実家を売却すると決まった時、
家を片付けてくれる専門業者にお願いしたかったのですが、お世話になった不動産屋さんの話では業者にお願いすると50万円以上かかると言う
まだ現金化出来てない家にそんなに費用をかけたくない👛
それに家の中、いろんな物が出て来るとかで自分等で片付けるのがやはり一番良いと不動産屋の営業さんに言われたのだ。
専門業者に頼むと楽だが必要な物もあったとあとで後悔する事もあるとアドバイスを受けたのだった。
それから休みの度に片付けに実家へ行った。
1ヶ月以上ほどかかったと思う。
実家が売却が決まると引き渡す日が迫ってきてそうなると時間がないので猛スピードで片付けることになる。
いや、ほとんど破棄することになる🚮
いちばん大変なのは婚礼ダンス。
それに私たち姉妹が独身の時に使っていたタンスも別にあるのだ👧
タンスは処分に費用がかかるので夫が電動のノコギリやグラインダーで細かく切ってほこりまみれになりながら大量のゴミ袋に入れ軽トラックに乗せて市営の破棄物処理公社に捨てに行った🚚
市に平日に回収に来てもらうには時間がよめなかったからだ。
また実家には応接間があったので5人用のソファセットやテーブルがあり大柄な父は長いソファーに横たわってよくイビキをかいて寝ていた😪💤💤
その5人用応接セットだけでも軽トラックに乗りきれなかった。
大きい絵画もあったがお金になるものではなかった
父自慢の大型のステレオやらレコード、今や売り物にもならない母の着物や帯なんかも全く売れそうもないのもたくさんあった👗👘
着物や帯は古着屋に持ち込んだが二束三文であった)
唯一、毛皮のコートがあったが保管状態が悪くすでにカビびていた
母は、衣類を買ってもすぐに着ることをしない。お出かけのために「取っておき」にしとくのだ。
そんな取っておきにしてしまって全く着用してない値札がついたままの衣類やアクセサリーやバッグがたくさんあったのだ
ホントに使わないなんて人生もったいことをしている。
(ちなみにあさまは買ったらすぐに着るタイプ。今着ないといつ着るの?
そんなあさまを母はいつも笑っていた)
キッチンは散らかってはいないが使っていない調理器具やら電子レンジがホコリと油だらけであった。
すでに使えない電化製品も父は破棄せずほこりと同化していた
たまにしか来ない親戚用の数組の布団も今となっては使えるものではない。重い和布団は粗大ゴミ化していた
倉庫には銀行の積み立て定期の景品でもらった食器などシリーズで集めていたものが大量にあった。もちろん箱に入った新品のままのものだった。
いちばん悲しかったのは大量の古びたアルバムだった。
父は母が大好きだったんだろう
母の写真ばかりのアルバムが何冊もあった。モノクロの若かりし母の姿。
足を前に出したお決まりポーズをしている。
カメラに向かって笑う写真の母の笑顔はとびきり幸せそうであった
母も父が大好きだったのだと思う。
妻の死に目に夫としての責任を果たさなかった父、可愛そうな母のことを思うと娘としては信じられない、やりきれない気持ちになる。
私の両親はいったいなぜお互い思いやりもなく夫婦で居続けたのだろうと今でも思ってしまう
母のアルバムは結局私の家に持ち帰ったのだが、私の住んでる地区はアルバムは不燃ゴミになる。
私としては数枚写真を残してアルバムを破棄したいと妹に提案したが妹から返事がない
返事がないというよりは写真を捨てるのを嫌がるのだ。
(ここにも昭和の人がいたわ)
しかしいつまでも家の中で保管する方はたまったものじゃない💦
仕方がないので今のあさまの家に住む限りアルバムは保管しとくつもりだ。
何かのきっかけで私が今住んでいる家から引っ越しするときは息子に迷惑をかけたくないのでアルバムは処分するつもりだ。
それには妹も了承している。
昭和の人が物を大事にすると言う考えは素敵だが、まだ使えるかも?という理由と捨てるのがとにかく嫌という理由で残された者には片付けるのにものすごく時間がかかった
とにかく捨てるのが嫌なのはすでに物を大事にはしていない…。
結局、父も母もまったく断捨離せずあの世に行ってしまったのだ
私は、自分の息子にはこんな片付けをさせたくないからやはり節目に断捨離したい。
父が亡くなる前に実家を片付けたので片付けが少し早まっただけだと思う。
父が誤嚥肺炎で亡くなった後、片付けるものは特養に残ったものだけであった。
結局実家からは大事なものやお金になるものは出て来なかったのであ~る💦
祖母の七回忌の時に建てたお墓があるのだが、そのお墓に入るために母は絶対に離婚しなかった。
お墓には母のあと、父も入ったけどあの世では仲良くしてるのだろうか?
今後は実家のお墓も管理しなくてはならない長女のあさまであった~
おわり