「心の実相」・・・・6 心の実相に至るための方法①ーーー心をすみずみからの内なる方向へと向ける | きほりんの健康大好きブログ

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口笛ご訪問いただいて、ありがとうございます!!

 

今日は、四人で支部周辺をノック伝道しました。

 

行事の後からでしたので、四時ころになってしまい、ノックは一人ニ十軒でした。

 

「幸福な科学です。仏教の教えをお配りしています。読んでみてください。」

 

とても感じのよい方でした。『病のときに読む言葉』と「リバティ」も快

 

く受け取ってくださいました。

 

二十軒終了して帰る途中で、向こうから二匹の大きな犬に引っ張られながら、

 

駆け足で散歩させている女性が走ってきました。なんと先ほどの女性でした。「あらっ!」

 

と思って、

 

「先ほどはどうも」と声をかけると「あらっ!」と笑顔で会釈してくださいました。

 

先ほどの奥さんと話せるなんて、(ニコニコ照れ爆  笑アップドキドキハートブレイクヒマワリ黄色い花ラブラブ中略)

 

こんな体験めったに会いません。とってもいい感じで、今日はルンルン気分です!!

 

 

 

 

 

 

 

『新・心の探究』(大川隆法著)  p186

 

6 心の実相に至るための方法①ーーー心をすみずみからの内なる方向へと向ける

 

自分の心のなかに多宝塔が潜んでいるということは、

まず自分の内なるものを見つめる気持ちがなければならないということになります。

結局のところ、心が外側に向いているときには、その心の実相が見えないということです。

 

心の実相を見出すためには心がまずみずからの内にむかねばならない。

そういうことがいえると思います。

みずからの内に向かうということはどういうことであるか。(中略)

 

つまり、要点として、まず心の実相を知るためには、

内なる方向へと目を向けていかねばならない。そういうことになります。

 

外なる方向には物質があります。他人があります。

この世的な名声があります。地位があります。

金銭があります。然しそうしたものをいくら見つめても、

本当の心のなかの実相というのは見えてこないのです。

 

宗教では普通、金銭とか、財物とか、こういうものを否定しにかかります。

それはそういうものが悪だから否定しているのではないのです。

そうしたものが迷いだから否定しているのではないのです。

そうしたものに執われると心が外に向くから、それを否定しているわけです。

 

心のなかの多宝等を発見するためには、内に向かわねばならない。内に向かうためには、

金銭とか、異性とか、豊富な物質とか、地位とか、名誉とか、

そうしたものは妨げになるのです。

 

執着の対象自体が悪いというわけではないのです。お米が悪いのではないのです。

パンが悪いわけではない。金銭が悪いわけでも、貯金通帳が悪いわけでもない。

異性の存在が悪いわけでもない。それは善悪の善でも悪でもないのです。

 

ただ心を外に向けさせる面において、悪いところがあるということです。

したがって、心を内に向けさせるためには、そうしたものを振り捨てる必要がある。

これが仏教の根底である「執着を断つ」ということです。

こういうふうに心を内のほうへ、心の内を見つめる、こうした方法が第一点です。

 

 

 

 

「執着を断つ」という意味がよく分かりました!!

 

金銭や、異性や、名誉や、物質にとらわれる心は、外向きの心であって、

 

内なる心を見つめるためには、こういうものは妨げになるのですね。

 

だから執着を断てといわれていたのですね!!

 

やっと解ってきたと思います。

 

執着という意味が分かってきました。

 

金銭にとらわれ、異性にとらわれ、名誉にとらわれ、財産にとらわれ、

 

そうした心は、心を内向きにするためには、妨げになるということです!!

 

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