スイスの哲人、カール・ヒルティ著
『いわゆる「内的な戦い」とは、実にしばしば、人間の我意が、それと対立する神の意志をはっきり知りながら、なお逆らう戦い以外のなにものでもない。この場合、われわれは神の意志をまげて自分の計画に同意させようと思うのである。民数記二二、三一の八・一六。
船 出
ついに実行した。この世をあとに!
この世の盃をこなごなに砕かれた。
岸をはなれた小舟のなかから
遠い岸辺が薄明かりの中に見える。
路もない海原にあやしく囲まれ、
これからは、ただ希望のみが財宝だ。
私の席は君たちが占めたまえ、君たちにはこの世が、私には天国が
開かれるよ。
長い間もくろみ、多くの不安な時に
熟慮したことを、ついに敢行した。
わが巡礼の足が永遠の祖国を見出すまで
もはや決して陸地を踏むことはない。
こののち、月桂樹の枝は私のために花咲かず、
かしわの冠が私の額を飾ることはない。
この世のすぎよく努力はすべて空しい、
私の求めるのは永遠の冠のみ、
このはるかな高い目標は夢ではないか。
あのたなびく霧は岸辺であろうか、
もしもそうでも、私は高尚な遊びをしているのではない。
この荒海の中に行く手が見出せるだろうか。
暗い旅路ののちに聖なる都を見出せるだろうか。
いかにつらい苦難の路であろうとも、私は進むのだ。
いざさらば! 私を産んだ陸地よ。
苦しみは短く、喜びは永遠である。』
清秋記: