『武士道とキリスト教』、笹森建美:① | 真田清秋のブログ

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   はじめに

 『私は東京にある開拓伝道教会、駒場エデン教会の牧師をつとめています。

 開拓伝道教会とは、それまで教会がなかった地域に初めて建てられた教会のことで、世田谷区代沢で伝道しはじめて四〇年以上が経ちました。宗派はプロテスタント。毎週日曜日には、一〇〇名以上の方が礼拝にいらっしいます。

 教会としては中堅規模で珍しくはありませんが、他の教会とは違うところがあります。それは礼拝が終わると、机や椅子が片付けられておよそ三〇名の門下生が剣を振るう道場へ変わることです。

 指導するのは、背広から剣道着に着替えた私です。私には武術家としての顔もあり、戦国時代から続く古流剣術、「小野派一刀流」の一七代宗家でもあるのです。一刀流は剣豪・伊藤一刀斎が考案した剣術で、その極意は「とにかく前へ出て、一太刀で相手を制する」というもの。余計なことをしない分、恐ろしい剣法と言えるかもしれません。江戸時代には柳生新陰流と並んで将軍徳川家の剣術指南役を務めるほど発展しました。また現代における剣道の母体になったことでも知られています。

 小説『大菩薩峠』主人公、机龍之介の「音無しの構え」が甲源一刀流であることから、一刀流をご存知の方もあるでしょう。甲源一刀流は一刀流二代目から分かれた流派です。大佛次郎氏の姪が私の父の秘書をしていた縁で、当時は関係の方がよく我が家に取材に来ていました。

 「牧師兼剣術宗家」というのは、日本に私一人だけです。毎年欧米に小野派一刀流の指導に行きますが、どの国でもそのような人がいるとは聞きません。なぜ私のような人間が誕生することになったのかはこれからじっくりお話ししていくとして、牧師と剣術宗家を兼ねていると言うと、キリスト教関係者にも、剣道関係者にも驚かれます。武道とキリスト教は矛盾しないものですか、と聞かれるのもしょっちゅうです。

 そのたびに私は「いいえ、違いません。御興味があれば来てみたらどうですか。世界に一つしかない教会ですよ」と答えることにしています。そのように私が質問を受け流すせいか、かえって興味を持たれる方も多いようです。

 二〇年ほど前のことになりますが、あるミッション系スクールから相談を受けたことがありました。東京世田谷区にある恵泉女学園です。同校で剣道部をつくるという話しがもちあがったところ、先生方の間からこの学校内で武道をやってもいいのか疑問の声が寄せられたというのです。私は学校に出向き「こういう理由で、矛盾しません。むしろ驚くべき共通点、類似点があるのですよ」とお話しした結果、剣道部が設立されることになりました。その後は他のミッションスクールからも相談が舞い込みました。

 キリスト教に関わる方々でもこうなのですから、一般にはより強く「武士道とキリスト教は、別次元のもの」と捉えられていることでしょう。

 キリスト教が愛と平和の信仰であるのに対して、武士道は相手を倒すために各種の武術が生まれたもので、殺伐としている。あるいは、キリスト教は対立を繰り返しながら勢力を保っているにに対し、武士道はひっそりと失われつつあるーー。

 確かに、武士道は規範や心得であり、キリスト教は宗教という大きな違いがあります。ただ、どちらも人の死に方、生き方を真剣に問う「道」です。そしてともに、死を前提にし対し生を考え、死の後にある生を教えています。言い換えれば、どちらもいかに死ぬかによって生を見つめ、いかに生きるかによって死を追求しているのです。

  

  一例を挙げてみましょう。

 武士道が成立したのは江戸時代と言われますが、その基盤となる精神はもっと古くから存在していました。それをまとめた書物がのひとつが『闘戦経(とうせんきょう)』です。西暦一一〇〇年頃に書かれたもので、著者は平安後期の儒学者・大江匡房(おおえのまさふさ)とされています。この書は、次のように始まります。

 

 「我が武は天地の初めに在り、しかして一気に天地を両(わかつ)つ。雛の卵の割るがごとし。故に我が武は万物の根源、百家の権興なり」

 

  訳すと、「武」とは天地の初めから存在しており、その一撃で天と地とを分けた。まるで雛鳥が卵を割ってこの世に誕生するかのようだった。ゆえに「武」を行って行く道はすべてを創造する源、根源、エネルギーである、となります。

 すぐお分かりになると思いますが、この書は武術のイロハを教えるものというより、形而上学的、思想的な内容の書物です。

 スケールの大きさと「初めに在り」という言葉から、聖書の有名な言葉が頭に浮かんだという方もいるのではないでしょうか。

 

 「太初(はじめ)に道(ことば)あり、道は神と偕(とも)にあり、道は神なり」(ヨハネによる福音書第一章第一節、文誤訳)

 

 「道」の部分は、キリシャ語の原点では“logos,,です。このロゴスは原理、真理、理念、学問といった様々な意味があり、ルビをふって(ことば)と読ませています。

 道とは人の生き方、この世の在り方、万物の法則、真理、根源、そしてそれらを具現化する力を含む言葉であり、「太初に道あり」という聖書の言葉は、まさに『闘戦経(とうせんきょう)』と変わらぬことを宣言し、人々に説こうとしているのです。

 武士道に詳しい方なら、内村鑑三や新渡戸稲造のように、かつて武士道とキリスト教の共通性を論じて文化人もいたことをご存知でしょう。内村は、武士道における「死」をめぐってキリスト教の宣教師とやりとりしたことを書き残しています。

 ある宣教師が、内村にこう言ったのだそうです。

 「武士道は切腹と仇討ちを教える道であるから、キリスト教とは相容れない」

 内村は毅然と返しました。

 「キリスト教は武士道の敵であるかのように思っているキリスト信者は少なくない。しかし、ながら私はそうは思いません」

 実は、キリスト教と出会い、自らのうちでそれを武士道と同居させるという貴重な経験をした日本人は、内村や新戸部だけではありませんでした。

 時代が明治に変わると、それまでとは比べ物にならない数の宣教師や牧師が来日します。彼らに接近し、二六〇年もの間禁止されていたキリスト教を熱心に吸収したのは、内村らを含む元の武士階級、士族たちだったのです。

 アメリカに留学してキリスト教を追求し続けた新渡戸稲造は、後に『武士道』を発表しました。これはアメリカで大評判を呼び、セオドア・ルーズベルト大統領が感動したことで有名です。ヨーロッパ各地のキリスト教国でも翻訳されました。なぜこの本がベストセラーになり得たのか。それは、多くのクリスチャンにとって『武士道』に何かしら共感できる内容が含まれていたからだと私は考えます。(中略)

 

 残念ならが、日本はキリスト教にとって「不毛の地」だと言われています。信仰の深みまで至る人は多くはなく、信者の数は国民の1%に届きません。私は若い頃から、日本でキリスト教が普及しないのはなぜだろうかと、いつも疑問に思っていました。ひとつには、伝わるのが遅すぎたことがあるでしょう。また、西洋から伝わってきたため、キリスト教=西洋の宗教と考えられがちです。しかし、キリスト教が生まれたのは中近東であり、ヨーロッパではありません。もしキリスト教がヨーロッパ社会ではなく、アジアを通じて伝道され、古くから日本に伝わっていたらーーキリスト教はもっと違った発展をしたのではないでしょうか。日本人はきっ独自のやり方で、武士道とキリスト教とを結びつけたに違いないと考えています。(中略)

 日本の文化や歴史について別に観点から眺められるようになると思います。一方で、武士道が語っていない「魂」の問題、つまり私という人格をどう受け止めるべきかについては、キリスト教の教えを分かりやすくお話ししたいと思います。

 この新たな視点は、混迷の度を深める社会にあって、ひとつの光明を与えてくれるのではないかと考えています。これは理論だけでなく、悩みを抱えている駒場エデン教会を訪ねて来る人々相談に乗るなかで、私自身が確信するようになったことでもあるのです。

 では、激動の明治維新をなんとか生き抜こうとした新渡戸稲造、そして内村鑑三の歩みからお話ししていきましょう。』

 

 

               清秋記: