さてさて、一生懸命のおしゃべりでございます。
だいたい人間の強さっちゅーもんは物理的に決まっておりまして、刀持ってる輩は刀持ってない輩よりも強いですね。こりゃもう当たり前の話です。江戸時代なんか260余年の太平の時代と言われていますが、当時の刀持ってない輩にしてみたら平和でもなんでもない、びくびく頭下げて暮らしてましたっちゅー見方もできますわな。
いわゆる無礼討ちという言葉もあります。町民が侍に無礼を働いたならその場で殺せるっちゅー決め事ですな。基本的に侍の身体にうっかり触ってしまったら殺される権利が発生します。いやいやほんとの話で、例えば、おにぎり咥えた女の子が寺子屋の授業に遅れないためにすたこら走っていて、うっかり角を曲がってきた若侍とぶつかったとしますわな。
「どこ見て歩いてんのよ!」
「死ね!」グサ。
――と斬られて人生が終わります。ラブコメなんか発生のしようもありません。女の子はむやみに走るな歯を見せて笑うな口答えするなという、今聞いたらえらい非人道的なしつけの数々も、侍が刀持ってた時代にあっては必要悪みたいなもんです。ほんまにその程度でも命が危うい時代です。
もっとも無礼討ちにもデメリットはありまして、一生懸命証人をひっ捕まえて、お上に殺した相手の無礼さを証明しないといけません。証明できなければただの人殺しとしてお家改易や切腹やと厳しい処罰が下ったそうです。
さっきの例で言いますと、若侍は斬ったあとすぐさま周りを見回して証人を探します。運悪く居合わせたのが天秤棒担いでこれから市場に行こうとしていた魚屋のおっさん。
「おい魚屋! きさまついて来い、奉行所行くぞ」
「うへえ、なんでです。殺したのお侍さまやないですか」
「見てたなら女の無礼を証言せえ。口答えするとお前も殺すぞ」
「へえご勘弁を。これから仕入れに行きませんと、とりおきの魚腐らせたら後で買い取らなあかん始末でして」
「口答えしたな、斬る!」グサ。
――さて周りを見回した若侍の目ぇがギョロッとあなたの方を向きまして。
まあさすがにこんな短絡的な侍もなかなかいないでしょうから、極端な例えのための例えにすぎませんけど、ともかく町民にとっては侍ほど鬱陶しいものはない。お堀の中でええもん食って、ひっそりと刀でも振るってろという、これはそういうお話でございます。
「大変やー、大変や大変やご隠居、やってもうたぁ」
「なんやどうしたんや熊きち。ええ年して寝小便でもしたんかい」
「ちゃうわいちゃうわい、侍殺してしもうたんや」
「あ? なんやて熊きち、何を殺した?」
「侍殺してしもうたんや」
「……侍?」
「侍殺してしもうたんや」
「ま、待て待て。殺したって、袴着て刀差してる侍か?」
「そや」
「横浜来て肩鳴らしとる」
「それはぺるりや。肩鳴らしとるて、ボケが苦しいでご隠居。勝手にぺるり提督肩こりにしたらあかんで」
「ああそやな、ぺるりには悪いことした。――そやかて熊きち。そらまずいやろ。ええ? ……はぁー、侍を? 殺した」
「殺してもうた」
「そらしかし、なんでまた殺してもうたんや」
「わし悪くないんや、世の中が悪いんや」
「世の中てお前、そんなガキみたいなこと言うな三十路近いくせに。なんで殺した。喧嘩か」
「いやそこの角で出会い頭にどかーんぶつかって」
「ぶつかって、それで?」
「わしはなんともなかったんやけど、侍が壁に頭ぶつけて気ぃ失ってしもうてな」
「そのまま死んだんか?」
「ちゃうんや、うっかり起こして無礼討ちになったらアカン思うて、そのまま放置して逃げよ思うてんけど」
「けど?」
「侍の懐に虫が入ってるの見つけてもうたんや」
「虫? 虫てどんな虫や」
「そらもう、この長屋でも毎日のように見る」
「黒いアレか?」
「黒いアレや。あんまり名前言うとカサカサ這い出てきようやから、よう言わんけど」
「ほんなら仮にぺるりにしとけ」
「ご隠居よっぽどぺるり提督嫌いなんか」
「やかましい、黒船も便所コオロギも似たようなもんや。――ほんでぺるりが入ってたから、どうした」
「いくらなんでも懐にぺるりが入ってるのはかわいそうや思うて、取ったろうとしたんやけど、素手でぺるり触るのも嫌やからなんか棒きれないかなと思うて。そしたら侍の腰に刀が差さってるやんか。鞘ごとしゅるりと腰から抜いて、それでぺるりをツンツンしとってんけど」
「危ないことしよるなあ。ほんで?」
「なにせ刀なんか生まれて初めて持ったから、重くてよう使いこなせん。外へ追いだそうとつついてるはずやのに、逆に懐に追い立てるみたいになってしもうて。ぺるりがどんどん奥の方に入り込んでいって、しまいにゃ見えなくなったんや。そんでふと気がつくとガサガサガサガサ異様な羽鳴りがお侍の股の辺りから」
「ふんどしの中入り込んだんか」
「そうやねん。ほんでこれはもうどうにもならん思うて、刀放り出して逃げようとしたら足をガシって掴まれて、待てい貴様と咎められ」
「お侍起きたんか」
「そうや。起きて暴れよるからふんどしの中のぺるりもますます暴れよる。お侍も腰砕けになって股押さえていったい貴様何をしたと喚きよるから、正直に話したんや。ぺるりが金玉齧ってまっせ」
「ほんで?」
「泡吹いて死んでもうた」
「はぁ……かわいそうに。お侍がぺるりに金玉齧られたらそら、生きてられんわな」
「ちょっとおもろいな」
「あほ、おもしろがるな。まあでもそんなら殺したのお前やなくてぺるりやないか」
「でもわしが馬鹿正直にぺるりのこと言わんかったら平気で生きてたかもしれんで。なんや金玉かゆいなぁボリボリ、ん、なんか変なコブついとる、性病かな? ぐらいで済んだかもしれん」
「性病は性病で難儀やけどな。ともかくお前に悪意はなかったんやろ? そんならそれでええやないか。不幸な事故や。ぺるり如きでビビって死んだお侍が情けない」
「わし悪くないんか?」
「悪くない、ということにしとかな、この貧乏長屋の連中にも迷惑がかかるやろ。同じ五人組の男がぺるりけしかけて侍殺しましたて奉行所にバレてみい。連座でみんな首飛ぶで。もちろん私の首も飛ぶ。そやから知らん顔しとけ。同心やらが取り調べに来てもなんにも言うなよ。お侍の遺族からしたら、侍がぺるりに金玉齧られて死んだなんて真実に耐え切れるはずもないから、絶対に事情を捻じ曲げて逆恨みしよるからな。お侍殺したのはぺるりやなくて熊きちということになり、熊きちは貧乏町人やなくて香具師の一味ということになり、私ら五人組もその片棒を担いだということになって殺され、それでもまだ武士の面目が立つかも分からん。下手したらこの町内、ぺるりのせいで人っ子一人いなくなるかもしれん」
「お侍ってのはそんなに陰険かいな」
「陰険や。陰険が服着て歩いてるようなもんや」
「そんなら黙っといた方がええな」
「そうせえ。熊きちがしっかり口を閉じるだけで何人の命が助かるやもしれんのやからな」
「ほんならそうしよう。ご隠居に相談したかいがあったわ」
「そうやろうとも。そんで熊きち、お前さんがお侍の刀持ってぺるりつついてたとこ、誰にも見られてないやろうな。誰かに見られてたら厄介やで。誤解されよる」
「それは大丈夫や。裏手の小便横丁の角やからな。あんなとこ、うちの長屋のもんが立ちションする時ぐらいしか人通らんで。ご隠居以外はみんな仕事に出てるしな」
「お前もぶらぶらしてんと働けよ。まあそれはええとして、小便横丁なぁ。なんでそんなところにお侍がいるんや」
「よお分からん。小便しようと角を曲がったら横丁から出てきて、そんでぶつかったんやけど。お侍も小便したかったんかなぁ」
「あほ、お侍が立ちションなんて外聞の悪いことするかいな。――いやでも他に考えられんな。うっかり我慢できなくなって、人気のない小便臭い横丁に入ったんやろうな」
「焦ってたからふんどしの締りも緩くてぺるりがするっと入ったんか。……なんかかわいそうなお侍やな。わし涙出てきたわ」
「そうやな。お侍なんていなくなった方が世の中のためやけど、この死に方はあんまりや。念仏ぐらい唱えたろ。なむなむ」
「どうせなら直接死体に唱えたってや」
――熊きちがご隠居の部屋の戸を開けると、そこには洗濯桶に突っ込まれたお侍の死体がありました。
「お、お、お、お、お前あほかい熊きち。なんで私の部屋まで死体持ってくるねん」
「だってどうしたら分からんからご隠居のとこ相談しに来たんやし。突拍子もない話やからとりあえず現物見てもらおう思って。ほらこれがふんどしの中や」
「めくるな、袴めくるな! はよ小便横丁戻して来い!」
「ほんならそうするわ」
「……ああ、待て待て。もとに戻すとこ誰かに見られるかも分からん。……嫌やけど持って入れ」
「よいせ……よいせっと。うわ、ぺるりが這い出てきた」
「余計なこと言うな、私も泡吹いて死にそうや……」
ご隠居さんすっかり蒼白になりまして、熊きちと一緒に狭い部屋の中どたばたぺるりから逃げていましたが、やがて覚悟が決まったのか――
「よし、埋めよう」
「埋めようてご隠居、何処に埋めるねん」
「この部屋の床下や」
「ほ、本気で言うてんのか?」
「ほんまの本気や。ええか熊きち、私も昔は木っ端侍の三男坊で、旗本の家に奉公に出されてな。ちょっとしたことで不興を買って無礼討ちされそうになったんや。別に殺されるほど悪いことしてないねんから、堂々と殺されとけばお天道様に導かれて極楽にでもいけたんやろうけど、そんな度胸はなかった。必死にへいこらしてな。毎日土下座して、竹刀でケツ叩かれて、池のぬるい水に顔つっこんで鯉の真似してな。そんな日々を耐えて耐えて、耐えてるうちに人間が曲がってこのザマや。嫁の来てもなく、流れに流れて貧乏長屋でかすみ食って生きとる。恩義がなんや、忠節がなんや。そんなもん全部刀がやらせてることやないかと思うてしまうと、世の中支えてる屋台骨の道徳すら信じ切れん。そんな私のところに侍の死体が来たのも、これも何かの縁やろうな」
「縁てご隠居、死体の上で寝て平気なんかい」
「どうってことない。……ええか熊きち、夏も近いし、死体を地下に埋めても三日とたたずにひどい臭いがするやろう。そしたらお前は同心呼ぶなり奉行所駆けこむなりせえ。ご隠居の部屋から異臭がする言うて、駆け込め。五人組の連座は、ちゃんと密告すれば恩情で軽くなる」
「そやかて」
「ええから聞け。私は奉行所でお侍殺したと白状する。なんで殺した? お侍が立ち小便したのをあげつらったら無礼討ちで殺されそうになったからや。そんで奉行に恨み節聞かせたるわ。なにが無礼討ちや。何が礼儀や。そんなもん人殺す理由になるかい。人をいじめる理由になるかい」
「なんか変なスイッチ入ってもうてるなぁ……。よっぽどお侍に殴られてきたんやろうな。……あのなご隠居、お侍殺したんはぺるりやで。ほれ見ろやふんどしの中! 見ろや!」
「見せんでええ。真実なんかどうでもええんや。ぺるりがお侍殺した言うて、世間の誰が納得するかい。金玉齧られて死ぬお侍なんておらんのや。世間的にそういうことになってしもうとるんや。……ええか、その間抜けなお侍殺したんは私や。ぺるりも私も似たようなもんや。もし私の言うこと聞かんと余計なことしよったら、ぺるりに生まれ変わってお前さんの金玉齧ったるからな!」
思わぬところから年よりの頑固に火がついて、熊きちはすっかり狼狽してしまいました。ご隠居は床下をひっぺがし、侍の持っていた刀を器用に使ってザクザク地下を掘り抜いていきます。こらもうどうにもならんと思った熊きちは貧乏長屋を飛び出して、表通りにある同心の詰め所に駆け込みました。
「大変だ大変だ!」
「んだい人が昼寝してたのに。何かあったのかい」
「さ、佐吉の旦那。ご、ご隠居がぺるりの罪を被ってお侍の死体を」
「あ? なんだって」
「ぺるりがお侍を殺してしもうて、その罪を被ったご隠居が奉行所に文句つけたるって」
「ぺるり? ぺるりはこないだ海の向こうへ帰ったらしいで。なに寝ぼけてんねん」
「いやぺるりやなくて便所コオロギ」
「話にならん。酒が抜けてからもう一回来い」
蹴り出されてしまいました。こわごわ長屋に戻ると、ご隠居はすっかり死体を埋めてしまったのか、表で洗濯桶をたわしでゴシゴシこすっています。
「あかん……手遅れや。ほんまに死体埋めてもうたら、殺したんが便所コオロギでも許してもらえん。何がなんでも隠し通すしかあらへん……」
熊きちがびくびくする間に三日経ち五日経ち、死体がぷんぷん臭うようになりました。同心たちは行方不明のお侍の捜索に明け暮れていますが、手がかりがありません。詰め所で疲れた足をもんでいた佐吉は、ふと熊きちが妙なことを言っていたのを思い出しました。
「ははーん、さては」
「どうした佐吉。なんぞ手がかりでも見つかったか」
「へえ、親分。ちょっと例のワン公お借りしてもよろしいですか」
「おお、例の壬生の狼かい。あいつの鼻は普通の犬の五倍は利くからな。なんぞ心当たりがあるんやったら、思い切って使わせたろ」
「へ、任せといてくだせえ」
翌朝、わんわんうるさい犬の声で長屋の連中が起き出しますと、同心の佐吉が普通の犬の二倍はあろうかというような大きなワン公を連れて現れました。
「なんや、くっさい長屋やな。こんなんやったら狼連れてこんでもよかったわ。おい熊、熊きち」
「へい」
「前にご隠居がどうのと言うとったな。隠すとためにならんぞ。ご隠居の部屋は何処や」
「っへい。……ご隠居の部屋は」
「さっさと言わんかい」
「っへい……」
「うー、わんわん」
熊きちが言いよどんでいるうちに、狼がぴしりと戸が閉まった長屋の一室の前で吠えました。
「ふん、ここやな、開けるでご隠居、いるんやろ!」
佐吉が戸を開けると、そこにいたのはご隠居ではありませんでした。狼とほとんど同じぐらいの大きさの巨大な便所コオロギが、手足をうぞうぞと動かしていました。
佐吉も熊きちも、他の長屋の連中もみな腰を抜かしてへたりこみます。狼だけが闘争心をむき出しにして便所コオロギに襲いかかります。
飛びかかった狼の牙がコオロギの背中を突き刺したかと思うと、コオロギがお返しに狼のでかい金玉をがぶー! と噛んで、狼はコロリと死んでしまいました。
そのまま狼の死体を踏みつけて、うぞうぞと部屋を出てきた便所コオロギの迫力に長屋の連中は阿鼻叫喚の大混乱、一目散に通りへ逃げたものだから、たまたま通りかかった旗本の輿と護衛の侍たちにぶつかってしまいます。
「なんだ貴様ら、無礼な!」
「手討ちにするぞ」
と侍たちが言うや否や、巨大な便所コオロギが羽を広げて飛びかかっていきました。
刀で斬りつけられてえげつない体液を吹き出しながらも侍たちの袴の下に潜り込んでは噛みきっていく便所コオロギに、熊きちは「ご隠居か?」と声をかけましたが、コオロギは夢中で身体を震わせるばかりでした。
「――そうか、あのお侍を殺したぺるりも、人間やったんか」
「熊きち、いったいこりゃなんや」
「佐吉の旦那、これがほんとの虫身戦争(むしんせんそう)や」
三題噺「虫・狼・無敵の運命」ジャンル指定「時代小説」了
