部が同時に聞こえてきて、

どれを処理したらいいか
分からなくなる。


頭の中のタスクが一瞬で
パンパンになって、会話に
集中できない。


だから、みんなでご飯を
食べながら話す、ということ
がどうしても苦手だ。


目の前の食事を味わうこと
もできず、話を理解すること
もできず、ただ「場に合わせて
座っている人」になってしまう。


●難関の忘年会


忘年会も、できるだけ欠席する。
親戚の挨拶も、短時間だけ
顔を出して、必要最低限てわ
切り上げる。神社へのお参りも、
行列を見ただけで心が
折れてしまうから行かない
ことが多い。



テレビはほとんど見ない。
音と映像とテロップと効果音が
同時に押し寄せる感じが、
年末年始の疲れ切った脳には
刺激が強すぎるから。


●セールはすごく好き


だけど、その一方で、
私は早朝のセールや福袋には
不思議と行けたりする。


人混みは苦手なのに、
その時だけは、眠い目を
こすりながら朝一で電車に
乗って、並んで、目当ての
ものを買いに行くことができる。


周りから見ると「なんでそれは行けるの?」って不思議に
思われるかもしれない。



でも、ADHDの脳は
「目的」や「報酬」が
はっきりしていることにだけ、
異常な集中力を発揮する。



「買い物」という一点に
スイッチが入ると、混雑も
寒さも一時的に耐えられてしまう。



それがまた、周囲に誤解を生む。


「できる時もあるじゃん」
と言われる。
でも本人からすると、
同じ「人混み」でも、
脳の負荷が全然違う。


●両極端

こういう両極端を同時に
抱えているのが、ADHDの
生きづらさだと思う。


できないわけじゃない。
ただ、条件によって、極端に
「できる/できない」
が入れ替わる。




しかもそれを、毎回うまく
コントロールできるわけじゃない。


お正月はその
「イレギュラーな条件」
が一気に重なるイベントだから、
とても疲れる。



みんなが「楽しいね」と
言う中で、自分だけがひとり、
心の中でぐったりしている。



「気分屋なんじゃない?」
「わがままなんじゃない?」
そう言われるのが怖いから、
黙って耐える。


場の空気に合わせて、笑って、
相槌を打って、帰る頃には
体力もメンタルも空っぽになる。



●理解はされにくい

だから私は、年末年始を
「がんばって楽しむ季節」
じゃなくて、「どうやって自分
を守りながら過ごすかを考える季節」
だと思うようにしている。



全部のイベントに参加
しなくてもいい。短時間だけ
顔を出すのも立派な参加。
無理にテンションを
合わせなくてもいい。



行けない場所より、
「行ける場所」「落ち着ける場所」
を探す。



苦手な瞬間より、「楽しみに
できる小さなこと」をひとつ
見つけて、そこに意識を向ける。


🔳まとめ


年末年始は、確かに疲れる。
でも、「私はこういう特性だから」
と理解しながら、自分に合った
過ごし方を選べたとき、
少しだけ心が軽くなる。


無理に“普通”に合わせなくていい。
自分なりのペースで、
新しい年を迎えられれば、
それで十分だ。


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●先延ばし癖


私の先延ばし癖がひどくて

例えば、とりあえず、

締め切りが1週間後だと
とりあえず1週間前から
取りかかろうとする



1週間前手帳に〇〇の件着手と、
記入



だけど、その日になったら
今日はもうすることがたくさん
あるから寝て明日朝から
しようそう考える。



次の朝になってから他に
する用事が急に入って昼
になってしまう。


昼からは他の予定が入っていて
、その日はまた〇〇の件
着手できなくなる。


じゃあその次の日は急な
仕事が入っていて、
全く着手できず、
その次の日も仕事。



そして予定より4日遅れて
取り掛かる。仕事で疲れているから、
少しだけして、後は体を
休める方向に考える。


その日は休みなんだから、
自分のしたいことをしようと
興味あることに使ってしまい
その日が終わってしまう。



そして、いよいよ前々日になる。

そしてこの日も仕事なので
疲れ果ててやっぱり進む事はなく、
そして前日になる。


●〆切前日
もう今日しないと日がないので、
なんとしてでも今日やらなくては
いけない。


その時の私の時間の使い方は、
天才的で10分前に違うタスク
をこなしている。



そして次の日の朝まで
対応リミットがあるので、
深夜までかかっても数時間で
出来上がってしまう。




という事は、決めた初日から
しておけば、1日数時間ずつ
やってやれば、2日で終わった
話なんだ。



けど、やっぱり締め切りまで、
まだ時間があると言うふうに
思ってしまう。

●時間の感覚


これが未来の時間を把握
できないADHDの特徴なんだと思う。



未来の自分が予測できないというか、
時間の管理が苦手である。


●二度寝

例えば、2度寝とかも一緒



朝6時に起きなくちゃ
いけないのに5分ずつスヌーズして
一体何度停めたら済むのって
言う位止めて6時40分
ぐらいにやっと起きてくる



そして
朝すごくバタバタして遅刻。

ギリギリに待ち合わせに
ついてしまう。
そんなことが、もう何億回も
再生された。



これをなんとかしたくて、、
何かトラブルがあったら
必ず遅刻してしまうから。



こういう時の対処法なんだけど



イマジネーションが豊かな
私の特性を利用して
「明日やろう」と思った瞬間、

最悪の未来を30秒想像する。
・「先延ばしが続いて
締め切りに間に合わず、
信用を失い重要な仕事を失う」



・「いつも『明日やる』
と言って何もやらない人間
として、周囲から呆れられる」


・「ギリギリで慌てて作った
作成物がクオリティ最悪で、
評価が地に落ちる」



その嫌な想像が
「今すぐ1分だけ手をつけよう」
という行動のきっかけになる。
ADHDは「明日ちゃんとやる」
より「今この瞬間に1分だけ、


ファイルを開くだけ、
タイトルだけ書く」の方が
圧倒的に実行できる。



大事なのは「明日頑張る」
じゃなく、"ADHDに明日は
存在しない。


今この瞬間だけ"を知ること。



そして二度寝なんだけど、
ここで起きとかないと
何か忘れ物をしちゃいけないので、
とりあえず起き上がって軽く
ストレッチをしてそれでも
ダメならもう一回寝よう。



そういう風な言い聞かせをする。
でも軽くストレッチが終わった
頃には起きようと言う気に
なっている。



朝がほんとに嫌い。
朝はほんとにいつまでも
寝ていたいのに、
夜は深夜まで何なら朝まで、 

その日早起きしたのに
永遠に起きていられる。


■まとめ

そんな私の特性なので、
二度寝と言う
起きるのを先延ばにする行為が
超得意である。


でも今何とか余裕を持って
行動できているので、
まぁそれも良しとしている




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●親🟰逆らえない物


「親だから」という言葉に、
ずっと逆らえずに生きてきた。



いい娘でいなきゃ、
期待に応えなきゃ、
傷つけてはいけない


そう思い込んで、
心をすり減らし続けてきた。



でもね、あのままだったら、
潰れていたのは私の方だった。


だから私は、母を捨てた。


自分の家庭を守るために。
自分の人生を取り戻すために。


●母からの洗脳


あれは3年前。
私のすべての行動を逐一
監視する母親。
電話、LINE、突然の訪問。


「どこ行くの?」
「何してるの?」「それはダメ」


結婚しても、家庭に踏み込み、
子どもが生まれても、
子育てに口を出し、
私だけじゃなく、孫の人生
まで管理しようとする。



修学旅行に行ってはいけません。
スキーもダメ。旅行もダメ。
「家で勉強しておきなさい」



楽しみを奪うくせに、理由はいつも
「あなたのため」「将来のため」


●孫は正直


でも、孫は見抜いていた。
ばあちゃん嫌いや。
もう実家には行かへん。
娘の言葉がわたしの
気持ちを代弁してくれた。


そう、わたしは母が嫌い。


私が言えない本音を、
娘が先に言ってくれた。
その瞬間、胸の奥で何かが崩れ、
同時に解放された。




●母の病


母は言う。
「お金は私が出すから
塾には行かせない」



でも現実は、
毎年のように買い物依存で散財し、
数百万単位でお金を無心してくる。


1円も返す気はないのに、
私には上から目線で偉そうに
指図する。



私は娘を守りたかった。
私の家庭を壊させたくなかった。
だから、ついに切り離した。



連絡を断ち、距離を置き、
もうあの人はわたしの
親ではないと信じた。


罪悪感はあった。胸は痛んだ。
でもそれ以上に
わたしは生き返れた。




母を捨ててよかった。
あの決断は、1つも間違っていない。
私は加害から逃げただけ。
自分の人生に戻ってきただけ。



不謹慎かもしれない。
でも、あの頃の私は、母に早く
「死んでほしい」と思っていた。


それくらい追い込まれていた。
息もできないほど、
心が削られていた。

母が死ぬか、わたしが
おかしくなるか

どちらかならば、
母に死んでもらおうと
思っていた。


●母子依存症の果てに


ADHDのくせに、
人の期待に応えすぎて、
自分を後回しにしてきた私が、
ようやく自分を守る側に回れた日
それが、母を捨てた日だった。



「我慢しなさい」
じゃなくていい。
「血がつながってるから
縁は切れない」なんて
しんじなくていい。



傷つける人から離れるのは、
裏切りじゃない。
命を守る行為。



自分を守れない人は
大切な人も守れない。
とそう思う。


私は今、ようやく呼吸ができる。
家族の笑顔を守れる。
娘の未来を支えられる。


そして何より
自分を責めないで生きられる。



🔳まとめ



あの日の私の選択は、
弱さじゃない。逃げじゃない。
強くなれた証拠の決断だったと
思う。



生きるための、最後の手段だった。

すべて終わった。
これからは自分のために
幸せにいきる。
これからも、自分に誇りを
もって胸を張って生きていく。


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●自己の矛盾を認める



ADHDは矛盾だらけ。
それでも私
は生きている



ADHDで生きていると、
いつも「自分って矛盾だらけだなぁ…」
と感じる瞬間がある。


行動も感情も思考も、
まるでブレーキとアクセルを
同時に踏み続けているみたいで、
自分でも説明できないことが多い。



たとえば

・散らかすけど潔癖
・大雑把だけど繊細
・お金ないのに使う
・眠いけど眠れない
・気温に敏感なのに薄着
・好奇心旺盛なのに飽き性


普通の人から見たら「意味不明」
かもしれない。
でもこれは怠けているわけでも、
反省していないわけでもなくて


理由もちゃんとある


ADHDの脳の仕組みが
生み出す“ちぐはぐさ”なんです。



■「散らかすけど潔癖」という謎

部屋は散らかりやすいのに、
食器の汚れや匂い、手触りには
やたら敏感。



机の上はカオスなのに
シンクのぬめりは一秒も
触りたくない。

これは「汚れていても平気」
という意味ではなく、

感覚過敏 × 片づけの認知的
負荷の高さ



この2つがぶつかっているだけ。

片づけは「分類・判断・記憶の整理」
が必要で、

ADHDにとってはものすごく
エネルギーを消耗する作業。



でも「不快な感覚」は強烈
に入ってくる。
だから「散らかるのに、
清潔面には異常にこだわる」
というちぐはぐな現象が起きる。



■「大雑把だけど繊細」

人からは「細かいこと気にしなそう」
と言われるのに、
実はめちゃくちゃ
傷つきやすい。



・言われた一言をずっと引きずる
・視線や声色から空気を読みすぎる
・雑音・匂い・温度に疲れやすい


外から見ると“適当そう”。
でも内側では常に全身フル稼働。



ADHDの脳は
刺激のフィルタリングが
苦手だから、
必要以上にいろんな情報を
拾い続けてしまう。



その結果

行動は大雑把に見えるのに
心はめちゃくちゃ繊細



という偏りが生まれる。


■「お金ないのに使う」

これは意思が弱いからでも
浪費癖があるからでもない。

ADHDの脳は


・先延ばしになる未来
・遠くのリスク

よりも、

・“今この瞬間の快感”
・“今の不安からの回避”

を強く優先するようにできている。

疲れたときのコンビニ、
ストレスの後のネット
ショッピング。


一瞬の dopamine
(安心・達成・刺激)に
思考が持っていかれてしまう。



あとで後悔するのも分かってる。
それでも止められないときがある。



「ダメな自分」じゃない
「脳の特性による決断バイアス」


そう理解すると、少しだけ
自分を責めなくて済む。



■「眠いのに眠れない」



体は疲れているのに、
頭の中だけがフル稼働。


・考え事が止まらない
・反省会が始まる
・過去や未来の心配が再生される



布団に入ると
「静かになった分だけ
思考が走る」現象。



ADHDは

オフになるための
スイッチオンが苦手



だから眠れない=怠けではなく
「クールダウン機能が
追いついていない」だけ。


■「気温に敏感なのに薄着」
暑さ・寒さに過敏なくせに、
服装調整が苦手で極端になりがち。



・今の気温だけで判断
・先の状況を想像しづらい
・上着を持つ → 失くす 
→ 持たなくなる

結果、

「敏感なのに無防備」

という矛盾が起きる。


■好奇心旺盛なのに飽き性

人に物にも、好奇心が旺盛で
すぐに深く知りたいと思うけど、
途中から違うことに
意識が向かって
1つのことを一定時間
集中してすることができない

好意的だった人が一瞬にして、
興味なくなるというのは
毎日のようにある


■矛盾してても、
私はそんな特性だから
自分の特性を味方につけると
安泰で、そのまま素直に生きて
しまうと、

地獄を見ることになる

ADHDは

・論理より感覚が先に動く
・行動と内面が一致しない
・常に自分の中で葛藤している

それでも

毎日なんとか形にして生きている。

矛盾は「欠陥」じゃなくて
「特性のぶつかり合い」の結果。

だから自分に優しく言ってあげたい。

「私はおかしいんじゃない。
ただ、人より複雑な脳で生きているだけ。」

これを知るだけで、
少しだけ息がしやすくなる。

🔳まとめ


もし同じ矛盾を抱えている
人がいたら、
あなたは一人じゃない。

今日も矛盾したまま生きてる。
それでも前に進んでいけるよ。

それって、ほんまは強い武器にできる



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