今日、しばらくぶりに母と対立。
対立スタートの一秒前まで仲良くお菓子を食べながら、TVを見ていた。
番組の中では、タレント二人が気楽にサンフランシスコを旅していた。
「いいよな~。サンフランシスコ、移住するには最高の場所だよぅ。」
私のこの一言が今思えば発端だった。
「ミーは英語が話せるのだから、海外にでも行って生活すればいいのに。」
え?私がどんだけすばらしく英語がしゃべれると思ってるんのさ・・・・・。
「そういう生き方もいいと思うわよー。向こうで仕事を見つけて、家族を持って・・・。」
え!ハーフの孫がほしいのか!?・・・・・。
「お母さんも若かったら、そういうことにチャレンジしてみたいわぁ。」
50歳から英語勉強して翻訳家になった人もいるよ・・・・・。
「ねぇ、やってみたらどう?」
ここまではなんとか「余計なこと」を言わず我慢して聞いていた私でしたが、
つい言ってしまいました。
「そんなこと言うなら、援助してよ。資金があったら明日にでも飛行機手配するっつーの。
仕事探すにも何かを勉強しに行くにしても、最初はマネーがいるのよ、マネーが。」
お門違いなことを言っている・・・ということは、よーーーくわかっているのだが、
母のそういう発言の裏にある別の意味を、なんとなく感じてしまうだけに
ついこのような言い方になってしまうのである。
ここで黙ってくれたら、無駄なディベート大会にならずに済むのに、ここで黙る母ではない。
血は争えない・・・母は私の母ですから。
「遊びに行くならお金がかかるけど、
海外で生活してる人がみな、最初からお金持ちで行くわけじゃないじゃないの。」
母よ、自分の娘に何を求めているんだい?
どんな苦労させたいというんだ。
海外旅行など、「香港」くらいしか行ったことのない母のたわごとに辟易しつつ、
「そんな夢見たいな話・・・。旅行程度で終わって帰ってくる人が大半だよ。わかってる?」
そして、
「日本は世界でもTOPランクを誇る豊かな国だよ。
その中で中くらいの生活ができることが、どれだけ幸せなことか・・・・。
なんで苦労するのがわかっていてこの歳でわざわざ海外に行かなくちゃいけないのよ。」
私のそれらの言葉に母がダメ押しの一言。
「そうよね、まぁ、ミーにはムリかもね。」
げっ!!!!それ言うか!!
自分から「海外で一旗上げてくれば」的な意見を提案しておきながら、
最後にずどんと落とすのは反則だろう。
「バカにすんなよ。私はそれくらいの実力もバイタリティーもある女でぃ!」
そんな風に啖呵を切れたら爽快だろうが・・・言えません。
だって、そんなバイタリティーないもん。(←あら、認めちゃったよ。)
というわけで、わたくし、試合放棄。
・・・というか、私としては母のそんな「わかってない」発言をまともに受け止めて
いちいちカチンと来ているわけではない。
母の発言がそのままその通りの意味であるなら
「娘を買いかぶっている親ばか三太郎」くらいに思い、申し訳なさすら感じるだろうが(←ほんとかよ。)
母はまちがっても私を「できる娘」と勘違いしているわけではないのだ。
私がとても平凡であり、
一人でバリバリ海外で働きながら生きていけるような強靭な精神力の女ではない、
ということはよくわかっている。
要するに
「そんな苦労するより、さっさと相手をみつけて結婚した方が幸せでしょ?」
ということなんである。(←被害妄想ではない。)
最近、一人暮らしを計画しだしてからというもの、
母のこういった発言が非常に多くなり、うんざり気味なのです。私。
まだまともに物件さえ見つけていない娘に対し、
「ところで、一人暮らしはどのくらい続ける予定なの?」と行ってみたり、
「一人で●万も出して、生活するのは大変だわー。」という何気ない一言に対し、
「だったら、相手を探して”公団”にでも入れるようにすればいいのに。」などなど。
前述の発言と比較するといかに母が「普通に生きて欲しい」と望んでいるかが伺えますでしょ?
”公団”といえば、入居者同士が「家族」であることが一般的な条件。
しかも高所得のファミリーは入居できないですよねぇ。確か。
とにかく、私のすることなすこと気に入らない(というか心配なのよね)である。
そしてその結果、母のクチからついて出る言葉は全て私にとっては
「出鼻をくじかれた。」的なニュアンスに受け取れてしまう。
マミーよ、安心してくれたまえ。
私は娘を思うあなた以上に、「普通に生きる」ことを望んでますよ。
全てはその考えに基づいての行動なので、ご安心を。
その段取りが、正しいかったか正しくなかったは1年後、2年後の私を見てから考えようよ。
いや、5年後くらいにしてもらおうかにゃ・・・。(←そんなに先かよ。)