【起業ストーリー】
①はじまりはキャリア相談
昨日、起業塾を卒業いたしました!やっほーい!
いよいよ大海に漕ぎ出すタイミングで、
私の「起業ストーリー」
私が起業に向かって動き出し、
自分を振り返り、
自分のコアを見つけ、
コレだ!というものを見つけるまで、
を書こうと思います。
(長編大作になります)
具体的に「個人起業」に向かって動き出したのは、2020年の秋、46歳。
企業研修を企画するベンチャー企業で、
一人バックオフィスの正社員として働いて
そろそろ1年という頃。
プライベートでは、
「46歳。もう子供は諦めよう…」
と、心の底から納得しだしたタイミング。
そもそも、
夫の持病も安定しだしたので
正社員として働けるようになったのですが、
この1年、夫は一度も寝込まなかった!
お陰で特別食を作ることもなくなり。
何と!
たまには売っているお惣菜を
出すことも出来るようになり、
「ああ…すごく料理が楽…
料理にかかる時間も半分以下…」
と本当に家事が楽になって!
そうなると、
ちょっとした鳥の巣症候群
一方、仕事面でも、
「デスクワークで社会復帰が出来るのだろうか?」
という入社前の不安は、
初日で消えた順調な会社生活。
それから1年近くが経過し、
コロナの混乱もすっかり落ち着き、
バックオフィスは現状維持が経営者の意向で、
仕事も単調になりだして…。
そう。
「このままでいいのか?」
という気持ちが、膨らむ一方になりました。
「このまま歳をとっていくのかな…」
「子供が出来なかった私。
キャリアも積み続けなかった私。
私には何もないじゃない…」
「私はこの世に何を遺せるのだろう…
私が生きた意味って?」
「恵まれた環境に生まれ育ったのに、
社会に何も貢献できてない…」
「私、戴いたものを何も社会に還せていない…」
「夫の持病も安定してきたってことは、
次は自分の人生を生きる番?」
「家も仕事も、
私は一生誰かのやりたいことを
サポートして終わるのかな…」
「私だって自分がやりたいことを
自分が主役になってやりたい!」
「え?
…私が本当にやりたいことって
何?」
このとき出した結論は
「ビジネスで社会貢献がしたい」。
私は、
「子供がいないからこそ」できることを
積極的に探しました。
「そんな私が生きた意味」も欲しかった。
そして、
「お金で評価されるシビアなヒリヒリ感」
「男社会で頑張る感」が好きだった。
そもそも私は
「働くこと」が好きです。
だから、家事も好き!
専業主婦も、
「仕事」というスタンスとレベル感で
やっていました。
でも、
専業主婦やボランティアは
上の条件のどれかが欠けていた。
だから、
「社会貢献ができるビジネスをしよう」
と思ったわけです。
そこで、
フリーでキャリアコンサルタントをしている元同僚に、
今後のキャリアの相談をしました。
厚労省が出している
「人生後半戦のライフキャリアシート」や
「ライフラインチャート」も使った
本格的なコンサルです。
そこで、
本当に良いアドバイスを貰えたのです。
「私は一緒に仕事をしていたから、
ゆうさんが仕事ができる人というのは知っているし、
人間性に問題もなくどこでもやっていける適応力があるのも知っている。
けれど、企業採用は、
まずは履歴書で一律に切ってしまうから、
ゆうさんのブランクが多くて
職種に一貫性がないキャリアは、
一般の転職市場では価値がない
とみなされてしまうの。
だから、
履歴書で判断される方法では勿体ないし、
望むような仕事には巡り合えないと思う。」
こんなに正直に言ってくれる人、
本当に大切にしたい
でもね。
わかっちゃいるけどショックでしたよ、
やっぱり。
私は確かに専門能力という意味で
キャリアには自信はありません。
だけど、
どの会社でも最後は
「辞めないで」
と言って貰える仕事はしてきたし、
専業主婦だって仕事だと思ってやってきて、
ずっと夫の難病という
「コントロールできないこと」
との共生もしてきて、
何ならバリバリの総合職時代より断然
「社会人の基礎能力」
は上がってるじゃん!
おうし!
だったらそこは、
私が戦う場所じゃない!
個人起業も視野に入れよう!
と、一気に方向転換が始まったのです。
(つづく)
本日もお読みいただきありがとうございました。