20年以上前から寒暖差アレルギーを患っています。

きっかけと言うか原因が思い当たるとしたらある時期から免疫力が落ち精神的にダメージがあったからだと思います真顔


それは病気だった母親を看取るための数年間、体力的にも精神的にも頑張りすぎたことが原因なのかもしれません。

(母は亡くなって23年になります)


すこし長くなります。良かったらお付き合いくださいおねがい


24年前、余命1年ないと言われた母の病気の通院で明け暮れていました。

(その当時あさまはアラサーで母は58歳)

車イスを自家用車に乗せての付き添いはもちろん、入院となると簡易ベッドで一緒に病院に寝泊まり(母はとても寂しがりやさん。それでも入院すると症状が少し落ち着くとすぐに家に帰る帰るを繰り返し言うので医師から許可が出るとすぐに退院して家に戻るとやはり具合が悪くなり今度はしんどいしんどいの繰り返し、そして再入院の繰り返しでした。亡くなる1年ほどの間に病院を何往復もしました)ショボーン

そんな母ですから主治医からも入院の際には家族に付き添うよう一人にしないように言われていました

(本人も余命が短いのを知っており毎日のように私にまだ家に帰らないでそばにいてねと寂しがりました。

今だったらコロナ過以降は入院時の家族の付き添いの形は変わっているでしょう)

一番大変だったのは夜中に母が私をトイレがしたいと呼ぶのですが、尿道カテーテルをしているので尿意を感じることは無いはずなのに便座でしたいと言うのです。

ベッドから落ちないようにベッド横の便座に誘導するお世話をしなければなりませんでした。

(医師からも尿道カテーテルをしているので尿をもよおす感覚はないはずと言われました。それでも母はどうしても便座に座ってトイレがしたいと言うのです)

母が尿が出たと納得するまで待つのですが深夜その待っている時間が長く(季節も寒く)待つのがかなり辛かった😵⤵️)

母は身体に力が入らないのでベッドから便座まで身体を支えながら誘導するのはホント重かったですにやり

プロの介護職の方、尊敬いたします。


その頃家では私の当時5歳の息子の世話は夫が会社を休んだりして頑張ってくれていましたニコ

父と母とは昔からおり合いが悪く長女の私に母は完全に頼りきっていました。

(最後まで離婚はしませんでした)

父は母が病気になると夫としての責任を完全に放棄していましたショボーン

だから父も私に頼っていた事になります(母の入院費用は度重なる病気の保険金と母方の遺産でまかなう🏠)


年末に向かい母の具合がますます悪くなっていきました。妹は赤ちゃん👶を産んでまだ半年で足らずで授乳もしていた頃でした。

日中見舞いに来ても泊まりの交代は無理でした。

母が亡くなる前日、母の顔にチアノーゼが出たので最後だと思ったので(母は父に会いたくない)不本意でしたが父を病院に呼びましたが父は母を見るなり

「(入院しているのに)なんでこんなに悪くなってるんや❗」と言ったほど父は母に無関心で亡くなる前日まで見舞いすら来なかったのですえーん

結局母は病気に勝てず58歳でこの世を去りました。

そんな態度の父との葛藤などいろんな事があり私は母が亡くなった後は張りつめた糸がプッツリ切れてしまい無気力になって体力も落ちてしまいました。何をしてもダルいみたいな悲しい


病院とは病気を治すところでもありますが家族の通院や入院の付き添いが長いと健常者の体力、気力やパワーも取られる場所でもあるのでしょう。

皆様もご家族の介護等無理しないようお気をつけください。


それからのあさまは年中風邪をひいているような体質になってしまい気がつくと鼻炎がおさまらず原因がわからない寒暖差アレルギーになっていました。


アレルギーの原因わからずの寒暖差アレルギーは1年中症状があるのでそれが辛いです予防

体質改善なるよう日頃は意識しているのは呼吸が浅くなりがちなので大きく深呼吸したり小麦粉類をあまりとらないようにしたり軽い運動として毎日ウォーキング(約2キロ)するようにしています。

今飲んでいる小青竜湯も効いてきたのかな?

お陰さまで以前より鼻炎は改善しています。

アラサーの時に頑張りすぎた話でした。


読んで頂きありがとうございました🍀