TODAY'S
 
【想い】
~出来事は起こる
どいういう出来事にするかは
ネーミングが決める~

 

 

前回、深い内省をした結果、

どれだけ感情に蓋をして生きてきたのかを思い知った話を書きました。

 

 

その中で、私がクギを打ちまくって蓋をしていた「パンドラの箱」を

今日は書こうと思います。

 

私はこどもがおりません。

夫婦でこどもを望み、奇跡的に一度妊娠することが出来たのですが、

流産を致しました。

 

そう、この流産にまつわる感情が私のパンドラの箱でした。

その中でも、ずっと文字にできなかったことがあります。

お読みになるのが辛い方は、どうぞ閉じるボタンを押してくださいね。

 

 

 

流産を告げられた日は、今思い出しても、

情景が映画のスローモーションのようにしか思い出せず、

とても他人事のような気がします。

エコーを見せられても、全く実感がわかないけれど、医師の表情で

「これはもう不可逆的なことが起こっているんだ」

と頭で受け止めることで精一杯。

あの日は診察時間が30分以上に及んだような気がします。
(別料金がとられていました)

それでもつわりは確実にあり、

「本当にもう生き返ることはないのだろうか?」

と夫と二人で必死でネットを検索しました。

手術を決断できたのは、

このままだと次の妊娠に影響が出る可能性があるという事実。


手術日前日に入院。

看護師さんより渡された書類を見て、

心をグサッとえぐられる衝撃を受けました。


「子宮内容清掃術後のご案内」


ワクワクしながら、名前を、洋服を、未来を考えた「私の赤ちゃん」は「子宮内容」なんだ。

その子との別れは「清掃」なんだ。


今でも思います。

法定文書ではない病院独自のメモ書きサイズのご案内、

医学的な正式名称である必要があるのかな・・・

勿論、望まない妊娠をした方とも同じ術名。
色んな気持ちを抱えて望む手術だからこそきっと、

書類を作ったスタッフの方々も頭を悩ませ、

落ち着いたのが「正式な術名」だったのかもしれません。
  ※医師、看護師、スタッフの皆さんはとてもあたたかく、
   本当に親身になっていただき、感謝しております。


ですが、他の手術と間違えないように紙を渡す、

というリスクも手間も増えて本当に申し訳ないけれど、

「手術後のご案内」でもよかったのではないかしらと・・・


夜、子宮口を開く疼きと痛みと熱と孤独に耐えながらも、

ずっとその文字が頭から離れず、真っ暗な病室で涙が止まりませんでした。


私にとって、この手術は「この子との葬送の儀式」のつもりでした。
「葬送」とは野辺送り、つまり、

死者と最後の別れをし、遺体を葬るため墓場へ送ること。

今のままではずっと私の中にいて、成仏もできず、

そのうちに出てきてしまうけれど、

そこが美しい場所とは限らず、美しく出てこれるとも限らない。
 

それであれば、せめて、一番きちんと葬れる手術台を選びたい。


そういう気持ちで望む手術の名前、

その時は知らないほうが良かったかもしれません。

 

思うのです。

 

出来事は起こる でも どういう出来事にするかはネーミングが決める。

 

私は、自分に起こる出来事について、

湧きあがる感情を丸ごと受け止め味わいつつも、

そのあと心の整理棚にしまう時は、

これから私が「幸せに生きられるようなラベル」をつけたい。

だから、私はこの手術を「葬送の儀」というラベリングにして、

あらためて棚にしまうことにします。



自分の内面世界は自分が使った言葉で出来上がっていきます。
言葉を知っていることで、自分を救うこともあります。
 

どうか、今辛さを抱えている方が、

先人の知恵がつまった自分を助ける言葉に出会いますように。
 

この感情をあたたかくラベリングしなおせた今、

私は、やはり、言葉にまつわることを仕事にしたいと思います。