榛東村長岡地区にある蓮華寺境内に、忘れられたような石造物に
ご縁を頂いたので記録する。
◇神社佛閣拝禮供養塔
初めてご縁を頂く供養塔だが、勉強不足で手元に資料はなく、
どんな謂れがあるのか現在は分からない。
◇十三佛念佛供養
造立年 文化十一甲戌之年十月良辰。 1814年。
施主 江戸日本橋 守随周蔵。
◇二十一夜念佛供養(如意輪観音)
造立年 文化十二乙亥四月良辰。 1815年。
中組 富澤 女人講中の陰刻も見える。
民間信仰として行われて来た「月待」は、「日待」や「庚申」などの
信仰と習合した事例もあったようです。関東の一部の地域では「念佛
信仰」や「地蔵信仰」「産神信仰」などとの習合によって、本来の月待
とは性格を異とした習俗も隆盛し、それらにかかわる石造物は相当
数見られる。と、手元の資料にはあります。
◇百々万遍供養塔
村指定文化財
この塔は、行者仏任が、前住職瑞忍和尚の菩提と先祖の仏果、
信徒の除災、来祥を祈って文化6年(1809)江戸日本橋の商人や
地方有力者により建立した。
明治初年の廃仏毀釈に逢って破壊されたが明治33年長岡村中の
寄進によって再建された。
掲載日 令和3年9月16日 更新日 令和3年9月28日
「奉唱弥陀寶號百百萬遍供養之塔行者佛任」と、縦に二文字づつ
左周りに陰刻されている。
造立年 文化六年己巳十二月建立之。 1809年。
明治卅三年十二月建替。 1900年。