行為の値打は、その人の信念によって支えられ、そこにだけしかないものだ。その生き方を偽るか、偽らないか。その偽らないということが、行為の値打ちの全てであろう。

-坂口 安吾


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外に現れた行為は、単なる偶然の結果であるかもしれず、だから、結果によって行為の値打をはかることはできない。行為の値打はただ、生き方を貫く信念の中にしかないが、それすらしばしば偽られ、行為の値打はすぐにも失われてしまう。


坂口 安吾
坂口安吾全集〈16〉安吾人生案内・負ケラレマセン勝ツマデハ・安吾行状日記ほか

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私は神に言われるかもしれない。「私は、おまえ自身の申告により、おまえを裁く。おまえは、自分自身のふりを他人に見て、それにたいする吐き気で身震いしたではないか」。

-ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン


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嫌悪するということは、少なくとも、理解できるということだ。



ルートヴィヒ ヴィトゲンシュタイン, Ludwig Wittgenstein Vermischte Bemerkungen, 丘沢 静也
反哲学的断章―文化と価値


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義務とはつまり負わされた重荷ではなくして、身についたものなのだ。

-ゼーレン・キルケゴール


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そうすべきだからするのではなく、そうせずにはいられないからする、ということだ。
例えば、盗むべきではないから盗まないのではなく、盗むというようなことはできないから盗まないというのが、義務の完成された姿である。



世界の大思想〈第2期 第8〉キルケゴール (1968年)


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人間を信ずべき理由はかず多くある。人間を信ずべからざる理由もまたおなじ。だが春というものについては、これを信ずべき理由しかない。これが生きるということである。

-アラン


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どうしたら、生きるということを、こんな風に表現できるようになれるのだろうか。

まさに、アランにしか書けない、と思わせるような文章だ。



井沢 義雄
神々 (1970年)



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他人の性格を判断するわれわれ自身の世界認識にもどこかに盲点があるのだから、他人の性格を判断してその「歪み」を正してやろうとするのは、馬鹿が馬鹿を指導するようなものである

-岸田 秀


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身も蓋もない言い方ではあるが、こういう視点を失ってしまうことによって陥る愚かしさは、確かに、ある。



岸田 秀
ふき寄せ雑文集



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