防衛庁が防衛省に昇格せんとする頃。
世はまさにバブルのど真ん中。
当時、六本木の防衛庁界隈と言えば、バブリーでキラキラした人々で溢れ返り、誰も彼もセレブ気分にで浮かれていたのでした。
そんな六本木の一等地を、バブリーな値段で売っぱらって、ここ市ヶ谷に引っ越して来たのは、先見の明か?
終戦までは、大本営の所在地で、いわゆる大本営発表はココでなされました。
この電波塔でもって、日本中の防衛に関わる情報を飛ばしています。
暗号化されているのでしょうか?イージス艦から衛星までリンクしてそうです。
移築復元されたこの建物。見覚え有りませんか?
そう、移築前、正にこのベランダで、三島由紀夫が割腹自殺しました。
彼は、この腑抜けた日本を憂い、自衛隊員に決起を促したのです。
この講堂も、床板1枚まで、当時のまま復元されています。
この講堂は、ポツダム宣言受諾後、占領軍が接収し、東京裁判の裁判所に改築されました。
ここで、何人も戦犯として、死刑宣告を受けたのです。