こちらのリブログと少し話しはズレてしまうが、不登校やその他 子どものことで結局『お母さんだよね』 『お母さんが変われば変わるよね』と何度も聞くし、言われたことがある。
お母さん括りで、時に また苦しむんだけどwww
他人事と自分事では やっぱり責任度合いや視点が違うのです。
渦の 内から見るか?外から見るか? みたいに。
セラピーにおいても、向き合う今の課題が 他者を通してみるソレと、生々しく直球で向き合うソレとでは、拒否反応や入りやすさが違うことがあります。
話しは戻りますが、変わったつもりになっても、解消しない出来事にダメ出しされ、社会的(一般的)にもはじかれているような感覚を どこか拭いきれないでいる。
どっちでもいい(良い悪い ジャッジしない)と言いながら、自分の中の答えの反対を受け入れて 中間に入って 学校や地域などと繋げることが、時に その子どもの答えに自分の中でも葛藤しているのに 外からのそれぞれの正義の狭間に キツくなる。
まんまと長引く構造www
1人で抱え込むなと言われても、正義バトルにならない状況じゃないと責任の追及と言い逃れとww
で、結局 自分だよね。となる。
その、”結局 自分”という感覚を、多角的だったり いろんな視点で 見れたらいいな…
こういうことなんだろなw