「悟りの原理」・・・・反省によって「心の洗濯」をし、神の子の本質を見いだす | きほりんの健康大好きブログ

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本日の一転語

【完璧を目指すなかに隙ができる】

欲望については、切れるものは切っていかないといけません。

やはり、完璧を目指しているなかにも ”無駄な欲” が入っているため、

そこに、「隙がある」のです。

『凡事徹底と人生問題の克服』P119より

 

 

 

『幸福の科学の十大原理(上巻)』  P275

 

反省によって「心の洗濯」をし、神の子の本質を見いだす

 

みなさんは真理に触れる以前、「日々の自らの思いと行い。想念のあり方」、

こうしたものを考えたことがあったでしょうか。

そうしたことは、おそらく小学生か何かのときに、あるいは家庭において、

道徳的なる話として反省の徳目を教えられることはあったかもしれません。

しかし、「反省の原理は、神の子、仏の子の本質を掘り出し、見いだすための原理であり、

本来の悟りに至るための方法である」ということは教えられなかったのではないでしょうか。

 

今から、二千六百年前、インドにおいて、釈迦が説き来たり。説き去った教えは、

まず原点は「反省」ということにあったのです。

 

人間は、この地上に生まれ落ちてよりこの方、赤ん坊として生まれ、

家庭のなかで育ち、両親の教育、学校の教育、友人の影響、社会に出た人びとの影響を受けて、

善かれ悪しかれ、さまざまな「色」に染まってきたわけです。  

 

ゆえにこそ、反省が必要なのです。これは、「心の洗濯」ということです。

 

われらは本来、汚れたるものを着て出てきているのではないのです。

心の生地というものは、本当に美しく、穢れのないものです。

それが、二十年、三十年、四十年、五十年の人生を生きる過程において、

さまざまな色合いに染め上げられていくのです。(中略)

 

「何が悲しい」といって、自分自身の本来の姿と、

現在の姿との違いがわからない人間ほど、悲しいものはないのです。

それほど悲しい生き方はないのです。

 

したがって、反省の基準は、「神仏の心と己の心の距離をまず知る」ということから始まるわけです。

 

 

 

 

反省とは、

 

「神仏の心と己の心の距離をまず知る」ということなのですね!!

 

神様の御性質の一片を頂いて、人間は創られているのですね!!

 

反省は人間として、本当に大切なことなのです!!

 

やはり、八正道に繋がっていきます(*^-^*)

 

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