父の脊柱管狭窄症の手術後の話になります。

腰椎1,2番の圧迫を取る手術をしましたが、背中の傷口の出血が治らず父は40日間ベッドで寝たきりだったのです真顔


傷口が少し治ってリハビリ室に行くように病院のスタッフから言われてもなんやかんやと言って父はベッドから動きませんでしたショボーン

治りたい、歩こうとする気力さえなくなっていきました。

それを看護師さんから聞いて私もリハビリをするよう父に促しましたが「力が入らないんや、無理なんや」で父はがんとして意思を通し続けました。

(後になって父は、あの40日間がダメだったわ~とか言ってました)


結果、病院内のリハビリに一度も行くこともなくついに歩けなくなってしまいました。


それでも担当医(医院長)は手術は成功していると言います真顔

神経は通っている。

脳から脊髄を通して神経も髄液も流れていると。

私はこの手術は失敗だったと思っています。実際父は歩けないのですから。

主治医には失敗ですよね?とは言いませんが「今後も父は歩けないんですか?このままですか?」と聞くと主治医の答えは無くだんまりでした不安


歩けないだけでなく下半身を左右にひねることも体勢を直すことも出来ないのです。

ベッドから車イスに移動(移乗)ももちろんできません。

身体が大柄なのでスタッフ3人のサポートがないとして車イスに座れないのです。

また手術で下半身の神経をさわったせいでしょうか排尿障害になりオムツになりました。

入院中、尿路感染症にもなってからは尿道カテーテルもしています。

足にも手にもしびれが絶えずあり父は不機嫌で絶えずイライラしていました。

その時の父はまるで鬼のような形相でしたガーン

手術しても自分が思ってた通りにならず、その怒りは家族に当たり散らすようになったのですガーン

車イスがないと生活出来ない身体になり

父は身障者手帳(1級)を頂くことになりました。治らなくても退院です。

でも家には帰れません。

自宅では車イスで移動できる導線が無く、日本家屋特有の柱や戸やふすまだらけの家なので車イスの移動が出来ません。リフォームも無理でした。


念のために特別養護老人ホームには申し込みはしていましたがやはりすぐには入所できませんでした。

有料のお高い老人ホームは父は国民年金なので無理です。

いったん老健に入所し特養が空くのを待つしかありません。

とりあえずは老健に入所するため父の素行が悪く追い出された老健にお願いに行くのは恥ずかしかったですガーン


それから老健で特養からの入所の連絡を待つ間の約2ヶ月の間に誰もが知ってるであろう大病院の整形外科の有名な先生にセカンド・オピニオンで診てもらったこともありました。

診てもらった結果、足の痺れが治まるようブロック注射することになりましたが、効き目がなく3回目で中止になりました。

その時の医師が言ったのは

「腰の神経をつぶされてる」と言われました驚き

神経の圧迫を取るだけではなく神経にまでダメージを受けていたのです。

やはり手術は失敗だったのです。残念でした真顔


特養はどこも人気があって300~400人待ちと言う話でしたが、身障者になったことで介護度が2から4になり順番が繰り上がり希望の特養から連絡がありました。

(驚いたのはそのあと3ヶ所の特養からいっせいに入所しますか?と連絡が来ましたびっくり)

介護度が4になったから連絡がきたのです。


老健から特養に行く日はまるでそれは卒業式みたいでした。

スタッフからは寄せ書きをもらい、大勢のスタッフが集まる中、廊下で何メートルにも渡って大きな拍手で見送ってもらいました。まるでそれは華やかな花道のようでした🌸

介護タクシーのドライバーさんも「こんなたくさんの見送りは初めて見ました❗」とおっしゃったほど珍しかったようです。

父は老健を退所し特養に向かいました…🚐


つづく