こんにちは なちょすです。


心理学とは人の行動を数値化しそこから心の機微を推測していく、物質面からみた心の学問です。

を重視してますよね。
※物質からみる客観的人間推測、対人用。


命術は、人の運命を図形化し、そこから
人生の外的変化の動きを読み解く事で、外的変化によって生じる自身の変化をシナリオとして推測して行きます。

を重視していますよね。
※自然摂理からみる宿命的人間推測


ここまでをアニメで例えると
モーションを組んで動くアニメを
画面越しに見て、そこからキャラクターの性格や未来を推測している感じになります。

シナリオがあって感情もありますが
あくまでアニメ的二次元世界ですよね。
予定を遂行していくのです。

そこで古来より人間は、
神理学(宗教や霊といった魂から見た学)に希望を抱いたと思います。


魂という学習するプログラムを
持ち、考え、学習し、予定を変更出来る力を持つと考える事で

平面世界に未知数を付加できます。


その未知数こそが

生きる事であり

生きる希望であり

生きる目的になったと思います。



なにが伝えたかったかというと。
ちょとぐちゃぐちゃになってしまいましたが、



一見近い学問の様々な人間学は
使うべき所で使わないといけないと思うのです。


つまり、


□心理学=対人用。対人との関係を円滑にする。すなわち人生を円滑にするテクニック。


□命術=一生のスケールでみる人生の起伏と宿命。自分について考える物差し。宿命を知る事で自分のシナリオを理解し、心に変化をもたらす。


□神道=魂という自分を向上させる事に生きる意味を持ち、人としての理想を目指す道標。あくまで、道である。


全部大事だと思うんです。


伝えたいことがぐちゃぐちゃになってしまったので一旦お終いにします。


また改めて、書きますね。



なちょすでした。








こんにちは なちょすです。

神社の御神宝は鏡や刀が多いですよね。


私達はそのご神宝に向けて

祈りを捧げたり
願ったりしています。


何故鏡が多いのか。


こんな言葉があります。



「鏡=カガミ。ガを取るとカミになる。」

すなわち




我を取ると神になる。




日本では昔から、神は自分の中にあると
教えられているんです。



私が、
私が、
私が



という我を
鏡に向かって試されているのです。

我を通せば我は鏡を通して跳ね返ります。


願いは鏡に跳ね返って自分に向けて
祈りは鏡に跳ね返って自分に向けて




神社とは自分と向き合う場所。



神様に縋るのではなく
自分を奮起する場所です。



自分の中にある神様。


そして我は神に包まれている。
カ⇨ガ⇦ミ
という意味もきっとあるはずです。


神様は
心穏やかに
人を導いてくれます。


神社は
神様に願いを放り投げるのではなく
人を導いてくれる場所であり。


人は神様に依存せず
自分の中に神様を迎えられるようになる事
が一番と思います。



神様は心の拠り所
鏡は神様の依り代


是非、
自分の中の神様を信じて


長い人生を謳歌していきましょう。





なちょすでした。




こんにちは なちょす です。 


通過儀礼というと
ある段階から次の段階へ行く為の儀式という定義になります。


私は思春期から青年期の殆どが凶事という
悲しい命盤をしていますが笑


命盤のシナリオ通り
凶時期を抜けた段階から

急に霧が晴れ
とある神様に拾って頂きました。


今までの凶時期を思えば
素晴らしいボーナスステージに入り
心の平穏を頂いたのですが、


最近よく


あぁ、これは、死んだのか、、、。


と思います。


悪い意味ではなく、
今私は1年をかけた通過儀礼の最中にあり、
神様に拾って頂いたという事は


その御恩の報いは対人へ向けなければ
いけないのだと思うのです。



それが1年かけて出た答えでした。



でもそうするには
今までの思考のアウトプットが必要であり
アウトプットする事でまた
インプットの幅が広がります。




心の桃源郷を見つけた私が
どうか皆様の桃源郷探しも
お手伝いできる人間に
なれますように。



なちょす でした。