『心の発見』・・・・第2章 質疑応答 | きほりんの健康大好きブログ

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『心の発見』(大川隆法著) P86

 

「泣いて馬謖を斬る」という逸話が示すもの

 

例えば、諸葛孔明は、「泣いて馬謖を斬る」ということもやらなくてはいけませんでした。

孔明は、兵法に通じている馬謖と意気投合し、

兄弟あるいは親子のような気持ちでいられる彼を「自分の後継者」と思っていました。

 

蜀の国が、南方、今の東南アジアのほうを攻めたときには、馬謖は手柄を上げています。

そのあと,蜀は、北部の、蜀の五倍も国力のある魏と戦いました。

相手はけっこう強く、名将も参謀も沢山いたのですが、蜀の群を率いていた馬謖は、

若気の至りで孔明の命をきかず「街亭の戦い」で敗れてしまいました。

 

これは蜀が魏に勝てなくなった決定的な戦いです。

緒戦で大損失を出してしまったからです。

 

街亭という所に丘があるのですが、そこには、間道、細い道があるので、

孔明は「この街道の所に陣を敷け」と何度も繰り返し馬謖に言いました。

 

やがて、馬謖が陣を敷き終えたあと、その布陣の図面を、

馬謖の副将の王平が使いを送って孔明に見せたのですが、

その図面を見たとき「馬謖敗れたり」と孔明はすぐにわかったのです。

馬謖の兵法は机上の空論だったわけです。(中略)

 

それでは、公明はなぜ、「丘の上に陣をと張るべきではない」と思ったかというと、

それは水を断たれるからです。「補給を断つ」という戦い方があるのです。(中略)

 

「泣いて馬謖を斬る」という言葉がありますが、この一件で孔明は、

「馬謖を許してはいけない」ということで、愛弟子だった馬謖を処刑しました。

そにあと、自分自身を丞相から右将軍に降格していると思います。

これは、「そういうところを見せないと規律を護れない」ということです。

 

大きな軍隊といった組織が動くようになってきたら、「信賞必罰」など、

判断の基準のようなものを明確にしなくてはなりませんし、

それには公私を交えないようにしないと、

だれもうごかなくなり、ついてこなくなります。こういう難しさがあるわけです。

 

 

 

 

 

大きな組織を動かすときは、公私を混同してはいけないのですね。

 

私たち女性にとっては、この学びは、今世、新しい学びです!

 

長生きすれば、いろいろなことを学べます!!

 

ありがたい1!

 

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