選挙期間中 一市民として自分なりに一生懸命考えました。政治素人なただの主婦ですが。
でも今回我が街を考えるいいきっかけができました。
私みたいに今まで政治に関心がなった方が ちょびっとでも考えれるようになったり 今度の選挙は行ってみようかな、
なんて 次のアクションにつながったり
多治見市の誰かのもとへ、またほかの地域の誰かのもとへ、 時を超えていつか、
こんな小さい声でも届くといいなという思いで こちらに書かせていただきます。
※前回のブログ記事が間違っておりました。こちらが最新情報です。
5/6㈯に 多治見市選挙管理委員会へ提出させていただいた多治見市長選での当選無効を求める意義申し出書、
翌日5/23㈫に 受理が決まりました。
そして受理した申出書の内容に対する 多治見市選挙管理委員会による判断は
6/9㈮ に結論が出ず、
申し出人による意見陳述の場が設けられただけでした。
これから内容について審議され、最終的な市選管としての決定が出るのは後日だそうです。(未定)
多治見市長選挙異議申出における口頭意見陳述。多治見市日ノ出町の本庁舎 会議室にて
6月9日㈮ 10:00~ 30分ほど行われました。
先ほど意見陳述にてお話させていただいたこと、意見書として提出をしてきました。
「意見陳述」とか「意見書」とか 形式はよく分かりません。
初めてで怖かったです。ただ、市選管の皆さんへ聞いていただきたい思いを込めて伝えて参りました。
「市民として意見を言わせていただけるのは大変ありがたいです。
お忙しい中すみません。この場を設けていただきありがとうございます。」
ー意見書ー
◇◇◇
多治見市選挙管理委員会の皆さんへ。
みなさんの良心に問います。
このたびの選挙は 公正な選挙ではなかったです。
たーるー、おっぞー、かんかなー選挙やったわ、 ーみんなそう言っています。
一部の権力のある人たちによって選挙が動かされてしまったのですから。
それがどこからどこまでつながっていて行われたことなのか分かりませんが 甚だ恐ろしく、気持ち悪く こんなことがまかり通っている現状が許せません。
この異議申し出書に書かせていただいた通り、
この一件は、
「選挙に当選したい」ただそれだけの目先の目的だけの大変軽々しい言動であり、
高木候補側が、 自分の政治生命や自分らの「今」だけを考えているが故の行動である、と断言できます。
何故なら選挙違反をしてまで市民を欺いたからです。
相手候補者に対し事実をゆがめた内容かつ番号や選挙の種類の記載のない選挙違反であるビラの配布。
出陣式や総決起集会でのバロー田代会長によるデマの演説。
選挙期間前や選挙期間中の怪文書の郵送やポスティング。
これら一連の、
「山本候補が統一教会の信者である」、「山本候補が統一教会に今現在も深く関わっている」と思わせるような、市民への擦り込み
また、古川雅典前市長が現職でありながらデマを拡散させていた という事実
これも色んな馬鹿げた噂話が広がりに広がり市民を混乱させました。
(本当は私もできることなら街頭に立って「このビラは間違ってるよー!!」「デマは違うよー!!」と市民の皆さんへ呼びかけたり色んなことしたかったです。でも選挙期間中ですから下手な行動は両候補者に迷惑がかかる、選挙に影響を与えるようなことは決してできない、と思い何もできず身内と話すことくらいしかできませんでした。 )
こんなにオトナの力は働き、 市民を翻弄させました。
この一件は 自分のことしか考えていないからこそできることでした。
真の政治家として 誇り高き市民のトップとして 本当であれば 次世代の為に正々堂々と公正な選挙運動をするべきでした。
18歳になった若者、 あと少しで18歳になる若者、中学生、小学生、私の大切な息子たち、まだ小さい子供たち…これからの未来を切り拓いていく次世代のみなさんが、我が街をよりよくしようとこれからどんどん政治に参加できるように、
我々大人たちが 政治家を筆頭に これから見本になっていかねばならないのにも関わらず、、
今回、
次世代のためどころか あらゆる汚い手を使って 純粋に選挙に参加しようとしていた若者たちを含め我々市民を揺さぶって
「選挙」という、市民が唯一民意を反映できる特別な機会を、大切な尊い権利を、奪ってしまったのです。
絶対こんなこと許されてはならない。
後世にこんなことが続いてはいけない。
そういう願いを込めて 改めて不正な選挙であったことを訴えます。
多治見市選挙管理委員会の皆さんはどこまで把握をされていますか。
こんな全市民が知っているようなことなのに市長さんは「知らない」の一点張りで何も教えてくださいません、
多治見市選挙管理委員会として 市民の我々に教えてください。
◇◇◇
意見陳述のみの場でしたので、
私たちが意見を述べて会は終わりました。
後日(未定)内容について審議、決定され 告示されます。
ー ー ー ー
なんか。夕暮れ時、一生懸命飛び交ってる燕の親子を見てて、思った。
庭でわんちゃんと子どもと戯れてて、思った。
中日新聞のとある記事に目をやって、、思った。
なんか。今 すごく思った。 改めて思った・・・!!
私は今でも怖いです、やっぱり怖い、正直。
こんな異議申し出というものをしたこと。怖い。勇気をもってやったけど。
政治は厳かだ。
そして怖い。
選挙は常識では片づけられない。
深い。
なんか闇。
ちょっと閉ざされたような 支配されているような 独特な。
・・・
・・・そういうイメージはぬぐい切れない。
だって、選挙になると人が変わったようにいがみ合ったり簡単にひどいことをしたり、大人たちは狂うんだもの。だから。なんか怖い。
でも一方で・・・
やっぱり楽しくもあった。素晴らしかった。
選挙は楽しかった。政治について陣営の人たちと語り合ったりママ友達と話したり世代の違う方に教えてもらったりすごく楽しかった。
今回の選挙、選挙に出馬される候補や陣営の方々がどんなふうに頑張ってみえるのか少し知ることができた。お手伝いを少しさせていただいてとっても私は感動した。
みんなの絆がすごいなって。 選挙期間中だけ、頑張ってるんじゃないから。人生かけて市民の為にと長い間頑張ってみえるから、その姿をずっと見てきて応援したい、と自然と人が集まってくるんだなと。 私も精一杯手伝いたいって思った。
選挙ってカッコイイ。 本当は。
こんなみんなのことめっちゃ考えてめっちゃ頑張ってる大人もいるんだよって もっともっと伝えたかったなあ。知ってほしかったなあ。
だからこそ、
選挙って、 もっとみんなが 敵も味方もイキイキと張り合って みんなでもっと楽しく 明るく そんなふうであってほしいと思う。
そしたら もっと若者が 子どもが みんな自然と寄ってくるんじゃないかなあ。 そんなふうであってほしい。
これから、そんなふうに 政治も 選挙も もっと堂々と 明るく イキイキと そんなイメージだったらいいなあ。
(とある記事というのは、若者の政治参加を促す団体や学生さんたちが被選挙権の年齢引き下げを求め、国に対して違憲訴訟を行おうと頑張ってみえるという記事。すごいなあ・・・!
悪いけど、若者の方がほんとオトナなんかよりずっとずっと柔軟な頭でものすごく政治を考えてる。そして社会経験は少なくとも彼らしかしていない経験だってある。彼らしか考えられないことだってたくさんある。昔を考えれば全然、十分立派な大人だ!社会が若者を勝手に「まだ」だと思ったり扱ったりしてしまっているだけで。学ぶ力やバイタリティは学生さんの方がすごく無限大だと思う。そんなこれからの芽を、わたしたちが潰してしまってはダメ。
悪いけど、日本は行き遅れてる、外国では日常的に政治の話をものすごくしてる。政治家になりたいとか、「やりたい」と夢を持つ気持ち、 若者、これからの子どもたちの存在自体を、もっともっとリスペクトしてほしい、馬鹿にしないでほしい、国は。オトナは。
選挙権の年齢だけ引き下げる意味がマジで解からない。本当の意味で選挙をこれからの政治を高めるためには立候補年齢を下げてすごい若者たちの力をたくさん生かさないと。
また、
最近、身近に怖いのが水害でしょうか、異常気象、環境問題、 世の中色んな課題があるけれど・・・自分ひとりではどうにもならない。
全部、身の回りのことは各機関や組織に支えてもらって成り立っていて みんな政治。みんながちょっとでもいいから意識を変えていったら、もっと身近に身の回りのことを考えれるようになったら、
「私たちがこれからどうなるか、 次世代のためにどうするか」同じベクトルで みんなで助け合ってイキイキと考えていけるようになるんじゃないかなあ。
何となくの毎日だったのが 意識を変えるだけでイキイキしてくる。
人間だもの。生きてるもん。動物もみんな。明るくて楽しいほうがいいやん。
本当に今回の一件があって、ものすごく色んなことを学んでます・・・。私も、無邪気な子どもと楽しく一緒にできることからやっていこう。
ちょっと話が反れちゃった!うまく書けなくてごめんなさい。)
※最後にお断りします。※
こんな現実はあるけれど・・・
多治見は大好きです。私が生まれてからずっとお世話になってきたふるさとですから。
知らないところでも多治見のみなさんに絶対的に限りなくお世話になっているはず。みんなにありがとう!!って思って生きたい。
市の方々が頑張って下さってるから 私たちは支えられてる。
多治見のために、本当に私たちの街の為に頑張ってくださっている人は とてもたくさんみえます。
こんなことがあっても、またこれから頑張っていこう!と前向きに動き出している人がたくさんみえます。
なので多治見のことが嫌いになるような書き込みにはしたくありません。
こんな悲しい出来事が風化されるのではなくて、これからのために反面教師として活きてほしいと思って書かせていただきます。