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もしも今日死んでも後悔しませんか?

今日、出勤中のメトロの乗り換えで、通路に横たわりビニールのかかっている男性(おそらく)と数人の警察官が警戒線をはっている脇を通過した。
ロシアの死因の50%を占めるとも言われる循環器系の突然死だろう。。。


おそらく、サンクトペテルブルクで3年の間に2回こんな場面に遭遇した事になる。

※(写真はイメージです)



最近はテロや空爆のニュースで毎日のように死者が出る。
それをニュースで見ていると、死」という事がまるで株価の数字のように扱われているかのような感覚に陥ってしまうのは私だけだろうか。





スターリンの名言とされる

「一人の死は悲劇だが、百万人の死は統計だ」
を彷彿させる今の世の中の事象である気がする。


インターネットやテレビで見る、
「死という人生の終焉」があまりにも現実からかけ離れたバーチャルなもの
になっているだけに、今日のメトロでの出来事で、ハッとした。


彼は、普段と変わらず会社に出勤をしていたのかもしれない。
彼は、休みの日でどこかに出かけていく途中だったのかもしれない。
彼は、家にはやり残した仕事や、乾そうと思って忘れていた洗濯物が洗濯機の中に残ったままかもしれない。
彼は、返信していない仕事のメールがたまっているかもしれない。
彼は、昨日奥さんと喧嘩したっきりでごめんなさいが言えずにいたかもしれない。



ビニールシートからはみ出る彼の足が、「死」というものが現実の出来事であり、いつの日か自分にも訪れることであることを実感させた。



私の住むサンクトペテルブルグの街はヨーロッパでも有数の観光都市。
航空機の爆破テロもそうだし、フランスのテロもそう、標的になる可能性があるというイメージから、街の中はなんだかネガティブなオーラが漂っている様にも感じる。
荘厳なカザン聖堂を横目に一番の大通りを歩いていても、どこか人ごみに心がざわついている自分が居るのも感じる。




実際にテロに会う確率は、宝くじに当たるより低いだろう。
日本にいたとしてもいつ天災の被害にあうかもわからない。
漠然とテロを警戒するよりも、実は信号待ちの時に横切る車を警戒したほうがよっぽど身の為だろう。

私にテロを停める力はないが、少なくとも、彼らのココロの支配に屈せず、今まで通り自分らしく一生懸命に生きることがとりあえず私なりの最大限の事だと思っている。



そして、今一度、彼の死を目の当たりにして、

今日という日を精一杯生きることを忘れないようにしたい。



今日できることを明日に持ち越さない。





ごめんなさいは今日言おう。

愛しているは今日言おう。

サヨナラの握手は気持ちを込めて。

サヨナラのハグは想いを込めて。




そして
「おはよう」が言えることが幸せであるという気持ちを忘れずに一日を始めたい。




不幸にもお亡くなりになった方にご冥福をお祈りします。








そして「あなたは、もし今日死んでも後悔しませんか?」







以上。