「俺、収入は高いけど全く貯金できないんだ」
よく聞く話だ。
特に自営業者、大手企業管理職や優秀な営業マン、共通して言えるのは独身の高所得者層に多い。
かく言う私も実際にそうだった。
20歳で営業の世界に飛び込み12年、まともに貯金を出来たことがない。
お陰で金銭的な準備もないまま色んなトラブルに巻き込まれ、結果として手持ち4,000円で起業することになる。
ちなみに隠すこともないので会社員時代の台所事情をここで赤裸々にお伝えすると、
20歳そこそこで30万円弱、その後21歳で光戦士に転職し以降は25歳まで悪くても月35、6万円、多い時で月100万円近くは総所得があった。
会社員の給与だけでた、当然税金も支払っている。
それにもかかわらず貯金は全くの0だった。
比喩ではなく、本当の0円。
月末になると、預金残高が1,000円以下...なんてザラだった。
なんて情けない。
そんな金銭感覚の私でも無一文で起業して、この厳しい世界で7年弱やってこれているのだから
「貯金しないと起業できない」と、起業に踏み切れない方は言い訳が出来ない。
少なくとも、「起業出来るかどうか」と「お金があるかどうか」は別なのだ。
さて、話を戻す。
当時貯金ができなかった原因は、生活水準を上げすぎてエンゲル係数を中心に浪費が重なっていたことに他ならない。
稼げば稼ぐほど生活水準が上がり、お金をばら撒いていたわけだ。
そう、これは言い訳する余地もなくただの思い上がりと一円にもならない見栄の為だ。
そして欲望に対する耐性があまりにも低すぎた。
みっともない限りだが、
ただ「後悔」はしていない。
むしろ、お陰で良い経験ができたとすら思っている。
成功も失敗も、自らが経験したことじゃないと人に語れない。
語っても「説得力」がない。
一番の失敗とは、失敗から学ばず同じ過ちを何度も繰り返すこと。
失敗が経験となり、何かの糧となっていればその後の「財産」となることの方が寧ろ多いのだ。
学問だってそうだろう。
一度間違えた回答に対してただ「失敗した」と落ち込みこうべを垂れるのか、
「間違った解や考え方に気づけた」と前向きに次の糧にするのでは、その後の成長も経験値も段違いだ。
そして私も、これらの経験がその後を生きる上での「人生の糧」となった。
私は昔から体育会系の縦社会に身をおくことが多く、
その世界では、いざ外食となれば、総じて先輩が後輩に全額をおごるという伝統的な風習がある。
例え先輩の”台所事情”が後輩より”ひもじく”ても、だ。
その分の権利(?)として、先輩は先輩たる威厳という先輩風を吹かせられるのだが...。
私も10代の頃は金銭的にもよく先輩に可愛がってもらっていた。
少しでもお会計を払おうとするものなら
「そう思うなら、同じように自分の後輩にご馳走してあげれば良い。」
そうたしなまれ、そんな先輩をカッコ良く感じて憧れたものだ。
だからいざ私が大人になり後輩ができた時、当然のように会計は全て私が出していた。
超体育会系の営業会社でトップセールスや役職も付けば尚更だ。
当時は会社の売り上げに貢献している社員ならともかく、自らの見栄の為に貢献度が低い社員やプライベートで出会う年下の人間にもお金をばら撒いていたように思う。
もちろん、心の底から「相手のために」と純粋な気持ちで行ったものも少なくないが。
どんな場合でも「見栄を張る」という不純物が感情の中に紛れ込んでいたのは事実だろう。
今振り返れば、それは「自分に自信がなかった」からなんだと思う。
現役当時の自分は絶対に認めないと思うが。笑
自分自身の「自己肯定感」や周りからの信用に対する”担保”をそういった振る舞いを行うことで保証しようとしていたのだろう。
若い頃の私は、人間関係を「お金を配ればなんとかなる」「懐柔することができる」ものだと安易に考えすぎていた。
今現在でも、このように考えている人はけっこう居るように思う。
私の場合は自らの金銭感覚で自らの首を絞める時代が何年も続き、
「このままではダメだ」
と私が奮起したのが26歳頃だったと思う。
「現金」で所有していると何かしら浪費してしまうと感じた私は、運用よりも”資産保全”に重きを置き、関連銘柄に"現物投資"することにした。
金、プラチナ、海外積立保険...。
色々と手を出す中で、”資産保全”の観点で私が一番長続きしたのが「不動産」だ。
金、プラチナ、海外積立保険などの「流動資産」だと、なんだかんだいざという時は現金に換えることができる、
だけど不動産は「固定資産」は、なかなか手放せられない。
即買取、即現金化が難しい。
そこに目をつけて、私は現金がある程度入ったら不動産を所有するようにした。
もちろん、税金を支払った後の現金で買える範囲の金額にはなるのだが、
不動産は立地さえ良ければ人に貸すこともできたので、現金収入も産んだ。
その結果、時間はかかったが人並み以上の資産構築をすることが出来た。
過去の浪費による失敗から学び、浪費癖のある自分の性格を分析した結果の対策が功を奏したことになる。
更に今では「見栄や去勢」のためのお金は一切使わないようになった。
使うのは「投資」のみ。
外食も殆どしなくなった。
服も一年を通して殆ど買っていない。
自炊もし、絵に描いたような質素倹約の生活をこの数年している。
もちろん、その分交友関係は減った。
だが、それがどうしたというのだ。
お金で得た仲間はお金と共に去っていく。
これも痛いほど経験済みだった。
見栄を張ってでもお金をばら撒くのは「自分に自信がない」から、そして相手との「関係値が充分ではない」からだ。
その空白を、穴をお金で埋めようとする。
人間の心理は「空白」を嫌う。
無言に弱い人、予定をやたら埋めたがる人はその典型だ。
お金の使い道が”浪費寄り”な人も例に漏れない。
今の私にはお金をばら撒いていた頃の現金こそ無いが、
確固たる自分に対する「自信」と、色んな紆余曲折を経て選び抜いた「仲間」との関係値がある。
それで十分ではないか、お金を使わなくても満足感が得られる。
そして後続者たちには「見栄ではなく、生き方や価値観に共感」して付いてきて欲しいと今では思えている。
この様に思うことが出来るようになったのも過去に起きた「浪費による失敗」の経験があるからだ。
お陰で「浪費を先送り」に出来る考え方を手に入れることが出来たし、「欲望への耐性」も充分なほど付いた。
過去の自分"様様"である。
最後に、今現時点で「人並み以上にお金を稼いだ経験も使った経験も無い方」や、
もしくはお金を稼いでは"浪費"をいつまでも繰り返している方へ。
「稼いだお金=入金されたお金」では無い。
「入金されたお金ー使ったお金=稼いだお金」だ。
そこを履き違えると、本当にいつか、一文無しになってしまう。
いつかの私のように。
私は運良く、今まで生きてこれたが、
一般的に行き着く先は、良くて一生フリーター。
最悪の場合、体調を壊し生活保護やホームレス。
もしくは犯罪予備軍になることだってある。
これは決して大げさでは無い。
歪んだ金銭感覚は人格と品格を、不摂生な生活は精神と身体を確実に壊す。
私は今までの経験から、貧困層が犯罪を生む気持ちが痛いほど良く分かる。
是非、この記事を”転ばぬ先の杖”にしていただきたいと心から願う。