父の介護の話、最終回にしたいと思います。

ご興味のある方ばかりではないと思います。長くなって申し訳ありません。

よろしければお読みくださいニコニコ


父が入所した特別養護老人ホーム(特養)は、ユニット式の個室です。

フロアの真ん中に食堂兼リビングがありそれを囲むように個室が10部屋ほど集まる形です。

父はテレビをつけっぱなしで一日中過ごすのが習慣でした。

老健の時、同室の方にイビキがうるさいと言われ夜は口にテープを貼って寝ていたそうです。

(でもホントにイビキが大きく2階で父が寝るとイビキの振動が1階まで伝わるほど大きいイビキだったのですびっくり

身体の大きさとイビキは比例します)


父にとって人生最後の住まいになるであろう特養……耳にイヤホン無しでTVが見れ、まわりにイビキのことを言われないで眠れる、父のために過ごしやすい個室にしました。


そのぶん、老健より特養は入居費が上がり1ヶ月15万円ほどかかりました。

(これにプラス医療費がかかりますびっくり)


父の国民年金だけではやはり足りなくなって父の家を売却することに。

人付き合いが多く趣味も多い父でしたので貯金はありませんでした。

はじめ父は、自宅を売りに出すのを嫌がりました。

私ら兄弟に家を譲るのでその代わりにお金を出してほしいと言うのですが、持ち出しが多過ぎて父が生きている間続くのは無理です。

私たちも生活があり子供の教育費もあります。

それに私も妹も小さいながらも一戸建てに住んでおり住まない家はいりません。

今必要なのは現金なのです。

時間をかけて父を説得し実家を売りに出すことになりました。

しかし家の権利書が探しても見つかりません。

(おそらく権利書はパートナーが持っているのです)

実家の中を探しましたが権利書なる封筒はあるものの「中味」がないのです。

父に問いただしても「知らない」一点ばり。その割に大事な家の権利書が無いのにあわてもせず心配もしないとぼける態度の父にはさすがに怪し過ぎましたガーン

実印も印鑑証明カードもどこにあるのか忘れたと言います。

家の売却が嫌で抵抗していたのでしょう。

(パートナー自身が不動産屋に権利書が無くてもの件で問い合わせをしてきたことがあったそうです…不動産屋の営業さんが言ってました。怪しいと💧)

仕方がないので権利書の代わりになるものを作成するために司法書士さんにお願いし、書類作成にその当時で約7万円ほどの費用をお支払いしたと思います。

おそらく父は権利書がないと自宅を売らないで済むと思ってパートナーに預けたのでしょう。

実家の売却がすすむとパートナーはしばらく見舞いに来なくなりました

(父とどんな約束をしていたのかな?)キョロキョロ

自宅は4ヶ月ほどかかりましたが思うよりも安い金額でしたがなんとか売却できました。

これで数年は国民年金と合算でしばらく特養の入居費は支払うことができると思いました。


その後は1年ほどは特養のレクレーションに参加したり特養のワゴン車に乗せてもらってカラオケボックスなどに行ったり、回る寿司にランチに行ったりと父は楽しく過ごしていました🍣🎤

歌好きの父のために週に1度特養内でカラオケをする日まで作ってくださいました🎤🎶

夏には夏祭りも開催され屋台が準備されました🍢

特養から家族も参加してほしいと言われあさまは夫と行きました。

(翌年の夏祭りには妹家族も参加)

その時にはビールが購入でき特別に飲めたので父は大変喜んでいました🍺


特養によってこれは違うのですが、入所してからの診察には家族が付き添うことになっており、床ずれ(皮膚科)や虫歯(歯科)の受診、眼科、あと4週間に1度尿道カテーテルの部品を交換する必要があるため泌尿器科の受診に家族の付き添いが必要でした。

特養と併設の病院は25メートルほどの渡り廊下でつながっており家族が車イスを押して診察に行きます。

父の具合が悪いと診察に行くよう特養から連絡があり月に何度も特養に行くことになります。

何のための老人ホームなのかショボーン

特養の施設のスタッフはあくまでも診察は家族が連れて行って欲しいと言って付き添うことはしてくれません。

役所の介護保険課にも相談しましたがグレーゾーンなのでなんとも言えないと言った返事でした。

皮膚科の受診の際には床ずれの診察をするのに診察室のベッドに父を上げることができず車イスに座ったまま身体を前に倒して治療を受けるのです。

歯科もそうです。車イスから歯科用チェアに移乗出来ないので車イスに座ったまま歯科の先生が身体をかがんで手元のライトで口の中を診ていたのです。

また父の病気が一つ増えるごとに診察が多くなっていき付き添いに時間がかかり大変になっていきました。

診察を待っている間、父も車イスに座り続けるのが辛いと言います。

しかしあんなにイライラしていた脊柱管狭窄症の足のしびれのことは父は全く言わなくなってました。

足をさわっても感覚さえ感じなくなってしまったのですガーン


元気だった頃、父は特養からの食事だけでは足りず父はおやつにカップのインスタントラーメン🍜をよく食べていたようです。

ほとんど毎日です。それで血液検査の数値が悪くなってしまったことも。


食欲はあった父ですが、それでもだんだん飲み込む力が無くなってきて「刻み食」でないと飲み込むことも困難になってくると今度は誤嚥肺炎がおこりました。

誤嚥肺炎から高い熱が出て併設の病院に入院しました。

そんなことが続いたりして今度は特養と併設の病院に行ったり来たりするようになったのです。

入退院が多いと今度は特養にも長くいれない状態になってきました。

入院している間も特養の入居費はかかりますし、入院が長くなると他の方に部屋を一時的に貸してもいいですか?と聞かれたこともあります。

特養は余生を穏やかに過ごすところなので病気が多いとダメなのです。

いろんな症状が出て来ると療養型病院へ移る話も出て来ます。


特養が父の最後の棲みかだと思っていたのに、また違うところに移るのか…ショボーン

特養から提案された3つの療養型病院に見学に行くよう言われました。

そんな話が出ていた矢先、父はある朝、併設の病院で誤嚥肺炎が原因で亡くなりました。78歳でした。

最後の医師が書いた死亡診断書は「敗血症」になっていました。


脊柱管狭窄症の入院から特養までの約5年の月日が経っていました。

長くなりましたが読んで頂きありがとうございましたニコニコ