2010/OCT30/SAT9:00AM
IN LIFE, IT IS NOT WHERE YOU GO,IT IS WHO YOU TRAVEL WITH.
この文句が気に入って、犬が二匹旅行かばんを咥えてプラットホームで電車を待っている写真の付いたグリーティング・カードを買った。
小生は日本に住んでいるTMに送った。いつもはEメイルで送るのだが、今回は手書きの郵便にした。2ドル70セント、失職した小生には少々高価だが、いまは手書きする気分で一杯だ。
まぁ、それにしてもなにもかくことはないが。最近、左眼がはっきりしないので眼医者にいったことしか話題はなかった。
何日かして日本から電話が入ってきた。TMは例によって健康に関係する話で,だれそれが病院で手術したが、うまくいかなくて二度も血栓のために頭を開けたという。ところで、あの英語のコトバはどう?と訊くと、「なに?」といって全然よんでいなかった。
しかし、このPHRASEは昨日みた「火の魚」の主題と同じじゃないかときずいた。
ある著名な作家が老齢になり広島の大崎下島に移り住んだ。この島の瓦のある昔風の町並みが奇麗に撮られていた。風景だけでもこの映画は観客を惹きつけるものがある。

切れ味のあるドラマですこし編集しすぎているキライがあるようにみえた。老作家のところに若い女性編集者が原稿取りにあらわれる。折見とち子。この老いた作家と若い編集者の淡い恋ゴコロが描かれている。
なんぼ美しくても魚拓などにはなりたくない――生きた金魚でありたい。
ドラマのヒロインは癌にかかり入院し、老作家は「恋ゴコロ」をバラの花に託してドラマは終わる。愛する金魚を殺させたことはとりもなおさず、老作家が孤独悶々の生活からこの女編集者に心を移したことを証明しているのであろう。
ドラマの原作が室生犀星「蜜のあわれ」だと知ったのはドラマを見終わって、某ブロッグの「火の魚」の感想を読んでからであった。
室生犀星といえば、中学時代によんだ「性に目覚めるころ」を思い出す。SENSUALではあるが、ポルノグラフィックではない。この小説に書かれた素足の描写や赤い鼻緒の下駄の描写がすぐれて官能的であったのを思い出す。
「火の魚」は生々しさのない「恋心」を描いたものだが、「蜜のあわれ」はもっとSENSUALなようである。インターネット版正論9月号にでているコラムニスト石井英夫(産経新聞論説委員)によればつぎのように書いている:
¶犀星最晩年の傑作『蜜のあわれ』の女主人公「金魚の化身の少女」となったのだという。
少女がおじさまと親密な間柄になる様子は次のように記されている。
「尾のところにお触りになつてもいいわ、くすぐつたくないよう、そよろそよろとお触りになるのよ。おじさま、尾にのめのめのものがあるでしよう、あれをお舐(な)めになると、あんまりあまくはないけど、とてもおいしいわよ、しごいてお取りになつてもいいわよ」
金魚の化身の少女から「おじさま」と呼ばれる七十歳ぐらいの小説家・上山は、作者の犀星その人だった。
「一たい金魚のお臀(しり)つて何処にあるのかね」
「あるわよ、附根からちよつと上の方なのよ」
「そうかい、人間では一等お臀というものが美しいんだよ、お臀に夕栄えがあたつてそれがだんだんに消えてゆく景色なんて、とても世界じゆうをさがして見ても、そんな温和しい不滅の景色はないな(略)」
「おじさま、大きな声でそんなこと仰有(おっしゃ)つてはずかしくなるじやないの、おじさまなぞは、お臀のことなぞ一生見ていても、見ていない振りをしていらつしやるものよ(略)」
「そうはゆかんよ、夕栄えは死ぬまでかがやかしいからね、それがお臀にあたつていたら、言語に絶する美しさだからね」¶
と、犀星はもっとアグレッシブに描いている。さらに、「蜜のあわれ」は晩年の犀星と若い女秘書の小山万里江(仮名)との関係を土台にして書かれたものであるらしい。ドラマは瀬戸内の大崎下島のように美しい。
しかし、犀星自身はもっとリアリステックである:
¶そのころ『杏つ子』がベストセラーになり、読売文学賞を受賞した。
「一生仕事をやり通したって、ただそれだけでは男として何の値打ちがあるか。最後に傍らにいてくれる女があってこそ、その男の生涯は“映えて”(ママ)額縁に納まる」¶
犀星こそは”In Life,it is not only where you go,but also who you travel with"を達成した人なのである。ドラマはこの老作家をあまりにも美しく描きすぎているのではないか。
PS/
ドラマ「火の魚」は脚本家渡辺あやの世界であろう。室生犀星「蜜のあわれ」は素材にすぎない。小輩は折見とち子というのは好きになれない。この折見はとても上昇志向の強い女だから、老作家の持っているものをすべて吸い取ってしまいそうな勢いである。二度目の癌だから、死んでしまうのだろうなぁ。小山万里江(仮名)のように犀星をみとって自分の生活をひそやかに暮らしていけるのだろうか。(え、渡辺あやが島根でそうだって?!)。
IN LIFE, IT IS NOT WHERE YOU GO,IT IS WHO YOU TRAVEL WITH.

この文句が気に入って、犬が二匹旅行かばんを咥えてプラットホームで電車を待っている写真の付いたグリーティング・カードを買った。
小生は日本に住んでいるTMに送った。いつもはEメイルで送るのだが、今回は手書きの郵便にした。2ドル70セント、失職した小生には少々高価だが、いまは手書きする気分で一杯だ。
まぁ、それにしてもなにもかくことはないが。最近、左眼がはっきりしないので眼医者にいったことしか話題はなかった。
何日かして日本から電話が入ってきた。TMは例によって健康に関係する話で,だれそれが病院で手術したが、うまくいかなくて二度も血栓のために頭を開けたという。ところで、あの英語のコトバはどう?と訊くと、「なに?」といって全然よんでいなかった。
しかし、このPHRASEは昨日みた「火の魚」の主題と同じじゃないかときずいた。
ある著名な作家が老齢になり広島の大崎下島に移り住んだ。この島の瓦のある昔風の町並みが奇麗に撮られていた。風景だけでもこの映画は観客を惹きつけるものがある。

切れ味のあるドラマですこし編集しすぎているキライがあるようにみえた。老作家のところに若い女性編集者が原稿取りにあらわれる。折見とち子。この老いた作家と若い編集者の淡い恋ゴコロが描かれている。
なんぼ美しくても魚拓などにはなりたくない――生きた金魚でありたい。
ドラマのヒロインは癌にかかり入院し、老作家は「恋ゴコロ」をバラの花に託してドラマは終わる。愛する金魚を殺させたことはとりもなおさず、老作家が孤独悶々の生活からこの女編集者に心を移したことを証明しているのであろう。
ドラマの原作が室生犀星「蜜のあわれ」だと知ったのはドラマを見終わって、某ブロッグの「火の魚」の感想を読んでからであった。
室生犀星といえば、中学時代によんだ「性に目覚めるころ」を思い出す。SENSUALではあるが、ポルノグラフィックではない。この小説に書かれた素足の描写や赤い鼻緒の下駄の描写がすぐれて官能的であったのを思い出す。
「火の魚」は生々しさのない「恋心」を描いたものだが、「蜜のあわれ」はもっとSENSUALなようである。インターネット版正論9月号にでているコラムニスト石井英夫(産経新聞論説委員)によればつぎのように書いている:
¶犀星最晩年の傑作『蜜のあわれ』の女主人公「金魚の化身の少女」となったのだという。
少女がおじさまと親密な間柄になる様子は次のように記されている。
「尾のところにお触りになつてもいいわ、くすぐつたくないよう、そよろそよろとお触りになるのよ。おじさま、尾にのめのめのものがあるでしよう、あれをお舐(な)めになると、あんまりあまくはないけど、とてもおいしいわよ、しごいてお取りになつてもいいわよ」
金魚の化身の少女から「おじさま」と呼ばれる七十歳ぐらいの小説家・上山は、作者の犀星その人だった。
「一たい金魚のお臀(しり)つて何処にあるのかね」
「あるわよ、附根からちよつと上の方なのよ」
「そうかい、人間では一等お臀というものが美しいんだよ、お臀に夕栄えがあたつてそれがだんだんに消えてゆく景色なんて、とても世界じゆうをさがして見ても、そんな温和しい不滅の景色はないな(略)」
「おじさま、大きな声でそんなこと仰有(おっしゃ)つてはずかしくなるじやないの、おじさまなぞは、お臀のことなぞ一生見ていても、見ていない振りをしていらつしやるものよ(略)」
「そうはゆかんよ、夕栄えは死ぬまでかがやかしいからね、それがお臀にあたつていたら、言語に絶する美しさだからね」¶
と、犀星はもっとアグレッシブに描いている。さらに、「蜜のあわれ」は晩年の犀星と若い女秘書の小山万里江(仮名)との関係を土台にして書かれたものであるらしい。ドラマは瀬戸内の大崎下島のように美しい。
しかし、犀星自身はもっとリアリステックである:
¶そのころ『杏つ子』がベストセラーになり、読売文学賞を受賞した。
「一生仕事をやり通したって、ただそれだけでは男として何の値打ちがあるか。最後に傍らにいてくれる女があってこそ、その男の生涯は“映えて”(ママ)額縁に納まる」¶
犀星こそは”In Life,it is not only where you go,but also who you travel with"を達成した人なのである。ドラマはこの老作家をあまりにも美しく描きすぎているのではないか。
PS/
ドラマ「火の魚」は脚本家渡辺あやの世界であろう。室生犀星「蜜のあわれ」は素材にすぎない。小輩は折見とち子というのは好きになれない。この折見はとても上昇志向の強い女だから、老作家の持っているものをすべて吸い取ってしまいそうな勢いである。二度目の癌だから、死んでしまうのだろうなぁ。小山万里江(仮名)のように犀星をみとって自分の生活をひそやかに暮らしていけるのだろうか。(え、渡辺あやが島根でそうだって?!)。