「どんな生き方をされてきたら、今の泉さんになれるのですか?」
 
これまで、付き合いのある事業者、経営者からそう訊かれることがよくあった。
 
経営者仲間には、
 
・志が高い
・結果に拘る
・営業力がある
・影響力がある
・根性がある
・ポジティブ
・破天荒
・強い
 
そんなことを言われることが多い。
 
確かにこれまで、㈱光通信でトップセールスになり、事業部で最年少のエリアマネージャーに着任。
 
独立後も出版や大規模セミナー、起業スクール、ラジオ冠番組に地域最大規模コミュニティーの運営、
 
街録ch出演や、ホリエモンをはじめ著名財界人との対談、
 
今は事業を続けながら(6月~体調不良のため休業しているが)、
 
教育業界にも挑戦し専修学校での講師業、この私が組織人に囲まれながら学校運営にも携わっている。
 
光陰の光の部分だけを見れば、これら私の経歴をまぶしく感じる方も多いのかもしれない。
 
しかし、実際は、これら光の部分の数十倍は陰の部分がある。
 
犯罪にも数えきれないほど巻き込まれている。
 
私の人生は紆余曲折、ジェットコースターのような人生だった。
 
そして今もその渦中にいる。
 
やっと手にしたと思われた幸せも、かみしめることが出来ない。
 
よく人の性格はその生育環境に起因するものが大きいと言われるが、
 
正直、私の幼少期に関しては今仲間たちに持たれているイメージとは真逆なのではと思う。
 
結構暗い話が多いからだ。
 
私が家族的な存在、人との信頼関係に対して執着に近いほどの拘りを持つのはそのためだろう。
 
あまり自分から幼少期の話をすることは少ないのだが、
 
直に関わっている方にはけっこう興味を持たれることが多い。
 
その度オブラートに包みながら、幼少期の話を自己開示しているが、
 
「そんなことあるの?」
 
と驚かれたり、引かれたりすることがある。
 
そんな話をいくつかに分けて今回は綴ってみたい。
 
直に関わりを持つ方の少ないこのブログの読者に需要があるかわからないが。
 

関係者の方、読者の方で時間のある方はぜひお付き合いください。

 

 

 

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生まれた時から実父の記憶はない。

 

実父は私の生後半年足らずで居なくなったらしい。

 

母も基本仕事で家には居なかった。

 

子どもの頃から学校帰りは家ではなく母方の本家に行っていた。

 

本家には母方の祖父母と正嫡となった叔父と叔母、その子ども達がいた。

 

因みに私の母が長女で叔母が次女だ。

 

子どもの頃は叔母が母親代わり、祖父が父親代わりだった。

 

叔母の娘2人とは兄妹のように育った。

 

祖父は地元の名手で県の幹部職員を定年退職した後、80歳手前まで様々な企業の顧問や相談役を務めていた。

 

とにかく実力主義の生え抜きで、引退後も市長の選対本部長を歴任し、キャリアを讃えられ天皇陛下にも表彰されたような方だった。

 

祖父には最後まで本当に世話になった。

 

話は戻るが子どもの頃、学校終わりに本家が留守で施錠されている時もあった。

 

そんな時は勝手口から本家に入ったが、当然勝手口も施錠されてるこはよくあった。

 

私は一人っ子だったが、母から実家の鍵を持たされたことは無かった。

 

「勝手に家に入られて汚されては困るから」

 

という理由だったが、学校が早く終わり本家も施錠されている時は空腹が敵だった。

 

どうしても空腹に耐えられない時は、通学路沿いの家になってる木の実を拝借してり、雑草を食べたり、家の庭の赤土を食べたりした。

 

たまの母との時間は、敢えて迷惑をかけた。

 

今思えば構って欲しかったのだろう。

 

母が組み立てたLEGOの城を壊したり、プレゼントしてもらった大きな犬の縫いぐるみを赤いボールペンで滅多刺しにしたりした。

 

小学生低学年の頃だが、愛情に飢えていたのだろう。

 

ところで、名刺交換の折に芸名ですか?とよく聞かれる私の本名も、ファーストネームは実父が命名したものらしく、私は未だにその由来を知らない。

 

そもそも、実父の存在を知ったのも、私が20歳を過ぎ、仕事の関係で戸籍謄本を取った時だ。

 

昔から母は肝心なことを私に言わない。

 

実父、と敢えて表現しているのは、養父の存在があったからだ。

 

とはいえ、その養父も、小学校高学年の頃に

 

「単身赴任していたお父さんが帰ってきたよ」

 

と母に紹介され(もちろん嘘なのだが)、実感も持てないまま他人行儀な養父との関係が数年続いたが、中学生に上がると突然その関係も切れた。

 

覚えているのは養父が出て行く時のフォルクスワーゲンのテールランプくらいだ。

 

20歳を過ぎて彼が実父ではないと知り、色々納得をしたことがあった。

 

小学生5.6年生の頃、養父に生意気を言って養父と喧嘩になった時、本気で殴り合いになった。

 

小学生と40代の成人男性なので、MMAでいうところのマウントポジションをすぐ取られた。

 

母が止めなければどうなっていたか。

 

養父が母と話をしてたのをたまたま耳にしたこともあった。

 

養父は、

 

「あいつ(私のこと)、本気でしてやろうと思ったわ」

 

と言っていた。

 

母は笑いながらフォローしていた。

 

子どもながら耳を疑ったが、今になって思えば、それだけ私が生意気だったのだろうということだ。

 

家族でも、所詮は他人なのだなと子どもながら冷めた瞬間でもあった。

 

つづく。