ー世俗的な救済をする者には、以下の心が必要とされるー
・以一当千(いいつとうせん)
一人で千人と同等の働きをするという事。
またはひとつのものが千ものの代わりになる事。
人の話は千ある場合でも、世俗的な救世主が一人でその千ある話を理解する必要があるのか、また一人が千の話を聞く必要があるのか。
・一意専心(いちいせんしん)
全てに通ずる事で一番必要な部分でもあり、ひたすらひとつの事に心を集中する事。
肝心な部分を見過ごしてどうでも良い部分に目を向けてはダメであるという事。
これに対する世俗的な救世主の考えとは如何なるものか。
・夷険一節(いけんいっせつ)
どんな時でも信念を守り続ける事で、順境でも逆境でも信念を変えない事を指す。
この事から世俗的な救世主として今後の決意とは如何なるものか。
・安心決定(あんじんけつじょう)
とは何か。
・安心立命(あんじんりつめい)
自分自身の人間としての境地と、世俗的な救世主としての境地と、これから救う皆の境地(心安らぐ場所等)を、
そしてその自分自身と世俗的な救世主の立命とは如何なるものか。
立命とは、天命を全うする事。
・博施済衆(はくしさいしゅう)
救世主はどんな者も苦しみから救うという事も指す。
広く人民に恩恵を与えて、民衆を苦しみから救済する事。
為政者の心得。
祭事的な救世主と共にまつりごとを行うに必要な考えも含み、
世俗的な救世主はどのように考えるか。
・摂取不捨(せっしゅふしゃ)
生きているものを全て見捨てる事はないという教えからくる言葉でもあるが、仏の解いた答えではなく、
世俗的な救世主としての摂取不捨とは。
・救国済民(きゅうこくさいみん)
世の中をうまく統治して民を苦しみから救い出す事であるが、
救世主は救国済民ではなく救世済民という立場になる。
前者は人的な世の中を民から救う手段であるが、救世主としては後者、
神側の立場から世の中を救う事になる。その為にはどのように救っていくべきか、その方法とは。
・一片氷心(いっきんひょうしん)
清く澄み切った心や心境、名利を求めず汚れなく清らかな品行の例えである。
救世主は、この心を持ちつつも、人間的でもあらねばならない。
救世主の一斤氷心とは。
・初志貫徹(しょしかんてつ)
最初に決めた事は最後まで貫き通すという事
時間が経てば人は初心を忘れてしまいがちであるが、何があっても流されずにやり抜く強い意思が必要という事。
世俗的な救世主の強い意志とは如何なるものか。
・明鏡止水(めいきょうしすい)
明鏡とは一点の曇りもない鏡。止水は止まって静かな水面を指す。
要するに邪念がなく静かで澄み切った心境を指す。世俗的な救世主は、このような心、存在にもならねばならない。
世俗的な救世主がこのような存在になる為にはどのような行動や気持ち、心、真髄を極める必要があるのか。
・安寧秩序(あんねいちつじょ)
国や社会が乱れる事なく治っていて、平和を保つための決まりが守られている事。
秩序は社会や集団などを正しい状態に保つための順序や決まりを指すが、世俗的な救世主はどのような形でまとめ、
宥め、秩序を乱す事なく導いていくのか。
・河山帯礪(かざんたいれい)
永久に変わらない固い誓い、または国が栄え続ける事の例え。
永久に変わらない平和で安泰の世の中をどのような角度から見定めていき、作り上げるのか。
・磨穿鉄硯(ませんてっけん)
強い意志を持ち続けて達成するまで変えない事。
休まずに学問に励む事。
悟りを得る為にこのような強い意志を持ち続ける必要がある。
しかしながら人には必ず欲望がある。それはその時々あらゆる形で訪れる。
どのように打ち砕いてどのように乗り越えていかないとならないのか。
・悪人正機(あくにんしょうき)
阿弥陀如来の悟りの一環であるが、世俗的な救世主の考える正機とは何か。
・異体同心(いたいどうしん)
世俗的な救世主に自分自身がなったとするならばその決意は、
そして自分の相手(祭事的な救世主)に対する気持ちの決意とは如何なるものなのか。
これを自分自身の本心を全て述べるとしたら如何なるものか。