小学生の頃は、躁な部分と引っ込み思案な部分と両面のある子どもだったように思う。

 

ただ祖父母がいうには「全く泣かなかった」らしい。

 

2~3歳くらいの頃、本家の離れで転倒し、窓のサッシで頭を数針縫う大けがをしたときも、

 

血まみれになりながら無表情だったと驚いていた。

 

確かに、中学生のころにも綿棒で勢いあまり左耳の鼓膜を3枚とも破ったことがあり、

 

大量出血した際も、無表情で特に痛みも感じなかった。

 

むしろそれを見た母親の方がヒステリーを起こしていた。

 

「明日仕事で早いのに、あんたはいつも私の邪魔ばかりするね。今から病院なんて空いてない。」

 

そんなことを叫ばれたように思う。

 

その際に三半規管を少し傷付けたようで、それが遠因になったのかメニエール病を発症した。

 

母は私を腫れものを扱うように接していたので、虫歯になっても、視力が低下するほどゲームをしていても放置。

 

あまり病院にも連れていかれなかった。

 

私が嫌がったのが原因だが、今では永久歯は数本なく、視力も0.01以下だ。

 

子どもが病院を嫌がるのは当然で、それをどういなすか?が親だと思うのだが。

 

ちなみに、今の私を知る人は信じられないかもしれないが、中学2年生頃までは身長も低く虚弱体質、

 

フィジカルが弱くすぐ風邪をひいていた。

 

肺炎で入院したこともある。

 

身長は150センチ台で、よく女子にも揶揄われるような男子だった。

 

それにも関わらず、幼稚園から殴り合いの喧嘩はちょくちょくしていた。

 

相手の胸倉をつかんでひたすら顔面を殴り合い鼻が曲がったこともある、

 

身長が低かったので、背が高い相手と喧嘩するときは、

 

低姿勢になり、相手の片足に掴みかかりひたすら殴った。

 

特にふくらはぎが有効で、ふくらはぎを20分くらいひたすら殴り続けると相手は10日くらい歩けなくなる。

 

当然その間殴れれるわけだが、私の見た目の痛々しさとは裏腹に重症なのは相手の方だろう。

 

揶揄われても誰にも助けは求められない、だったら周り全員敵だと見做して警戒していた。

 

中学生になり入塾した学習塾が私の精神面に与えた影響は大きかった。

 

塾長は関西の大学出身だからか、大の阪神ファン、

 

日本シリーズの期間などは、頭髪を黒と黄色に染めるほどの熱狂ぶりだった。

 

息子たちはみな自衛官、塾長も空手部出身という事で50代後半ながらも恰幅が良かった。

 

塾で何かあれば、平気で日本刀や木刀、灰皿が飛んでくるような環境。

 

私含め塾生たちは何度詰められたか分からない。

 

だがその塾長が私に筋トレを教えてくれた。

 

以降、現在までほぼ欠かさず毎日筋トレをしている。

 

そして、何があっても諦めない根性の基礎を叩き込んでくれたように思う。

 

母親の反対をよそに、中学3年間その塾を続けたのは当時私の自己肯定感を上げてくれた。

 

毎年お盆の丑三つ時にペンライト一本で自殺の名所の山を登るというレクもあった。

 

何名か崖から落ちた塾生がいたり、霊障もあったが、誰も〇んでは居ないし今となっては笑い話だ。

 

他所からすると、キ〇ガイだと思われるかもしれないが、

 

私の虚弱な心身は間違いなく、この塾長のお陰で叩き直された。

 

この塾長に出逢わなけば20代、修羅のような営業マンが集まるあの㈱光通信の中でトップは取れなかったと思う。

 

今でもほんとうに感謝している。