考えてみると、大人と子供とを隔てる主たる差異の一つは、自分が馬鹿なことをする場合、大人はそれを承知しているのに、子供はそれに気づかない点にある。くそまじめと非人間化とにはつながりがある。牧場で草を食んでいる牛はたとえようもなくくそまじめである。非人間的宇宙は大いなるくそまじめにみちている。微笑し、哄笑しうるのは人間だけなのである。
エリック・ホッファーの人間とは何か
考えてみると、大人と子供とを隔てる主たる差異の一つは、自分が馬鹿なことをする場合、大人はそれを承知しているのに、子供はそれに気づかない点にある。くそまじめと非人間化とにはつながりがある。牧場で草を食んでいる牛はたとえようもなくくそまじめである。非人間的宇宙は大いなるくそまじめにみちている。微笑し、哄笑しうるのは人間だけなのである。
普通我々は(報酬や刑罰の)永遠性とは終わりのない時間の持続だと考える。だがそれを瞬間と考えてもまったく構わないだろう。なぜなら人は一瞬のうちにあらゆる恐るべきこと、あらゆる至福を経験できるからである。
ほんの簡単なことでも理解しようと欲するならば、中庸の点を通り過ぎなければならない。はるかに行き過ぎなければならないという意味で、私は真実とは行き過ぎであることをつよく確信するものである。
潔白はいかに非難を浴びたときも、同時に熱心な支持者を見出し、中傷者がなんぴとであれ、そのひとを後悔させずにはおかないものです。
-ジャン・ジャック・ルソー
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これは、事実がそうだというよりも、そうであって欲しいし、もしそうでなければ生きていくのがあまりに困難になってしまうから、自分としては、そうであると思って生きると決めたのだと、つまりは、そういうことなのだろう。
われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が指示する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ。
-エリック・ホッファー
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このねじれの中に、人間の姿が隠しようもなく現れている。