無責任に「開業支援」なんて言葉をスローガンにしていた7年前。

 

1社目を立ち上げた。

 

未経験、かつ一番苦手だった業界。

 

教育。

 

ビジネスの、教育をした。

 

2年間で200人近い若者たちと向き合った。

 

いや、向き合いきれたのか。

 

向き合いきれてなかっただろうな。

 

自営業者として未熟な自分に、もっと未熟な若者たち。

 

先輩自営業者たちから見たら”子どもの起業ごっこ”に見えていたのかもしれない。

 

生産労働人口における開業率が5%を切っていることの、本当の意味。

 

10年続く会社が2%未満と言われている真意と、その背景。

 

何もわからず、ただがむしゃらだった。

 

もちちろん、気持ちに嘘偽りはなかったし、

 

本気で名古屋という街に挑みたかった。

 

足の引っ張りあいが大好きな、保守的なこの街に一石を投じるつもりだった

 

結果として、

 

小石、くらいは投じることは出来たかな...。

 

悪評も含め(苦笑)、随分名前は売れたような気がする。

 

夢もそこそこ見ることが出来た。

 

人生初のラジオパーソナリティー、出版も経験できた。

 

だけど、燃え尽きてしまっていた。

 

2年で組織も散り散りに。

 

ただ、落ち込んでいる時間も余裕もない。

 

「生きていくため」2社目を作った。

 

今度は自分がもう一度プレイヤーに戻り、イチから。

 

資本金は500万円。

 

またもや未経験の業界、建築内装業。

 

専門の営業コンサルタントとしての立ち上げだった。

 

磨いた営業の腕だけを頼りに、仕事を取りに行った。

 

3年間は、ただ建築内装の仕事を取ることだけに特化。

 

気付けば組織を作っていた時より、一人で動いた方が売り上げが多くなっていた。

 

「俺はプレイヤーでも、まだまだやれる」

 

そう思った。

 

でも、それもただの思い上がりだった。

 

地元岐阜の経済を盛り上げたくて、30歳になるタイミングで拠点を移し岐阜に貸しオフィスを作った。

 

岐阜の一等地に、270平米を超えるワンフロア。

 

私の会社以外は殆ど上場企業の支店が入っているビルだった。

 

「岐阜の開業支援のアクセスポイントを作る」

 

そう息巻いていた。

 

岐阜新聞からもインタビューを受け、岐阜のラジオ番組も1年弱運営した。

 

FC岐阜の公式スポンサーも1年間やった。

 

とにかく勢いと話題性を重視した。

 

だがまたしても、天は私には味方しなかった。

 

思い上がりを見抜かれていたのかもしれない。

 

時流に対するタイミングも早すぎた。

 

東京や名古屋の感覚で岐阜に時流を持ち込んでも成功しない。

 

そんな当たり前のことが、スッポリ頭から抜けていた。

 

開店当初は協力してくれた店舗運営スタッフも売掛を飛ばして蒸発した。

 

もちろん、ケジメは彼らから取ったものの。

 

自己資本だけでは収益が回りきれなくなり、ついに大手の貸しオフィスグループに引き継ぐことになった。

 

他にも色んな事故や事件、親族の死が立て続けに起きた時期でもあった。

 

またもや、何も無くなった。

 

それが約2年前。

 

たった5年で、2度も大きな失敗をした。

 

ほどほど、人間関係にも疲れた。

 

裏切られるのも、裏切った人間に追い込みをかけるのにも。

 

暫く携帯電話も見れないような、そんな時期が続いた。

 

人に期待することの虚しさ、何より自分の無力さ、思い上がりを悔いた。

 

お金の使い方も下手だった。

 

だけど、ずっと凹んではいられない。

 

そんな余裕はない。

 

逃げても誰も助けてくれないし、泣き喚いたところで状況が良くなるわけでもない。

 

過去と他人は変えられない。

 

そう、

 

自分が変わるしかない。

 

3度目の正直。

 

県警OBの大叔父から言われた一言。

 

「もう一度、額に汗をかき、人に頭を下げることを覚えろ」

 

180度、人格を変えるつもりで挑んだ。

 

それで始めたのが今の信長塾だ。

 

この2年で約1500名以上の方に参加いただいた。

 

今までの起業人生で、

 

成功体験以上に、失敗体験を山ほどした。

 

営業経験15年の中で、ビジネスの酸い甘いは一通り経験したと思う。

 

だからこそ、見えてくる価値観がある。

 

自営業者は皆、孤独だ。

 

業績が良かろうが、悪かろうが。

 

両方に孤独を抱えている。

 

お金では解決できない孤独を。

 

そんな、彼らの居場所を作りたかった。

 

そして同時に、自分の居場所も作りたかったのかもしれない。

 

今月末、またみんなに会えるのを楽しみにしています。

 

一緒に笑い合える居場所を、共に創りましょう