あさまの両親はどちらも病気で他界して今はこの世にはおりません。
母は58歳父は78歳で亡くなりました。
(2人とも死因は老衰ではなく病死)
今思うとあさまのアラサーは母の介護、アラフォーは父の介護の日々でした。
父は脊柱管狭窄症を患い2度に渡り手術を受けましたが手術したにもかかわらず立てることも歩くこともできなくなり寝たきりになりました。
手術した病院から老健、そして最終的には特養に入所しました。
ある時、誤嚥性肺炎になり特養の隣にある併設病院に入院しましたが敗血症にかかり亡くなりました(78歳)
今回はそんな父の介護の話になります。
脊柱管狭窄症が原因で亡くなる人はまあいないと思います。
母が亡くなって後、父は一人で生活を楽しんでいました。
なぜならば父は地域のボランティア活動もしていたし趣味のカラオケ(大会まで出る)や社交ダンスもしていたからです。
母が生きている時から父は自分一人で遊びに行く人でした。
社交ダンスのサークルって女性の方が多いですよね?💃
男性が少ないのもあるのですが父は身長が高く(178センチ)ダンスの相手としては
人気があったようです🕺
その社交ダンスサークルでパートナーを見つけたようでそのパートナーと父は旅行にも行ったりして独身を謳歌していました。
500メートルほどは休みながらだと歩ける状態だったのに社交ダンスの大会にパートナーと一緒に出場したい、いろんなところに出掛けたい、そんなこともあり脊柱管狭窄症の手術を決心したようです。
また歩けないとパートナーが自分から離れていくと思ったのでしょう。
大きな病院では手術出来ないと断られたと父から聞いています。
なぜならば狭心症の持病があって心臓カテーテルをしていました。
それなのに脊柱管の手術をしてくれる病院を人から聞いてやっと見つけた❗と喜んで手術を受けることにしたのです。
手術は腰椎3,4,5番部分の神経の圧迫を取り除く手術で圧迫を取り除いたあとは、ボルトで固定する術式でした。
1度目の手術の後、2ヶ月ほどで退院したあとは老健に入所しました。
(老健に入所にするにもあさまは、申し込むのに見学に行ったり何ヵ所か動きました)
しかしお天気屋の父、リハビリも真面目にせず…。
老健に見舞いにパートナーが毎日のように入り浸っていました。
老健の話ではまるで奥さんでないと言うのは見るからにわかるんだそうです。
父とパートナーは中学生の恋愛のような感じで4人部屋なのにイチャイチャしていたようです
そんな事で半年ほどで父の素行が悪く老健を追い出されることに…
(素行の悪い話は長くなるので割愛させてください)
ある日老健のケアマネが退所を促すように父に聞いてきたそうです。
「ここを退所したらどうしたいですか?」
そう聞かれた父は気持ちのまま「病院の方が良かった。入院の方がまだ良かった。もう一度手術したいので病院に入院したい」などと言ったものですから老健から妹に電話があり(あさまはこの時仕事をしていた)「お父様のご希望で手術したいと言われています。すぐに病院の方に相談、手続きを家族の方でしてください」と言われてしまい、まるでケアマネの言われるがままするすると老健を退所させられる方向になってしまいました
(そのあと父は老健にまだいたい、撤回したいと言いましたがすでに遅しでした)
老健を追い出され父は一度自宅に帰りましたが、最初は手術して数歩歩けるようになったので順調なのかな?と思いましたが寒い季節になると外にも出なくなりそうなると歩けなくなりました。
そこで父はパートナーに相談したようでした。
「にっちもさっちも足が動かない!もう一度手術したい」と言うのです。
私は手術しても歩けるように思えなかったので再手術を反対しました。
なぜならば手術する前の方がまだ500メートルほどは歩けたのだから
それなのにまたどこを手術するのかと私ら姉妹が反対する中、
父のパートナーが自ら運転する軽自動車で父を病院に連れて行き、診察を受けてそのまま手術することになって入院してしまいました
(その時に父は、家の鍵、銀行のキャッシュカードや自宅の権利書までパートナーに父は渡していた)
希望通り入院することになった父は私には言いにくいのか、
私の夫を通じて「入院になったから」と連絡してきました。
入院の緊急連絡先も私の夫の携帯番号(父からしたら義理の息子)にしていたのだ。
もう私ら姉妹は呆れて勝手にしたら良いわと思っていたのですが、
それでもパートナーはやはり家族でないので手術前に家族の同意が必要になるわけです。
しぶしぶ主治医の説明を聞きに妹と病院へ行く。
余談だが亡くなった母方の親戚には父を悪く思う人もいて
「もうその女に(パートナーに)父の介護を丸投げしろ!」
「家の権利書まで預けているならもう手放せ、離れろ!」とまで言われていた
夫としての責任を放棄してしまった父、母の死に目があまりにも可愛そうだったので父は母方の親戚から悪く思われていたのだ(そう思われても仕方がないと思う💧)
話は戻ります。
父同席のもと、主治医の説明では再手術は腰椎は5番まであるうち残りの1番,2番の圧迫を取ってまたボルトで止めると言う手術だった。
だが主治医はその時それで治るとは言っていない。
一度目の手術の時は腰椎3,4,5の圧迫だと思っていたのだが改善しないとなると腰椎1,2の圧迫も取るとなんとかなるかなぁみたいな話でした。
それでも父は手術したら歩けるようになると思い込み「一か八かのチャンスにかけたい」「手術させてくれ❗」と言うのです。
手術は賭け事ではないのに…。
人生強運で何度もそういうことをして乗りきってきた父は俺の人生はまだまだこれからだと思っていたようだった。
私は、主治医から聞いた説明では不安でしかない。(この不安は当たる)
手術の同意書に私ら姉妹が署名(サイン)をするよう言われたがすぐにサインしたくなかったので渋っていると、主治医が
「本人さんが手術したいと言うのに❗」「このまま手術しなくて歩けないお父さんを家族はお世話できるんですか?」
「家族の同意がなくても手術しましょう❗」と怒ったように言われ、そこまで言うのなら仕方がない。
そう思って同意書にサインしたが、今思うとサインしなければ良かったと思う。
ある意味、今の時代ではこれは主治医(主治医は医院長)によるパワハラになるのではないか思う
結局父の希望でそれから3日後、脊柱管狭窄症の腰椎1,2の再手術をしましたが治りませんでした。
ますます病状が悪化していったのです。
つづく…