最近、自分の中で、何かが変わってきています。

まだ、うまく言葉にはできません。

悲しいことがあります。
寂しいこともあります。
心配することもあるし、傷つくこともあります。

それは今も変わりません。

むしろ、今まで我慢していた悲しみが、ふっと出てくることがあります。

森に行くと、

「ああ、私、我慢していたんだ」

と気づいて、過去の分まで悲しみが溢れてくることもあります。

しんどいです。

でも、最近は、その悲しみを感じたあとが少し違うのです。

みぞおちのあたりが痛くなることがあります。

私が「ソーラープレクサス」と呼んでいる場所です。

悲しみを感じて、痛みを感じているのに、その奥から、燃えるように内側が温かくなってくる。

何かが沸き立つような感覚。

そして、立ち上がれる。

「私は、まだ生きていける」

そんな感覚になります。

不思議なのは、意識して愛を感じようとしているわけではないこと。

自分の中心に意識を向けると、そこに温かさがあります。

愛がある。

光がある。

宇宙を感じる。

そして、

「なんとかなる」

という、揺るがない安心感に包まれます。

そのとき、自然と感謝が溢れてきます。

「私は、それでも生きていられるんだ」

って。

今まで私は、周りのことを気にしすぎる自分を、苦しいものだと思っていました。

感じやすいことも、つらいことが多かった。

でも最近は、それも含めて、

「これが私なんだ」

と思えるようになってきました。

周りを気にする。

感じる。

心配する。

傷つく。

それでも、自分の中心に戻ってくる。

その感覚を持って生きていけることは、もしかしたら私にとって、とても大切な術なのかもしれないと思っています。

そして、ふと思いました。

こんなに尊い感覚を持っている人間として、私は生きていられるんだ。

それが、ありがたい。

「私として生まれてきて良かった」

そう思える瞬間があります。

でも、同時に怖くもあります。

人間としての私は、誰かを大好きになったり、寂しくなったり、泣いたり、誰かに分かってほしいと思ったりします。

それも全部、本当の私です。

その一方で、もっと深いところには、

「それでも大丈夫」

「私はここにいる」

という、揺るがない何かがある。

その両方を感じるようになって、私は少し戸惑っています。

人間としての私と、もっと深いところにある私。

その両方に触れているような感覚です。

だから今は、急いで答えを出そうとは思っていません。

悲しいときは、悲しみを感じきる。

泣きたいときは、泣く。

嬉しいときは、いっぱい笑う。

いっぱいバタバタもする。

そして、自分の中心に戻る。

それを繰り返しながら、もっと自分を知っていきたいと思っています。

「自分にとって、癒しとは何なのか」

「自分にとって、生きる術とは何なのか」

「自分にとって、自分らしくいられる瞬間とは、どんなときなのか」

今、そんな「自分にとって」を、たくさん掘り出しています。

そして、この感覚を自分だけのものにしたくないと思うようになりました。

誰かに答えを渡したいわけではありません。

こうしなければいけない、と伝えたいわけでもありません。

ただ、

「あなたの中にも、自分だけの中心があるかもしれないよ」

と、そっと伝えてみたい。

悲しみの奥にも、愛があるかもしれない。

痛みの奥にも、温かさがあるかもしれない。

そして、

「私は、それでも生きていられる」

と思える場所が、自分の中にあるかもしれない。

私自身、まだ探究の途中です。

だからこそ、これからも自分を感じて、自分を知って、悔いなく生きていきたい。

そして、感じたことを、少しずつ誰かと分かち合っていけたらと思っています。

私として生まれてきて良かった。

今は、そんなふうに思えることに、ただ感謝しています。