心の余裕美人コンサル 大野ユキですピンク薔薇

  自分の心と、とことん向き合って 
心を磨き、内面から輝く女性 
心の余裕美人になる方法を提供し
 サポートしています。


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私は28歳のとき
薬のアナフィラキシーショックで
死にかけたことがあります。


これも、私の中で大きな出来事の一つ。

………………🎀………………



当時の私は28歳。
もっと若い頃に、3.11を経験していた為


常勤の仕事をやめ

当時の私のやりたいこと
看護の仕事をしながら
旅をするトラベルナースをしていました。






この日、私は風邪をこじらせていて
ロキソニンを飲んで病棟勤務していました。


15時頃、熱が出てくるような感覚におそわれ
夜勤も控えていたので、
状況把握してくれていた看護師長が
ドクターに薬を出すように煽ってくれました。



診察を受け、すぐに薬も受け取り
16時まわっていたので
仕事後、家で飲もうとしていました。



薬を飲まずにいた私に師長さんが
「今すぐ飲んできな、30分休んでいいから」
と強く押され、有り難く受け取り
薬を飲みに休憩室へ。



そこには一人のスタッフが夜勤に備えていました。




で、私は薬を飲んだのです。
ロキソニンと、抗生剤を。


30分後…。




急に寒気と、冷たい汗をかきはじめ
「ん?なんか…変だ…」


すると、何故か息が苦しくなってきて
夜勤を控えていた同僚が
「え?!なんか変だよ?!」
と声かけてくれたとき



私の両腕はすでに
人間の腕ではなく、青黒くなっていました。
どんどん息ができなくなり



頭から血の気が引いていくのを
感じ


「やばい」と思い、
フラフラと休憩室を出て
必死に歩き
ただただ、深呼吸を意識していました。




ナースステーションの入り口にいた師長に
「なんか、へん、息が、でき、ない」
とだけ伝えて座り込みました。



もうそこからは
記憶が曖昧で



目も開けていられず
誰かが必死に叩いてきたのを
なんとなく覚えているくらい。



そのときの私は
ただ「苦しい」を通り越して
体験したことのない
気持ち良さがあり
安らかでした。




今思えばたぶん、死ぬ直前
だったのでしょう…
このときの話をのちに同僚に聞いたら



大騒ぎで、
血圧も測れず
すぐに点滴
Spo2値も90%を下回り
とりあえず酸素をとマスクを付け
チアノーゼもひどく
家族を呼べ、
救急カートを…



そんなレベルだったらしいのです。



不幸中の幸いだったのが
病棟で医者がカルテを書いていたこと。



すぐに点滴や酸素の指示をくれて
同僚もすぐに取り掛かってくれて





で、気づいたら
ベッドの上で、二本の点滴がぶら下がり
全開で落とされていて
胸元にはモニターがつけられ
酸素マスクを付けていて


同僚が2人で覗き込んでいました。




「あ、生きてる」と思いました。





意識が朦朧として
ベッドに運ばれてから、
しっかり意識を取り戻すまで
そんなに時間は経っていなかったようで
すぐに点滴全開で落としてくれたのが
良かったようでした。



でも、息苦しさはあったのを覚えています。
そして、3日間39度の発熱が続き
身体には蕁麻疹が出て
自分ではないようでした…。



このとき、私が感じたのは




・人間の身体や細胞たちは
常に、私を守って身体に入ってくる異物
ウイルスや菌などと
闘ってくれているということ




人間は自分の命に正直に
やりたいことをやっていると 
突然死を目の前にしたとき
若くても安らかだということ





・でも、自分に嘘をついた生き方をしている
本当にやりたかったことを
走馬灯のように思い出し
後悔が襲ってくるのだということ




・死ななかったのは、なんでだろう…
まだ本当の使命を果たしてないということかな




………………🎀………………



ここから、私の自分探しの旅が始まるのです。


私は今32歳です。
自分のコアにたどり着くまで
実に4年もの月日を要しました。


たどり着くきっかけは
人との出会い。




だから、自分は
本当は何がしたかったのか
本当はどう生きたいのか
それを知る為に


自分の奥深いところにある
コアな部分を知るために
自分と向き合った方がいい‼️




そのために
心の余裕美人になる方法
運営しています。






大野ユキピンク薔薇