スイスの哲人、カール・ヒルティ著
マタイによる福音書六の三三・三四⭐️のために。
『人は過ぎ去っことをもやよかれこれ考えず、また同じように将来のためにあまり取り越し苦労しない習慣を一旦養ったならば、時間の点でも、心のやすらぎの点でも、実にうるところが多いであろう。
しかしそのためには、われわれのことを心に懸けている誠実な神を持つことが肝要である。そうでなければ、ことに心配のない生活などは不可能であり、それこそまさに軽率というものだ。
神に対する溌剌たる愛と結びついて、はじめて不安のない生活ができるのであって、すでに多くの人がその生涯でこのことを経験している。私自身にとっては、以前私の心配の種になった多くの苦難が、それによってまったく取り除かれるか、それともずっと耐えやすいものとなった。また私の生涯におけるすべての善は、私が予期しないのに不意にやってきた。たいていの場合、私はそれに対する十分な用意をしていなかった。というのは、神が私に対して抱いている道に添わないような計画に、私は多くの時間を浪費していたからである。人間を頼りにすることは常に危険である。しかもそれらの人が身分あり、高い地位にあればあるほど、ますますそうである。
エレミヤ書十七の五ー九⭐️⭐️。
⭐️ 「まず神の国と神の義を求めなさい、そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう。だから、明日のことを思い煩うな、明日のことは明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
⭐️⭐️ 「おおよそ人を頼とし肉なる者を自分の腕とし、その心が主を離れている人は、呪われる。・・・・・おおよそ主を頼り、主を頼みとする人は幸いである。・・・・・」』
清秋記: